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2016/06/02

連合赤軍 永田洋子の死に思う


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~以下のエントリは、5年以上前に書いたものであるにもかかわらず、直近3年間の読者数は23,384人に上り、順位は私の全エントリの中で第8位に位置しております。
また、このエントリは、当時Yahoo!ニュースで「関連記事」として既成メディアの記事とともに取り上げられました。
私にとっては思い入れの深い記事であり、ぜひ皆さんにご再読いただきたいと思う~

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永田洋子死刑囚(65)が5日、息を引き取った。
あの連合赤軍(連赤)の最高指導者だった女である。

「銃口から政権が生まれる」
という毛沢東の教えの虜になった思想は、
「総括」と称して仲間を死に追いやり、あさま山荘での壮絶な銃撃戦で終末を迎えた。
群馬県の榛名山や迦葉山の山岳アジトなどで12人の同志の命を奪った「山岳アジト事件」(71年12月~72年2月)。
その詳細は、残酷すぎて、私は言葉にできない。

Asamasanso
銃を構える坂口弘と吉野雅邦

人間の「真の解放」を目指したはずの人間が、同志を、仲間を虫けらのように殺害する。
正義感に燃えていたはずの人間が、どうしたらここまで残虐になれるのか?
そのギャップ、というより真逆に思える行為に、私は震撼した。
何を信じたらいいのか分からなくなった。

人間社会を階級の対立として捉え、支配される階級が支配する階級を暴力で倒す、それこそが人類が歩むべき正しい道。
そして、その暴力による闘争、つまり革命を指導するのは少数の前衛(職業革命家)。
今にして思えば、このような「選ばれし者が絶対」という思想がもたらした必然のような気がする。

当時は、まだ毛沢東による文革の暴虐は明らかにされていなかった。
クメール・ルージュによるカンボジア大虐殺も、この後のことだ。
もし、当時、日本のメディアで唯一中国に駐在していた朝日新聞や一部の狂信的知識人が、文革を賞賛していなければ、この事件は起きなかったかもしれない。
が、共産主義革命の本質は暴力であり、前衛が暗愚な大衆を覚醒させる思想である、
という点で、
この事件は、起こるべくして起こったと受け止めるべきだろう。

この、いわゆる「連赤事件」で、左翼活動家の多くが戦線を離脱した。
彼らは、このショッキングな出来事を他人事とは思えなかったのだ、私も含めて。
が、それでも、この事件を真摯に総括せず、あれは特殊な事件、誤った思想が引き起こした例外とする者たちもいた。
つまり、永田洋子を始めとする連赤のメンバーは、真の共産主義者ではない、という立場である。
それが革マル派や中核派、そして革労協だ。

が、このカルト3派は、その後、お互いに血で血を洗う凄絶な内ゲバを繰り広げた。
死者は100人を超え、負傷者は数千人に及ぶ。
手口も、バールで頭蓋骨を砕くなど、最初から殺人を狙ったものとしか思えなかった。
革労協に至っては、対革マル戦終結後は、身内同士で殲滅戦を始めた。
凶器は出刃包丁や工業用ハンマーを使用、組織はついに自滅した。

これらも、本質は連赤と同じである。
自ら前衛を名乗る連中にとって、反対派は反動であり、反革命であり、権力の手先である。
だから抹殺するのは革命の大義にかなっている。
が、中核派はいまや四分五裂の状態にあり、革労協はほぼ消滅した。
革マル派も、JR総連などの労働者部隊(JR革マル派)が離反し、少数のカルト信者が市民運動や日教組に潜り込んでいるだけだ。

連赤事件を総括しなかったカルト左翼、彼らは、実は権力の手の平で踊らされていたに過ぎない。
過激派は、冷戦時代に、体制の最大の脅威だった日本共産党を牽制する上で重宝な存在だった。
すべての過激派が「反日本共産党」だったからである。
また、内ゲバは、過激派自らが滅亡の道を歩むという点で、権力にとっては歓迎すべき出来事だった。
だから内ゲバ殺人が頻発しても、実行犯はまず検挙されなかった。

大学もそうだ。
早大は革マル派の、法大は中核派の、明大は革労協の拠点であり、彼らは学生自治会費や大学生協の資金を自らの活動資金に流用していた。
が、早大が革マル派排除に動いたのは1990年代後半、法大が中核派排除、明大が革労協排除に動いたのは2000年代に入ってからである。
つまり、冷戦が終結し、日本共産党の勢力衰退が誰の眼にも明らかになってからである。

Morinagata
森恒夫と永田洋子

連赤の、もう1人の最高指導者、森恒夫は事件発覚後、拘置所の独房で首吊り自殺した。
この男は元ブントだったので、自殺(自決)してくれて、私はほんの少しだけホッとした(ただ、よく考えてみれば、この男こそ死刑に処するべきだった)。
が、永田洋子は今日まで真摯に反省していなかった。
「死人に口なし」をいいことに、森に責任を転嫁する、あるいは自らを正当化する、前衛の末路がこれでは、殺された者はどこまで行っても浮かばれない。
私は、永田洋子の病死に納得がいかない。
この女の最後は、絞首刑であるべきだった。

革マル派や中核派、革労協の内ゲバ殺人犯もそうだ。
こいつらが、のうのうと社会の中で生きているなんて許されないことである。
しかも、連中の大半は「革命軍」などと称して地下に潜っている。
こういうやつらは、存在そのものが凶器であり、社会の敵以外の何者でもない。
中には、法改正で時効が適用されなくなった者たちもいる。
警察は、本気で彼らを捜査し、検挙するべきである、と私は思う。

連赤事件から40年、私も年を取った。
が、この事件だけは生涯忘れることはない。
正義が狂気に化ける、
狂気が凶器に対する畏れを消す、
そして、人は人ではなく、憎むべき敵になる。

思えば、私たちは頭でっかちで、想像力に欠けていた。
人という存在、人としての心、生きるという意味、すべてが理屈の中にあった。
痛みを知ろうとせず、思いやろうとせず、ただ敵か味方か、真理か異端か、それしか考えなかった。
その報いが連赤事件や内ゲバである。

想像力こそが、人が人たる所以である。
自らの脳で考え、心で思い煩い、自らと他者の痛みを知る、
そうあってこそ、初めて私たちは豊かな人間になれる。

左右のカルトを粉砕せよ!


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【追記】
以下は森恒夫の遺書(メモ)である。

 御遺族のみなさん、十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、階級性、革命性を守ろうとした革命的同志であった。
 責任はひとえにぼくにある。
 同志のみなさん、常に心から励まして下さってありがとう。お元気で。
 父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質したのである。お元気で。
 愛する人へ、希望をもって生きて下さい。さようなら
 荷物は坂東君に

 一九七三年一月一日   森恒夫

この遺書(メモ)を読んで、私は激しい憤りを覚える。
何という無責任
何という甘え
これでは「十二名の同志」は、ほんとうに浮かばれない。

【追記2」
このエントリは2011/02/06の再掲です。

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