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2016/05/15

人体実験だった広島・長崎の原爆


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オバマ米大統領の広島(被爆地)訪問が決定したので、米国による原爆投下の真の目的は何だったのか?を明らかにした私の過去のエントリを再掲します↓

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「後悔に1分たりとも時間を費やすな」は米大統領だったトルーマンの言葉だ。
実際、戦後何百回もたずねられた「原爆投下」について少しも後悔の念を見せなかった。
難しい決断だったかと聞かれ「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと鳴らした。


これは、毎日新聞の8月6日付【余録】で紹介されている第33代米国大統領、ハリー・S.トルーマンの逸話である。
つまり、「指パッチン」で日本に対する原爆投下を決めた。後悔する必要なんて、これっぽっちもない、というわけだ。
が、「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉を吐かざるをえなかったというところに、この人物の深層が表れているような気がする。

実際、非公式な場所では、良心の呵責に苦しめられていることを周囲の人や身内の人たちに洩らしていたと言われる。
【余録】氏も次のように書いている。
「妻や妹への手紙、内輪の会話、日記では、女性や子供の被害へのおののきや後悔を示している。(原爆の開発にかかわった)科学者らが自責の念を示すと、ひどく感情的に反発した」
やはり、大統領、そして国家に「過ち」はあってはならない、その思いが「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉と、「指パッチン」という態度につながったのだろう。

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私は昨年の8月6日、次のように書いた。(抜粋)


私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている。しかし、毎年8月がくると怒りがこみ上げてくる。
これは、もう理性を超越した、日本人としての血がなせる業だと思う。やはり、今日は、原爆と米軍の話を書かずにはいられない。

私は、広島の平和記念公園を二度訪れたことがある。もちろん、原爆死没者慰霊碑に首(こうべ)を垂れ、祈りを捧げた。そのときは、「過ちは繰り返しませぬから」という碑文の文言には、何の抵抗もなかった。しかし、今日、その碑文を読み直して強い違和感を覚えた。
原爆投下という過ちを犯したのは米国である。なのに「過ちは繰り返しませぬから」とは......おそらく、この慰霊碑が建立された頃は、日本の誤った戦争が原爆の悲劇をもたらしたという認識が、我が国民に強かったということであろう。当時の私も、何の抵抗も感じなかったのだから...

広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である。したがって、原爆被害に遭われた方々に対して、「過ちは繰り返しませぬから」などと言うのはもう止めにしたい。
「原爆の悲惨さは永遠に忘れません。皆様の筆舌に尽くしがたい苦痛と無念を心の奥底に深く刻み込みます」と誓いたい。

(抜粋終わり)

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しかし、誤解してほしくないのは、当時の米国が戦争犯罪を犯したと断罪し、反米感情を煽ることが私の目的ではない。なぜ広島や長崎に原爆が投下され、20万人以上もの命が一瞬にして奪われることになったのかの真実を知ってもらいたいのである。
したがって、私の立場は、先月の中旬に広島で開かれた「国際民衆法廷」とは明らかに違う。

「国際民衆法廷」は先月16日、原爆開発や投下に関与した米国のルーズベルト、トルーマン両元大統領や元軍人、科学者ら15人の「被告」を、国際法違反で「有罪」とする判決要旨を発表した。また、米国政府に対し、被爆者や遺族への謝罪と賠償を求める「勧告」も盛り込んだ。

が、この法廷の「設立趣意書」を読むと、この「法廷」が、特定の思想的立場に立ったものであることが解る。
「設立趣意書」では「私たちは、憲法第9条の精神を単に形式上だけ維持するのではなく、積極的に世界に向けて拡大・活用させていく義務と責任があります」「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」と書かれている。

これは、「私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている」「広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない」という私の立場とは、対極にいる人たちの考え方だ。

