連合赤軍≒革マル≒オウム≒左右のカルト
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昨日のエントリの【追記】で―あの「あさま山荘事件」からちょうど40年目―と書きました。
40年、長いですよね。
それでもメディアは大きく取り上げていました。
それだけ衝撃的な出来事だった、ということです。
私もこの事件だけは忘れられません。
まるで当事者のような意識が働きます。
彼らが同じ共産主義者であったこと、そしてメンバーの中にブントの先輩がいて、主導的役割を果たしたこと。
だから私に、逃れられない当事者意識が働くのです。
不謹慎な物言いになりますが、私は「あさま山荘」の銃撃戦に熱狂しました。
左翼学生の大半がそうだったと思います。
で、第2第3の銃撃戦が起きる、皆そう期待しました。
が、直後に打ちのめされるような事実が発覚します。
まさに奈落の底に突き落とされたような絶望的な気分。
最初は信じられませんでした。
「殺されたのは公安のスパイだろう」と思いました。
が、殺害されたメンバーの中に知ってる先輩活動家がいて、報道されていることが事実であると自覚しました。
12人が「総括」という名のもとに処刑されました。
処刑方法は残虐非道で、まず他のメンバーが全員で顔の判別がつかなくなるほど
“被告人”を殴りつける、内臓が破裂するほど蹴りつける。
食事も与えず、衰弱すると、両手足を縛って極寒の屋外に放置する。
死因の大半が凍死で、胃の中は空っぽでした。
中には、「総括」が期待できないと判断され、「死刑」を宣告された挙句、アイスピックで何度も刺された上に絞殺された者もいました。
また、兄の殺害を、あるいは妊娠8か月の恋人の処刑を強要された者もいました。
処刑の理由も些細なこと。
化粧をしている、異性と親しくした(恋人同士)、規律を守らない、兵士としての自覚に欠ける、リーダーの森恒夫より理論上手、顔が美人、等々信じがたい理由で“革命戦士”たちは処刑されたのです。
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この事件を、あいつらは人間じゃない!と非難するのは簡単ですが、やはり、なぜこうなったのか?を明らかにすることが重要だと私は思います。
私にはその責任がある、と考えるのです。
理由の一つは、リーダーだった森恒夫と永田洋子の人間性にあります。
赤軍派の中でバカにされていた森、容貌や女性としての魅力に劣等感を抱いていた永田。
この森と永田のコンプレックスが根底にあるのです。
京大出身で関西ブントの理論家として知られ、赤軍派内では森より格上だった山田孝が処刑されたこと、赤軍派の女性メンバーで女王様的存在だった遠山美枝子が、まず永田に目を付けられたことなどがそれを証明しています。
次は、当時の彼らが置かれた環境ですね。
彼らは公安警察に追われ都市部では活動できなくなっていました。
で、山岳地帯に逃げ込んだのです。
それでも公安の追跡はやまず、山岳ベースと名付けた拠点を転々としました。
榛名ベース―迦葉山ベース―妙義ベースと彼らは移動する(逃走する)わけですが、いずれも自分たちで作った粗末で小さい山小屋であり、外は氷点下の極寒でした。
こういう閉ざされた空間の中で雑魚寝の共同生活を続けていく。
一方で公安の追手が迫っている。
精神的に追い詰められるのも無理はありません。
三番目が毛沢東思想の影響。
毛沢東は熾烈な党内闘争(粛清)を繰り返しながら中国共産革命を成就させました。
連合赤軍の半分は、毛沢東を崇拝する革命左派神奈川県委員会(京浜安保共闘)出身でしたから、メンバーの粛清に違和感があまりなかったと思います。
ただ、以上の理由は付随的なもので主因ではないと私は思っています。
決定的な原因は、「極めて日本的なマルクス主義」です。
日本のマルクス主義(共産主義)は「主体論」が根本にあります。
これは西田哲学を源流としています。
西田哲学の神髄は「絶対矛盾的自己同一」です。
「我はすなわち天なり。天すなわち我なり。」を実感すると人は悟りの境地に至る、これが「絶対矛盾的自己同一」ですが、マルクスの師であるヘーゲルの弁証法も、西田哲学と真逆のようで実は同じなのです。
すなわち社会や歴史も、絶対精神(理性)の自己実現―という点で両者は共通するのです。
だから戦前、西田哲学の徒だった梯明秀や梅本克己などが戦後、マルクス主義者になりながら、そこに「主体論」を持ち込めたわけです。
この「主体論」をさらに純化させたのが革マル派の教組・黒田寛一(通称「黒寛」)です。
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黒寛理論(哲学)では、「プロレタリア的人間としての主体の形成」が求められ、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げた者によって構成される強固な“前衛党”」が革命闘争を指導するとされています。
