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2016/07/05

多少は不平等でもより豊かな社会を目指せ!


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私が、このブログを立ち上げたのは2005年3月12日。
そのころ生まれた子供が、この春、小学校1年生です。
早かったような、長かったような、その時々で私の中の6年間が変わります。

相変わらずの激変、浮き沈みの激しい私の人生を凝縮したような6年間でした。
そういう意味では早かった。
しかし仕事の負担、身体の不調、それが続いた時は長く感じましたね。
今は、仕事の負担も少なく、体調もかなり回復、その代わり収入は落ち込みましたけど、精神的にはずいぶん楽になりました。

ブログは時間的、そして精神的に余裕がないと書けませんからね。
その点、今はゆとりがあります、金銭的を除いては。

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「依存症の独り言」を書き始めた時に53歳だった私は、もう59歳になりました。
このごろは歳を感じることがしばしばあります。
「永遠の不良少年」とうそぶいていたころがウソのようです。
品行方正、極めてリーガル(legal)な毎日を送っております。
もう昔のような直情径行はありえませんね、残念ながら。

若いということは可能性が大きいということ。
なんでもできる、なんにでもなれる、という自信と希望に満ちています。
体力もあるし、記憶力もいいし、知識を吸収するのも早い。
もう年寄りは勝てません。
が、年を取ることで手に入るものも多いのです。

その最たるものが知識と経験です。
この間に蓄積された知識と情報の量は、若い時とは比較になりません。
しかも若い時の「机上の学問」と違い、人生という経験に裏打ちされた知識と情報ですから判断力が違います。
なにより人間を見る目が肥えました。
世の中を判断する際の裏付けが格段に増えました。
記憶力と体力は、昔と比べれば見る影もありませんが、人間としての成熟度は天地の差があります。

ふり返れば、充分に未熟でしたね10代後半から20代にかけては。
いっぱしの大人ぶって人間を語り、社会を語り、世界を語っていましたけれど、今になって思えば、まるで子供でした。

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私が10代後半から20代前半にかけて信じていたマルクス主義。
これは共産主義とも言います。
が、実はこれはマルクスの思想ではなかった。
どういうことかと言えば、マルクスが解析し体系化した理論は、「主義=ism」に変質した時点で、マルクスとは無縁のものになったのです。
それはイデオロギーとなり、教条主義に転化し、最後は偏狭なドグマ(dogma)に陥ったのです。

マルクス主義は間違っていない、と言う人が未だにいます。
マルクスは先進国での革命を想定していたが、それが不幸にも後進国のロシアで起こり、しかもレーニンを引き継いだスターリンが、それを完全に変質させてしまった―
彼らの言い分はこれです。
が、それは違います。
マルクスの理論が「主義=ism」になった、つまり信仰の対象になった時点でスターリンの登場は必然だったのです。
スターリンの神格化、共産党の無謬神話、意見の異なる者に“反革命分子”というレッテルを貼り粛清する、これらはマルクスの理論ではなく、「主義=ism」がもたらした結果なのです。

反スターリン主義を掲げる中核派や革マル派を見ればそれがよく解ります。
実際、彼らは無謬性を誇り、意見の異なる者に“反革命分子”というレッテルを貼って抹殺しています。
要するに、中核や革マルにおいては、マルクス主義≒スターリン主義がスターリン主義≒反スターリン主義に転化したに過ぎません。

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Marx2

私が陰謀論者やそれを擁護する左右のカルトを批判するのは、私の若い時の経験に基づいています。
陰謀論者が流すデマゴギーは、偏狭なドグマ(dogma)と化しています。
そして、それは、一部とはいえ社会的経験に乏しく視野が狭い人たち、あるいは事物を相対的に観察することが苦手な人たちの心を捉えています。
彼らは狡猾ですから、“陰謀”という感性に訴えやすい言葉を用いて、そういう人たちを洗脳するのです。
理性ではなく感性に訴える、ここに陰謀論者の悪質さがあります。

中身は低劣なプロパガンダですが、一応もっともらしく構成されています。
が、そこには客観的な検証は存在せず、主観と恣意的な論理で埋め尽くされています。
にもかかわらず、洗脳された人たちはそこから抜け出せない。
もう、ある種の信仰の域に達しているからです。
だから私は、陰謀論者やそれを擁護する左右のカルトを徹底的に批判するのです。

私は、幸いマルクス主義による洗脳を克服できました。
それは、社会に出て様々な困難を経験したからです。
が、一方において、説得力のある共産主義批判が役に立ったことも事実です。
特に、立花隆氏の「中核VS革マル(上)(下)」(講談社)は目から鱗でした。
だから私は、これからも陰謀論者やそれを擁護する左右のカルトを批判し続けます。