ただ、この「国際民衆法廷」で明らかにされた「原爆投下に至る事実関係」には、米国政府が公開した「保存記録」に基づく記述が多く、参考にはなる。

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米国の主張は、「原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が出たであろう」というものだ。原爆は、逆に多くの人命を救ったのだ、だから原爆の投下は正しかったんだ...
これが、米国の論理である。が、これは真っ赤なウソである。
米国の狙いは、実際に原爆を使用することによって、核実験だけでは得られない、その効果を検証することであった。つまり、広島の原爆も長崎の原爆も「人体実験」だったわけである。

1945年7月26日、米・英・中の3国は、我が国に対して降伏を勧告する、13条から成るポツダム宣言を発した。
宣言の骨子は以下のとおりである。

日本軍の無条件降伏 、及び日本国政府によるその保障(13条)
カイロ宣言 の履行(8条)
領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定(8条)
戦争犯罪人 の処罰(10条)
日本を世界征服へと導いた勢力の除去(6条)
特に13条の最後は、「右以外の日本国の選択は迅速且(かつ)完全なる壊滅あるのみとす」という「殲滅宣言」とも受け取れる言葉で結ばれている。

ポツダム宣言の詳細は→ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)

実は、このポツダム宣言と、それが成立する過程に、米国の日本に対する原爆投下の真実が隠されているのだ。

ポツダム宣言は、天皇制維持についてまったく言及していなかった。そのために、我が国政府の内部では、この宣言をめぐって激論が交わされた。が、出された結論は「宣言の黙殺」と「断固戦争完遂に邁進する」というものだった。
ところが、宣言の起草段階では、天皇制の維持が含まれていたのである(12条)。にもかかわらずトルーマンが12条を書き換えさせたため、明確な天皇制の保証は姿を消した。残ったのは「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」「政府が樹立せらるる」という文句である。
我が国政府が後日、ポツダム宣言受諾を決定したとき、付けた条件が「天皇制の維持(国体の護持)」であったことを考えれば、12条を書き換えていなければ、我が国政府の最初の結論が違ったものになった可能性は高い。
もちろん、12条に「天皇制の維持」が含まれていたとしても、我が国が早い段階で宣言を受諾したか否かは分らない。が、トルーマンが、日本政府の宣言受諾を遅らせようと企図したことだけは間違いないのである。

以下に、原爆投下までの経緯を時系列的に整理してみる。

1942年8月13日、レスリー・グローブズ陸軍少将を最高指揮官に、オッペンハイマー博士を原爆の設計・製造の総責任者として「マンハッタン計画」がスタートする。
1944年9月19日、、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相との間で交わされたハイド・パーク協定によって、原爆の投下対象をドイツから日本へ変更することが決定される。
1945年4月に、ルーズベルトから大統領職を引き継いだトルーマンの下、目標検討委員会では、初めから軍事目標にたいする精密爆撃ではなく人口の密集した都市地域が爆撃目標とされる。
1945年4月の時点で、トルーマンは原爆の完成予定を知っていた。
1945年6月01日、ジェームズ・バーンズ国務長官の報告を聞き、トルーマンは原爆投下を決断した。
1945年7月16日、米国はニューメキシコ州で初の原爆実験に成功する。
1945年7月17日、ドイツのベルリン郊外・ポツダムで米・英・ソ3国首脳による会談(ポツダム会談)が始まる。ポツダム会談の期中に、トルーマンに原子爆弾の製造完了が伝えられた。
1945年7月24日、トルーマンは、8月10日までに日本に対して原爆投下を繰り返し行うよう指示。
1945年7月25日、トルーマンは日本への原爆投下命令を出す。
1945年7月26日、ポツダム宣言が発せられる。
1945年8月06日、広島に原爆が投下される。
1945年8月08日、ソ連が深夜に日ソ中立条約の一方的な破棄を宣言。9日午前零時にソ連軍が対日参戦。
1945年8月09日、長崎に原爆が投下される。
1 945年8月09日、我が国政府は、御前会議で「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定し、10日に連合国に伝達した。
1945年8月15日、 天皇自身によってポツダム宣言受諾の決定を日本国民に知らせる玉音放送(ラジオ)が行われる。