つまり、革命理論を学び、思想を固め、ブルジョア的なものを排除し、自己を共産主義者として確立する―これがプロレタリア的人間への過程ですが、これではまるで求道者です。
宗教の信者が、その信仰のレベルを高め、より神(もしくは教組)の教えに近づこうとする、これとそっくりです。
そこにおいては、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げた者」という“選民”が誕生します。
逆に言うと、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げていない者」がマルクス主義を標榜し、革命家を名乗ることは異端であり、反革命となるわけです。
そこでは異端者は抹殺の対象になります。
私は、連合赤軍による大量リンチ殺人の根底には、「プロレタリア的人間への自己変革」を求める黒寛的な思考があったと思っています。
つまり、犠牲者は「プロレタリア的人間=革命戦士としての主体の形成が不十分」=小ブルジョア(プチブル急進主義)とみなされ、暴力による「総括」が実行されたのです。
革マル派の「革命の主体形成」=“前衛党”建設至上主義が、連合赤軍においては「銃による党の建設」=唯武器主義に化けただけで、その本質は同じだったと思います。
革マル派が中核派や革労協と、血で血を洗う凄絶な内ゲバを繰り広げたのも、黒寛哲学が大きく影響しています。
革マル派から見れば、中核派や革労協は「プロレタリア的人間への自己変革」が不十分なプチブル急進主義者であり、解体するべき存在です。
革マル派の第一目標が権力の打倒ではなく他党派の解体であったところにその特徴がよく表れています。
連合赤軍が殺害したメンバーは12人ですが、革マル派と中核派及び革労協の内ゲバによる死者は判明しているだけで86名を数えます。
重い後遺症を引きずる重傷者は数知れず。
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欧米先進国の極左(過激派)で、日本のような陰惨な殺人が横行した例はありません。
つまり、日本の内ゲバ殺人には、マルクス主義(共産主義)が持つ本質的な問題=独善と排他性以外の原因があるのです。
それは、求道者的思考回路に陥りやすい日本人特有の体質にあると私は思っています。
そういう点では、オウム真理教事件も似たところがあります。
彼らは「ポアする」=「魂を救済する」として脱会者や脱会しそうな信者を殺しました。
連合赤軍の「総括」も、革命戦士としての自覚を促すために実行された「援助」であり、その結果の死は「敗北死」と呼ばれました。
革マル派は、リンチによる自己批判を迫るのが常でしたが、彼らによれば、自己批判は「プロレタリア的人間への自己変革」を開始するための第一歩でした。
道を究めるという日本人の長所が、イデオロギーや宗教の世界に持ち込まれると狂気に化ける、そんな気がしてなりません。
私の救いは、私が所属したブントは四分五裂しましたが、内ゲバで死者を出したことがない、という点です。
赤軍派が分裂したとき、望月上史さんが死亡しましたが、これは事故でした。
ブントは黒寛理論(哲学)の対極にいましたし、「プロレタリア的人間への自己変革」より闘争優先、運動重視でしたから深刻にならなかったのだと思います。
その代り、ブントは雲散霧消しましたが、革マル派は未だに生き残り、社会の至るところに根を張っています。
やはり“宗教”は強いのです。
思想の左右を問わず、あるべき人間像を固定化し、それ以外の人間を排除、抹殺するという硬直した思考回路に陥らないように心したいものです。
よろしくお願いします。
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連合赤軍事件の主役の一人、坂口弘死刑囚がオウム真理教の事件について朝日新聞に手記を寄せていました。
1996年4月のことです。
私は当時、これを読んで深い感銘を覚えるとともに、自らに目覚めました。
以下は原文です。
この手紙が、あなた<オウム信者のこと>を始めとする潜伏中の皆さんの目に触れることを念じつつ書いています。
かつて、重大な過ちを犯した人間である私は、地下鉄サリン事件など一連の事件に関与したオウム真理教信者の方々に対し、痛ましい思いで深い同情を禁じえません。
あなた方は、サリンをまくためにオウム真理教に入信されたわけではないでしょう。また、地下鉄サリン事件を立案し、計画したわけでもないようです。教団の中にあって、たまたまその地位や立場が悪かったために指名手配され、実行に関与することになったのです。私自身の経験から、組織の中にいて、そのような指示を容易に拒めるものではないことはよくわかります。
僧侶の林さん<泰男容疑者のことか>と左翼の私とは、住む世界が異なりますが、それにもかかわらずお互いによく似た傾向があることに気づかされます。それは、カリスマ性をもつ指導者への帰依です。かつての私は、この傾向が人一倍強い人間で、恋も及ばぬほど熱烈に指導者を愛し、忠誠を誓い、この人のためなら死んでもおしくないとまで思っていました。
