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2016/06/16

連帯を求めて孤立を恐れず


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先週後半から14日まで、一週間ほどブログを更新できませんでした。
心身ともに何かと忙しくてね。
なかなか時間が取れません。
しかも、もう歳なので疲れちゃうんです(笑)

と言うことで、今日も過去のエントリを再掲させていただきます。
内容は、若き日の私そのものである全共闘運動の総括です。

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私は全共闘運動を全否定できません。
もちろん共産主義運動やプロレタリア革命はアナクロニズムであり、人間を憎悪する思想だと思っています。
が、全共闘運動を共産主義で割り切ることはできないのです。

全共闘運動の根底にあったもの、それは個の確立と自立だったと思います。
既成の権威に対する盲目的な服従の拒否、不合理に対する無批判な隷属の否定、これらが全共闘運動の主要な側面であったことは間違いありません。
突き詰めれば、共産主義は全共闘運動のごく一部に過ぎず、その本質は左右の偽善やドグマ(dogma)に対する反発でした。
そういう意味では、この運動は反共運動でもあったと思います、逆説的に捉えれば。
で、私は未だにその意識を抱いています。

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「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」
これは、1969年1月、東大の安田講堂に立てこもった全共闘の学生が、壁に書き残したものです。
この精神は、思想の左右を問わず心に響く何かがある、と今でも思っています。
ある人はこれを玉砕主義と言い、別の人は革命的敗北主義と言います。
が、私は違うと思います。

これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する。

これは、私が当時好きだった高橋和巳の言葉ですが、右顧左眄せず、己の信条・信念を貫く、この心構えこそ世の中を変革する原動力になるのではないでしょうか。
私は、明治維新を前に倒れていった多くの志士たちに同じものを感じます。
革命が成功して、後に残ったのはずるいヤツらばかり、ほんとうに優れていた者ほど早く死んでいく。
私はそう思います。

「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」
青臭くてもいい。
こういう自己犠牲と使命感に満ち溢れた政治家が現れてほしい。
ジジイの独り言でした。

なお、「連帯を求めて孤立を恐れず」とは、谷川雁の言葉だそうです。
革命家から資本の側に転向した谷川は、以後、何も語りませんでした。
これもサムライ、そう思います。

【追記】
全共闘運動が挫折した最大の原因は「ナショナリズムの欠如」だったと思っています。
インターナショナルという幻想に酔っていた。


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このエントリは2011/08/02の投稿を一部訂正・加筆したものです。

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左翼&共産主義」カテゴリの記事

コメント

「連帯を求めて孤立を怖れず」
良い言葉です。全共闘運動の理想主義的な部分を代表しています。

東大紛争は医学部における無給医局員の問題が発端でした。一方において日本最大のマンモス私学・日大の場合は古田会頭らの乱脈経営への追及からでした。それがどうして極左・反体制運動に絡めとられていったのか、さっぱり判りません。

とくに東大の場合は全国の学生運動の天王山ということで、各セクトが全国動員をかけ、とりわけ中核派の登場によって、学内の破壊・暴力の勢いが増して行ったように思います。安田講堂の攻防戦があった頃の学生部隊の主力は、既に全共闘ではありませんでした。

フランスの「5月革命」では、ド・ゴール政権がパリ郊外に空挺隊以下の精鋭部隊を集め、市街地に突入させる寸前のきわめて緊迫した情勢にあって、労働者の支援を受けた学生らは政府と交渉をし続け、見事に大学改革の実を勝ち取っています。

それに引き換え、全共闘は?政治的にはただのいい格好しいの、あだ花に過ぎませんでした。東大全共闘議長・山本義隆の著作「知性の反乱」を私は今でも覚えていますが、逆に全共闘には政治的知性が無さすぎました。

全共闘の全盛時代に? 三島由紀夫氏と東大全共闘の対論が行われました。そこで三島さんの日本の歴史、民族、文化に対する思いを徹底的にチャチャを入れ、それにしても余りのレベルの低さから仲間に「東大全共闘の恥」と言われていたフーテン風の男は、その後、地方公務員になったんですって。悲しいかな、それが多くの全共闘人生の実態ではないでしょうか。

アンドレ・マルローはそれまで自らの「反回想録」に日本のことは一行も触れなかったのに、三島さんの自決を受けて、新たに何十ページかを書き足しました。そこで彼はこのように書いています。

最初の炎がジャンヌの身体に届いた時に、フランスの往古の騎士道はすっくと立ち上がったのだと。その空洞の眼もて、すでに動かなくなった、騎士道の焼死体そのものと化したフォルムを見たのだと、三島さんの割腹自決をジャンヌ・ダルクの火刑に喩えた表現をしていますが、なんとも凄味があります。インパクトが大きかったのですよ。

翻って、日本の全共闘運動が世界に影響を与えた要件など皆無です。普遍妥当の真理、そんなもんは、フランスの左翼にまかせておけばよいのに。(笑)1789年の不滅の宣言以来、彼らの独壇場なのですから。

坂様のお説に賛成で、ナショナリスティックな契機のない日本人の発言や行動など、私にとって何の意味もありません。日本は、日本人であることによって、はじめて世界に貢献できるのですから。

投稿: レッドバロン | 2016/06/18 18:38

>既成の権威に対する盲目的な服従
(と思える家族)
>の拒否、

>不合理に対する無批判な隷属
(と見える庶民)
>の否定

かと

投稿: 刺激 | 2016/06/18 18:50

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