以上を振り返って見ると、我が国のポツダム宣言受諾が、米国による原爆の投下やソ連の参戦に促されたことは間違いない。が、米国による原爆投下は、我が国のポツダム宣言への対応とは関係なしに実行されたことが解る。つまり、原爆を投下するまで我が国を降伏させない、そしてソ連が参戦する前に原爆を投下する。これがトルーマン政権の基本的姿勢であった。

「ポツダム宣言」は、別名「米、英、華三国宣言」とも呼ばれる。これは、会談に加わっていたソビエト連邦(ソ連)が、我が国に対して(条約上)中立の立場をとっていたため、宣言に加わらなかったからである。
また英国代表は、直前の総選挙の結果、ウィンストン・チャーチルからクレメント・アトリーに変わっており、アトリーは選挙後の後始末のために不在だった。中華民国代表の蒋介石もポツダムにはいなかった。
つまり、米、英、華(中)、3カ国代表のサインは、トルーマン一人によって書き上げられたのであった。

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米国は、日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったというが、これも真っ赤な嘘である。

原爆の投下候補地は、
①直径3マイルを超える都市
②爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市
③8月までに通常爆弾による爆撃を実施していない都市
だった。
つまり、正確に原子爆弾の威力を測定するため、通常爆弾との被害の違いを区別できることが必要条件であったのだ。

これに適うのが京都、小倉(北九州市)、新潟、広島、長崎で、中でも盆地状の京都市街は申し分なかった。そこで、原爆投下の照準点は京都駅に近い梅小路機関車庫に定められ、京都に対する通常爆撃の禁止命令が出された。おかげで、古都の街並は原爆投下用に保存されたのである。
ところが、米陸軍長官ヘンリー・スチムソンが京都案に強硬に反対したため、最終段階で京都は第一候補からはずされたが、「日本の文化財に敬意を表したから京都を爆撃しなかった」というのは嘘なのである。
広島も爆撃されなかったし、小倉、新潟、長崎も、他の大都市に比べればほとんど無傷だった。ちなみに、長崎は第二候補だった。が、広島とともに第一候補にされた小倉上空が曇りであったために、長崎が標的になったのである。

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以上からすれば、広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」の主語は米国のはずである。いや、米国でなければならない。
にもかかわらず、「国際民衆法廷」の主催者のような「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」という輩が、未だに我が国には存在する。

私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っているから、いまさら米国を責める気持ちはない。「国際民衆法廷」のように、当時の米国指導者を糾弾するなんて、特定の政治的意図が込められているとしか思えない。
が、こと原爆投下に関して言えば、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である、と思っている。

Genbaku

関連エントリー:残忍な人たち


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参照1:ハリー・S・トルーマン (Wikipedia)
参照2:ポツダム宣言 (Wikipedia)
参照3:原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島
参照4:原爆投下、米元大統領らに「有罪」
参照5:「原爆神話」からの解放-「正義の戦争」とは何か-
参照6:原子爆弾
参照7:東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷

このエントリは→2006/08/13の再掲です。

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米国」カテゴリの記事

コメント

原爆を実験するため 日本をいかにして降伏させないかアメリカは工夫しています。
豊川海軍工廠 大阪陸軍造兵廠を壊滅的爆撃したのがいつだったかを知ればわかる。
7日と14日 原爆落としてもういつでも降伏OKというタイミング。
4月や5月にここが壊滅していたら日本軍は玉切れして戦争できない。