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ところで私は、マルクスの理論がすべて間違っているとは思いません。
資本主義を分析し理解する上で、これ以上のものはありません。
資本とは何か?労働とは何か?を理解する上でマルクスの理論は欠かせないのです。
また、人間存在を考える上でもマルクスの認識論は非常に参考になります。

ただ、私は、マルクスの考えは根底の部分で間違っていると思います。
マルクスが理想としたのは、自立した市民が生産手段を共有して自覚的に生産活動(労働)をする、という社会でした。
ここにおいては、市民、つまり人間は高い理性を有しており、しかもそれは「共通の理性」でなければなりません。
が、すべての人間が「高い理性」を有するなんて考えられない、というよりありえない、
自覚的に生産活動(労働)をするとは思えない、
と私は考えるのです。

近代社会は、人間の欲望を肯定する市民社会の成熟とともに発展してきました。
そしてそれは、必然的に富の蓄積をもたらし、不平等な資本主義社会を生み出しました。
一方において、欲望を抑制し、生産手段を公有化することによって平等な社会の実現を目指したソ連型社会主義は崩壊しました。
つまり、今の不平等で歪(いびつ)な資本主義が、物質的な繁栄を享受する上でもっとも最適なシステムであるということを歴史が事実として私たちに突きつけたのです。

【注】
ここで言う「理性」とは、自己の内にある矛盾(葛藤)を止揚して、より高い次元へ至る「具体的な思考能力」を意味します。

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私たちは今、
多少は貧しくてもより平等な社会を目指すのか、
多少は不平等でもより豊かな社会を目指すのか、
の選択を迫られています。
前者は個人や企業の自由をある程度抑制し、国の関与を大きくする政治であり社会です。
後者は個人や企業の自由をできるだけ拡大し、国の関与を小さくする政治であり社会です。

私は、教育と医療と福祉は国が積極的に関与するべきだが、経済活動一般はできるだけ制約を少なくするべきであるという立場です。
付け加えると、結果の平等には反対ですが、機会の平等は保障されなければならないと考えています。
その観点からすれば、機会が保障されない非正規社員の割合は、できるだけ少なくするべきです。

皆が平等で、皆が豊かな社会、それは理想ですが、現実にはありえません。
それがあるのは、社民党や共産党のスローガンの中だけです。

参照:共産主義はなぜ破綻したのか?(1) (2006/07/13 依存症の独り言)


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このエントリは2011/03/27の再掲です。

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コメント

記事の流れからは幾らか逸脱しますが、普遍的な資本主義を前提とするのではなく、我が国独自の~という枕詞がキーワードになって来る、いや来るべきだと思うのです。この点、『かつて』安倍さんが瑞穂の国の~と言っていたことの理念と重なるかも知れません。

例えば談合。今では独禁法で禁止されていますが、これは確か年次要求でメリケンから『命令』されて決められたものです。談合は、或る地域の特定業者(土木・建築業界など)が、持ち回り的に公共事業を受注出来る仕組みで、言わば業界内の『共存共栄』を図るものでした。それが外国の命令により禁止され、摘発される例が毎年の様に出ているのです。潰れなければそこに働いていた従業員は食べて行くことが出来ていたのです。

あと象徴的なのは郵政民営化でしょう。郵便・保険とセットでは黒字だったのに、これまた簡保資金目当てのメリケンの命令を受けた小泉の手により分割民営化されたのです。これは国鉄民営化とは全く意味が異なりますが、混同している人が未だに多い様です。今、メリケンはJAにもその触手を伸ばしています。

その他では規制緩和ですね。タクシー業界・トラック業界・バス業界…業界全体が悪くなった所ばかりです。

要するにグローバル的な考えを信奉して行くと我が国は全く長所を発揮出来ず、(主に経済的な面で)外国の食い物にされるだけです。それは今の我が国を見ていればよく分かると思います。七~八割程度鎖国した方が良い位かも知れません(我が国は元々内需だけで十分生きて行ける世界でも希な国です。資源などは輸入せねばなりませんが。)

投稿: 素浪人 | 2016/07/05 23:19

ふりさけみればドグマとは大きな影響を人類に与えて来ました。
マルクスがいなくても別の名前の共産主義が誕生していたかも知れません。
宗教もキリスト教、イスラム教なども多数の人的被害を出して来ました。
現在卑劣なテロでISなどがたくさんの不幸を作り出しています。
また今後大きな災いになるかも知れない中国の動き、中華民族の偉大な復興という掛け声も洗脳をもとにした熱狂を呼ぶもののようにも思えます。

世界はいつになっても非生産的です。

投稿: Pin | 2016/07/05 23:29

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