この盲目性から私は、組織が始めた武装闘争に加わり、獄中にいた指導者の奪還を企てたのですが、これが武器のエスカレートを招き、その過程に脱落した仲間を口封じのために殺害し、さらに、目的を変じて、山岳ベースでの大勢の同志殺害からあさま山荘でのろう城発砲へと、命がいくつあっても足りぬ罪を重ねてしまいました。
過ちに気づいたのは逮捕されてからでした。国内外の激動した情勢に、どうも自分たちの武装路線は適合していないのではないか、という疑問が芽生え、この疑問をつきつめてゆく過程において、なおも路線を堅持する指導者と衝突しました。そして、激しい論戦を経て、ようやく武装路線から脱却できたのです。
この体験から私は、自らの行為に疑問や迷いが生じた時には、何にもまして実感を大切にしなければならない、と心するようにしました。自分の心に感じたものにこだわり、それがスッキリするまで、しつこいように追求してゆく、ということです。
教団の中で、求道のため、麻原さんの指示を率先して実行した井上嘉浩さんも、今私と似たような体験をされているようです。
彼は、麻原さんの指示を実行していても自分の心は解放されず、かえって暗くなってゆくのはなぜか、という疑問にこだわったそうです。逮捕後、これをつきつめていった結果、一連の事件は麻原さんのエゴの実践に過ぎなかったとの結論に達し、法廷で麻原さんと対決してゆく意志を表明されました。
手段が悪いのは目的が悪いからだ、という言葉があります。実感を大切にされ、ご自分の判断で運命をひらいて下さい。
1996年4月24日 朝日新聞【夕刊】
< >は朝日新聞の補足。
今回は、渾身の力を込めて書きました。
正直、疲れました、ヘトヘトです。
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【追記】
このエントリは2012/02/24の再掲です。
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コメント
私は団塊世代です。若者に嫌われるらしいですが。私の両親は共産党支持者でした。生前、党員ではないと言ってました。貧しい階級で戦争を体験したからだった?ような気がします? 赤尾敏さんなる大日本愛国党の党首もその昔、共産党員?だったとか? 読売の現在 主の方もそうだったとか? 自民党にも元共産党員が多くいるとか?ネットの情報をすべて信じませんが
ネットで色々知るとさもありなんが私の思いです。私もそんな環境で育ちましたので、すべて平等で地上の楽園の日本に共産党がしてくれましたら、共産党の支持者、あるいは、細胞で頑張っていた気がします。細胞も昔知りませんでした、ネットで理解。親が細胞、細胞 というのが理解できませんでしたが、聞く事ができなかった。
投稿: ななしさん | 2016/07/27 17:12
和の国の落とし穴
今では極左が極左らしく活動していた時代を知る人も段々と減って来たわけですが、いまだに革マル派もあれば、中核派も有ります。
つまり入口は一見社会正義的に見える『環境問題』からの『原発稼働反対』であるとか、或いは盛んに沖縄反日二紙が伝える事を鵜呑みにしたら感じる沖縄県民の不幸に同情しての『沖縄基地移設反対』であると有るわけで、総じて安倍政権の政策への反対運動から深みにハマるという事もあるでしょう。
又、そこまで行かないまでも日本で革命を起こしたい共産党への入り口かもしれません。
それらは日本国に過去から欠落している正しい歴史というものへの教育の不足が一因であると考えます。
当然、その歴史教育を妨害し、一定の方向に導いて来たのが左翼、日教組などと成ります。
日本人の欠点には別に一つ、忘れっぽさであると言えるでしょう。
もう、学生が京都大学あたりで極左に入ったり、共産党が僅かとはいえ復活しているとかの現象が出ているのは忘れっぽさゆえだと思います。
ここで、言葉が並びます。
求道者的思考回路に陥りやすい日本人特有の体質
個人的なコンプレックス
道を究めるという日本人の長所が、イデオロギーや宗教の世界に持ち込まれると狂気に化ける
求道者的思考回路に陥りやすい日本人特有の体質
思想の左右を問わず、あるべき人間像を固定化し、それ以外の人間を排除、抹殺するという硬直した思考回路
まったくその通りです。
日本が日本あるゆえに、日本が日本だからこそ。
陽陰とでもいうものがここにあります。
でもそれ以前の問題で倫理的教育であるとか何か第一次、第二次であるとかの集団での過ごし方、教育に問題があるとも言えると思えます。
そして、極左事件にダブって見えるのがイスラム教でのシーア派、スンニ派の争いのような教条主義・原理主義というものでしょうか。
投稿: Pin | 2016/07/27 17:20
私は保守の人間と思っており、左翼という者が嫌いですし、軽蔑している部分もありました。しかし貴殿はどうも尊敬するに値するものがあります。これからも勉強させてください。
宜しくお願い致します。
投稿: せき | 2016/07/28 13:51