投稿: 八目山人 | 2016/05/15 11:08

この件、多くの日本人の考察が浅く真剣に当時の状況を考えていない。

なにせ長い期間の戦争だったから多くの変化があり、多くの関係者、関係組織、利権などがあるが、やはり特攻の要素は大きかったと思う。

私は個人的に敗戦を感じて「特攻」を考えた者の言い訳と断言しているが、仮に、嫌味として、その特攻を発明した者の言い分が正しいとすれば、戦争責任者、戦争犯罪者は完全に天皇だ。

言い分では「特攻まで始めれば慈悲深いはずの天皇は現状に気付き戦争をやめてくれるはず」・・・と言っている。

これは完全に天皇が戦争の最高責任者であることを認めているから成立する理屈である。 つまり彼は戦争の責任は完全に天皇陛下の責任と認めているのである。

これに一億層玉砕とうの洗脳教育が絡んでくる。 アメリカの言い分では東京に原爆を落として天皇を殺してしまえば「戦争をやめる者がいなくなり戦争を終わらせることができなくなってしまう」・・・と言うものだったが、事実、アメリカの言い分通りに地方都市に原爆を落として戦争は終わった。

まぐれであったとしても発言と行動と結果に一貫性があり、なによりも事実がそれを強く認定している。

また、意見すると収まったように見える戦局も、いつ再燃するかわからない局面で原爆と言う兵器を保有してることを示すのは戦略として有効であったと思う。

もし原爆が登場しなければ終戦処理に不満を持つ国や者が戦闘を続行した可能性がある。

当時の日本にもアメリカのスパイが居て一億層玉砕思考もアメリカ側も知っていたはず。(他の国々も含む)(ソビエトのどさくさ北方領土取得も勘繰れば」戦争が再発したことを思っての先手だったとも言える)

軍事オタク IPアドレス 126.194.6.37
↑オマエは妄想狂だな。
日本語、大丈夫か?
偏差値、疑われるぞ(爆×∞)
言ってることの根拠不明!
日本語が下手すぎて趣旨不明!!
短文なのに話題が飛び過ぎ!!!

二度と来るな(怒)

坂 眞

投稿: 軍事オタク | 2016/05/15 11:42

メリケンが国家として原爆投下を謝罪するとしても、それは世界から核兵器が廃絶される『かも知れない』遠い遠い未来の話になるでしょう。

まあ、それはそれとして、我が国にバッコする反日気違い共は、原爆犠牲者すら自分達の主義主張に利用するバチ当たりな連中ってことですよね。しかも歴史的事実を捏造して流布する点では特亜人と全く同じ。そう言えば最近のパヨク共は『自衛隊員の命が危ないから安保法制に反対だ』と抜かしてますが、これも人命を利用する点で全く同じ構図ですね。ヘソがほうじ茶を沸かしますよ、ホントに。

あと、今日のニュースでやってましたが、今日は沖縄復帰44周年だそうで、沖縄で平和行進とかいうのをやったそうです。思いっ切りパヨク団体が集結してましたね、家族連れで。こ奴らの主張は、基地も戦争も反対~米軍出て行け~、がメインなんですけど、その先が全く無いのです。つまり支那の脅威は無いことにして支那人民ポア軍の進駐を待っていると。そう考えざるを得ない訳です。無量大数が一、米軍の撤退は理解出来るとしても、それに代わる軍隊=我が皇軍、が代わりに沖縄に来るだけなんですが、それにも当然反対。連中の底意は丸見えです(支那人民ポア軍の進駐には反対しない)。

投稿: 素浪人 | 2016/05/15 13:08

軍事オタクさま、貴兄は「米国の原爆投下は戦争犯罪(war-crime)ではない」と仰っているのでしょうか、それとも「米国の原爆投下は戦争犯罪(war-crime)だが、その責任(罪責、guilt)は日本国=天皇にある」と仰せなのでしょうか?

