日本のレーニン? 塩見孝也氏に捧げる挽歌
最近の塩見孝也さんを見ていると、もう悲しい。
表に出るのはやめてほしいよ。
何を考えているのか?
長い長い獄中生活でアタマが変になったんじゃありませんか?
19年9か月に及ぶ獄中生活。
率直に敬意を表します。
でも、あなたのせいで命を落としたり、長期刑を喰らった仲間も大勢いるわけですから、少しは反省してほしい。
正直、私は同じブントでも赤軍派にはいけませんでした。
「武装蜂起」に現実味を感じなかったからです。
で、そのあとどうなるの?
という疑問に答えがありませんでした。
が、憧れはありましたよ。
だから赤軍派との内ゲバには絶対に参加しませんでした。
それくらい、あなたは同時代を生きた後輩たちにとってはスーパースターだったのです。
「日本のレーニン」
そういう声も一部にありましたよ、確かに。
でも、結果から見れば、あなたの理論は単なる一揆主義にすぎませんでした。
あなたの組織名は一向健。
で、「一向一揆論」などと名づけられ、高く評価する人たちもいましたが、一揆で革命が起きるはずもありません。
北朝鮮に逃亡したあなたの手下たちは、北朝鮮の謀略に加担し、日本人拉致にも手を染めているのです。
責任を感じないのですか?
いい歳こいて未だに左翼やってる。
で、テレビ出演、生前葬、ネットでは目立ちたがりの自意識過剰…
2010年4月の生前葬のあとは、あまり目立たなくなったので、やっと悟りを開いたかと思いました。
が、昨年末には、ある雑誌であの山崎○太郎と対談(爆)
やっぱり目立ちたがりの性癖は直らないんですね。
私は、もう恥ずかしくて耐えられません。
「左翼民族派」?
「反米愛国」?
マジですか?
支離滅裂!
爆×2です。
塩見さん。
あなたは、自らのサイト「ぱとり(PATRI)」で次のように書いていますよね。
この為に、民族にまつわる様々な先入観を拭いさり、日本人、或いはアイヌやウチナンチュウ、在日コリアンにも同意され、同時に右翼の「物語り」「神話」「社稷」、或いは「国体論」のエッセンスをも包含するような、それらの言葉の底に流れる普遍的で共通な基層をシンボライズする民族概念、民族を愛する概念を僕は模索してきた。
なかなか見つかりにくかったが、遂にこの「パトリ」という言葉を見い出して僕は安定した。
松本健一さんに示唆されてのことでもある。
パトリは「源郷」を指すにしても、パトリオティズム(愛国心)、パトリオット(愛国者)という言葉があるように、単なるローカリズムや「田舎賛美」に収斂するようなフォーク、フォルキシズムを意味したり、そこに短絡したりしない。
"パトリを守る"とはパトリを集大成する、もっと広い社会生活単位としての「民族」共同体を愛し、守る、といった意味があるのだ。
例えて言うなら特攻隊の青年たちが身を捧げるに納得した、納得せざるを得なかった思想はまさに"パトリを守る"ということである。こういう意味で彼らの愛国心は維新の志士、民族の為に侵略戦争に反対し「祖国」の革命的敗北を実践した戦前日本共産党員、民族の為に「国と民族」の基に照らして為政者・特権階層の腐敗を糺さんとした二・二六将校達の愛国心もパトリオティズムに通ずるのである。
私は、ここから、あなた自身の総括をまったく読み取ることができません。
単なる自己の合理化、正当化にしか思えませんね。
あなたが率いたブント赤軍派が1969年9月に発した「結成宣言」の一部を下に書いておきますから読み直してみてください。
ブルジョアジー諸君! 我々は君たちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、ここに公然と宣戦を布告するものである。ブルジョワジー諸君! 君たちがたとえ、アメリカ軍、NATO軍、安保軍、ベトナム連合軍など等全世界の警察を総動員しようとも、君たちが骨抜きにし変質させたソ連、ワルシャワ軍までをも動員したとしても、我々は全世界のプロレタリア人民の力を世界党 世界赤軍 世界革命戦線の下に結集し、必ずや叩きのめしてしまう事を通告する。
~中略~
君達にベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのならば我々にも君達を好き勝手に殺す権利がある。
君たちにブラック・パンサーの同志を殺し、ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ド・ゴールを殺し、ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君達の家々を爆弾で爆破する権利がある。
君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君達を銃剣で突き刺す権利がある。
~後略~
で、2か月後の11月5日には、首相官邸を襲撃するための軍事訓練を行うために大菩薩峠に結集していた主力部隊53名が逮捕。
大菩薩峠に公安警察を導いたのは、赤軍派内のスパイですよ。
何が「日本のレーニン」ですか?
どこが「日本のレーニン」ですか?