貴兄の「責任」の用法には意味の曖昧な点があり、それが論理を曖昧にし、論旨の理解を妨げていると思われるので、お教え願いたいのですが…

質問1、貴兄の論旨が「日本に戦争責任(war-guilt)があるのだから、(戦争に関わる)全ての責任(liability)は日本にある」なら、「責任」の英訳は以下になると拝察いたしますが、宜しいでしょうか?
【私は個人的に敗戦を感じて「特攻」を考えた者の言い訳と断言しているが、仮に、嫌味として、その特攻を発明した者の言い分が正しいとすれば、戦争責任者(war-guilt bearer)、戦争犯罪者(war-criminal)は完全に天皇だ。】

質問2、それとも貴兄の「責任」とは、一般的な「responcibility」の意味で、日本側、敵側ともに成り立つ概念なのでしょうか?
【これは完全に天皇が戦争の最高責任者(in charge of supreme command)であることを認めているから成立する理屈である。 つまり彼は戦争の責任(responcibility)は完全に天皇陛下の責任(responcibility)と認めているのである。】

「責任」が「responcibility」の意味なら、論旨に対称性が生まれ、敵側でも同じ事が成り立ちます。
【これは完全に"米国大統領"が戦争の最高責任者(in charge of supreme command)であることを認めているから成立する理屈である。 つまり彼は戦争の責任(responcibility)は完全に"米国大統領閣下"の責任(responcibility)と認めているのである。】

つまり、戦争には相手があり、両方で戦争したわけだから、当然、敵=米国にも戦争の責任(responcibility)がある、という前提での話なのでしょうか?

以上、貴兄の「責任」の内容が多義的(ambiguous)なため論旨不明につき、宜敷ご解説お願いします。

投稿: neon>軍事オタクさま | 2016/05/15 15:06

昭和20年8月10日に日本政府が永世中立国スイス在加瀬俊一公使を通じて、米国政府に出した抗議声明。
(全文)


本日六日米国航空機は広島市の市街地区に対し多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり。
広島市は何ら特殊の軍事的防衛乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして同市全体として一つの軍事目的たるの性質を有するものに非ず。本件爆撃に関する声明に対して米国大統領「トルーマン」はわれらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊すべしと言ひをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすを以てこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは物理的に全然不可能なことは明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においても承知しおるところなり。


また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲に渡り右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女長幼を問わず、すべて爆風および幅熱射により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の障害状況より見るも未だ見ざる惨澹なるものと言ふべきなり。

抑々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び二十三条、(ホ)号に明定せらるるところなり。

米国政府は今時世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の輿論により不法とせられをれりとし、相手国側においてまづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ残虐性において従来かかる性能を有するがゆえに使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人徳の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。

而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比しざる無差別残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する罪悪なり。帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において、米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。
×××××

敗戦後にGHQが情報統制をしたために知られておりませんが、まことに立派な文章です。

あの惨禍の直後に、淡々と事実のみを指摘し、米国への悪罵めいたことは一言も書いておりません。我が帝国政府=鈴木貫太郎内閣には終戦の5日前にしてなお品位と格調がありました。
いずれが文明の側に属し、いずれが野蛮なのか、一目瞭然の文章だと思います。

投稿: レッドバロン | 2016/05/15 16:27

歴史は戦勝国が決める。もっと昔はは敗戦は奴隷になるが真実です。今の日本もそんな感じです。だから手段を選ばずで敵を叩きのめすが世界史でしょう。

投稿: ネット名無しさん | 2016/05/15 17:03

トルーマンが人間だったら、広島と長崎の惨状にさぞかし恐れおののいたことだろう。
コミュニストかぶれのルーズベルトが計画したこととはいえ、
決行を命じた当人にとっては深刻な心の枷となったはずだ。
当時の米国人にとって日本人は「黄色い猿」であり、
何十万匹屠殺されようが良心の呵責を呼び覚ますことはなかっただろうか?
トルーマンは「威厳も貫禄もない粗雑な小物」だったとされる。
だからこそ「まったく心が痛まなかった」と強がり、
表向きは自らを正当化することで、内心の恐れを隠ぺいし、
その後も水爆開発に突き進んだのだろう。