日本刀や猟銃で武装した50~100人の部隊が、ダンプカーに分乗して首相官邸に突入、占拠する?
あとで知りましたが、もうマンガです。
あなたは、私より上の世代から圧倒的シンパシーを獲得していました。
知名度も抜群です。
もっと違う生き方ができる、そう思うのですがいかがでしょう?
より良き晩年を生きてほしい…
と心の底から願う次第です。
元赤軍派議長の塩見孝也氏の生前葬が24日夜、東京の総評会館に約200名が参加して賑やかに催された。情勢は沖縄で「米軍普天間飛行場の国外・県外移設を求める県民大会」が開かれようとする前夜であった。世間で珍しい「生前葬」はこの沖縄の米軍基地撤去を勝利させる闘争資金集めとして企画された。
生き恥をさらす、とは、このことじゃありませんか?
塩見先輩!
【追記】
今更ながら塩見さんに触れたのは、今日が、あの「あさま山荘事件」からちょうど40年目だったからです。
塩見さんに直接的責任はありませんが、事件を起こした連合赤軍(連赤)のメンバーの中に元ブント赤軍派がけっこういた。
謂わば、塩見さんの手下(てか)です。
森恒夫は、田宮高麿を見返したくてああいう風になっちまった。
塩見さんを信じて武器を取った。
連中のやったことは、言語道断!絶対に許されない、という点ではオウム真理教の比ではありません。
左翼とそのイデオロギーの醜悪さを満天下にさらけ出したという意味では意義がありましたが、それがもたらしたネガティブな影響は未だに残っています。
人間の恐ろしさ、正義のむなしさ、真理の持つ偽善、全共闘運動はあれでトドメを刺されました。
塩見さんは森や永田洋子を批判していますが、その原点に自分がいた、ということを忘れないでいただきたい。
人間には想像力があるのです。
だから他者の痛みを感じることができる。
他者に自分を置き換えることができる。
が、それがまったくなかったのが連合赤軍。
左翼思想の成れの果てです。
その責任の一端は、塩見さん、あなたにもあります。
私にもあるかもしれません。
連赤の所業、これは今もって悪夢です。
私は、この事件を未だに総括できません。
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コメント
まあ、成功した「革命」には劇的な(or バクチ的な)魅力があって、「フランス大革命」にしろ「ロシア革命」にしろ、魅了される人は魅了されると思いますね(w
http://www.youtube.com/watch?v=vnkZ4o7C-DE
投稿: neon | 2016/05/12 16:04
「一向一揆論」ですか?
なんだか、私の個人的な仮説=日本の左翼の原点はその国際主義にあるのではなくて、江戸時代の土着的な百姓一揆にこそ存するのではないか、という疑念を裏打ちするような…(笑)
そうすると成田闘争に極左が埋没して行った理由も解るのですよね。坂様が仰ったようにあれはどう見ても左翼運動ではありません。農民たちと一緒に闘っているうちに、情が移って、真面目な人間ほど足抜けできなくなるという。
♪利根の川風袂に揺れて♪
止めてくれるな妙心殿、落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、行かねばならぬ、行かねばならんのじゃ!
どう考えても平手御酒ですね、ありがとうございます。彼は千葉道場でも5本の指に入る使い手ながら、酒に溺れて破門され、やくざの用心棒に身を落として、やがて体を煩い、大利根河原の決闘で討死したという。かの平手御酒は歌謡曲や浪曲で有名ですが、しかし実在の人物です。
塩見さんの対極の人物は誰だろう。70年代の全共闘系の先輩が信奉していたフランスの作家で、ポール・ニザンというのがいましたが、坂様はご存知かな?
30年代のフランス人民戦線の文化面を代表する人物ですが、彼はソ連がナチス・ドイツと独ソ中立条約を結ぶや、共産党に脱党届を叩きつけ、一兵士として出征し、第二次大戦の戦塵の中に消えて行きます。
それまでフランス共産党はモスクワの長女と言われるほどコミンテルンに忠実でしたが、それがソ連の大国主義に完璧に裏切られる形になるのですね。あの情勢でソ連がドイツと結ぶことは、ドイツに対してフランス及びポーランドへの攻撃許可をどうぞどうぞと、与えたようなものです。フランスの左翼にとってはショックだったでしょう。彼らは自らの判断ミスは、自らの血によって購う他はありませんでした。ニザンは30代で死にますが、当時の国際政治の厳しさを見る思いがします。国際政治?なにそれ、おいしいの?という塩見さんとは決定的に違います。
理想を持った人間だけが、固い現実に突き当たるのです。塩見さんに現実認識能力がないのは、彼の理想そのものがつねに曖昧模糊として、訳のわからない代物だからとしか思えません。逆も真なり。ニザンの短い人生は、私にそのようなことを教えてくれるような気がします。
投稿: レッドバロン | 2016/05/14 11:51