もし、トルーマンがその言葉通り心の痛まない人生を送れたとしたら、
米国は紛れもない精神障害者を大統領に据えたことになる。

投稿: やす | 2016/05/16 11:00

原爆投下が人体実験だったかはともかく、犯罪だったと断定できる状態ではないと思います。

皆さんが原爆投下が犯罪だったと断定する理由はハーグ陸戦条約を根拠とされていると思います。
この「条約」というのも国際法を形作る一つの要素なのですが、もう一つの要素である「慣習法」 ─多数の国家間で慣行とされているか─ が断定を防げている理由であると、私は考えます。

戦争というものの歴史を考えてみましょう。
元々戦争は政策や現状を劇的に変えるために行われていたもので、感情の発露を伴うものです。
だから当然無法状態となります。
戦争は本来、物資は略奪し放題、一般市民は虐殺し放題というわけです。
しかしそれではあまりにも残酷だということで、歴史を下るにつれ、捕虜の扱い方や非戦闘員の扱い方を規制する条約が制定されてきました。
ハーグ陸戦条約もその中の一つです。

一方、もう一つの要素である慣習法なのですが…
第一次大戦後、イタリアのジュリオ・ドゥーエという軍人が「制空」という戦略論を発表します。
航空機で敵の政治の中枢や工場などの戦略施設を破壊すれば短期間で戦争を終了させることが出来るというわけです。
戦争で多大な犠牲を払った各国は、その思想に注目、各国で空軍が創設されはじめますが、その戦略論の中に「総力戦では国民も国力を支える一つの要素なのだから国民を標的にするべきである。攻撃にさらされた国民は戦争終結を叫びだすので早く終わらせることが出来る」という無差別爆撃論があったことが、第二次大戦に影響を与えることになります。

この戦略論は各国で研究されますが、この理論を最初に実行したのがドイツで、スペイン内戦中にスペイン北部の街ゲルニカを実験的に無差別爆撃します。
この爆撃で一応の成果があったと認識したのか、ドイツは第二次大戦開戦直後のワルシャワ空襲やベルギー侵攻、そしてロンドン空襲でも無差別爆撃を実行し、その報復としてイギリスも無差別爆撃を開始します。
一方、ソ連も1941年にフィンランドとの間で始まった継続戦争でも無差別爆撃を実行することになります。
このように、欧州では、日米開戦までの間に、既に無差別爆撃が敵味方双方で行われるようになっています。
その後、アメリカも対日攻撃で無差別爆撃を行うので、もはや常態化したと言ってもいい状況になったと言えるでしょう。
つまり、この流れでは総力戦では無差別爆撃を容認する一つの慣習が成立していたと考えることが出来る可能性があると思います。
広島・長崎への原爆投下の目的は複数の理由が考えられますが、この無差別爆撃論の流れに乗っている可能性は高いと考えられるのです。

そして平和条約の締結。
「世界がさばく東京裁判」という本を監修した国際法学者の佐藤和男氏によると、平和条約は「(戦争の)全面的忘却」の精神に基づき、双方とも戦争犯罪を免除する「アムネスティ条項」が付随していると考えるのが慣習となっているとこの本の中で書いています。

結論として、アメリカの原爆投下は、国際法違反の可能性が不明瞭である上に、平和条約の締結により犯罪の追及も既に免除されていると考えられると思われます。
ただ、戦後の国際世論は人道犯罪は時効を設けず追及するべきという考えが出てきています(慰安婦問題が人道上の問題にすり替えられたのも、これが念頭にあったのかもしれません)。
原爆はハーグ陸戦条約第23条5条「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」の禁止に違反しているという説を唱える人もいます。
この考えからなら追及出来る可能性があるのかもしれませんね。

投稿: すぷー | 2016/05/16 22:56

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