自立した個人による自立した日本を目指そう!
人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑
ところで、皆さんは「知識人」というと、どんな印象を持つでしょうか?
テレビニュースなどで左に偏向したコメントを発する人たち、とにかく現状を批判したがる人たち、そういうイメージが強いと思います。
まあ、軸を左に置いた知識人が多いのは事実ですから、これらの印象を抱くことは、あながち間違いではありません。
ただ、最近は軸足を右に置いた知識人も増えていますね、まだ少数派ですが。
これからは、右の知識人が、その数を徐々に増していくような気がします。
ところで、私は左の知識人はもちろん、右の知識人も信用しません。
理由?
彼らは実社会における苦闘、苦悶の経験に欠けるか、あるいは薄いからです。
要するに、思考が観念の領域から一歩も出ていない。
論理を精神世界で組み立てているだけで、混沌とした人間存在と人間社会の実際を実体験として有していない。
つまり彼らの思想は、私に言わせれば空論なのです。
だから反米左翼が多いし、最近は反米保守も増えてきたのです。
知識人とは、単に知識が豊かな人ではなく、知識と思考力を兼ね備えた人、と私は捉えています。
基本は知識ですが、そこから「人間存在」とか「生きる意味」を考える、そういう人を私は「知識人」と認識しているわけです。
で、「人間存在」とか「生きる意味」を深く考えると、社会の不条理や人間存在の不合理が見えてきます。
だから知識人は「既成」や「既存」に対して懐疑的になり、現状を批判するようになる。
知識人に反米左翼や反米保守が多いのは、そのせいだと思います。
-------------------------------------------------------------------
近代において最高?の知識人と言えばカール・マルクスでしょう。
19世紀から20世紀にかけて、彼の思想や哲学、あるいは経済学は世界中の人々にもっとも大きな影響を与えました。
そのismが世界規模で社会を変えた、そういう人物はマルクスくらいしか知りません。
では、なぜマルクスのismが多くの人々を魅了し突き動かしたのか?
マルクスは人間を社会的生き物であると考えます。
つまり、人間の本質は社会的諸関係のアンサンブル(総和)であると言うわけです。
そして、どの社会も生産力と生産関係の矛盾がその社会自身の否定を生み出し、その否定がより高次な新しい社会形態を創造すると主張します。
マルクスによれば、人間の意識はその社会的存在(諸関係)によって規定されていますから、社会形態が変わればその意識も変わるのです。
要するに、資本主義がその発展によって深刻な自己矛盾を孕むようになり、資本主義自身がその自己矛盾に耐え切れなくなってより高次な新しい社会=共産主義を生み出す、
資本主義から共産主義に社会形態が変われば、人間の意識も「搾取と抑圧と差別」から「自由と平等と共生」に変わる、
これがマルクスの思想であり哲学であり経済学なのです、大雑把に言えば。
奴隷(奴隷制社会)~農奴(封建制社会)~労働者(資本主義社会)と、その社会的存在が移り変わってきた被支配者階級は、共産主義社会になって初めて「人間になれる」わけです。
私に言わせれば、このマルクスのismこそ、論理を精神世界で組み立てているだけで、混沌とした人間存在や人間社会の実際を実体験として有していない典型です。
唯物史観と唯物弁証法で人間存在や歴史や人種・民族を解釈する、そしてそれを「科学」と称する。
まったくもってふざけている、と思います。
考えてみれば、マルクスはユダヤ人で、いわゆる被抑圧民族ですが、キリスト教(プロテスタント)の洗礼を受けており、父親は弁護士です。
また名門高校から名門大学へ進学・卒業しており、典型的な中産階級です。
つまり、マルクス自身は当時の労働者が置かれた悲惨な状況を実体験していないのです。
そして、アジアやアラブやアフリカは彼の頭の中にはありません。
要はキリスト教が社会的規範で、啓蒙思想が普及し、資本主義が発展したヨーロッパと北米がマルクスにとっての世界だったわけです。
中産階級出身のインテリ、酒好きで女にだらしない、典型的な「先進国の知識人」です、マルクスは。
こういう人物のismをヨーロッパの後進国だったロシアやアジアの中国などに持ち込めば、悲惨な結果を招いたのも必然だった、と言ってよいでしょう。
-------------------------------------------------------------------
人間を突き動かすのは本能、私はそう思っています。
欲望と嫉妬、これが人間の生命活動の原点です。
いい生活をしたい、他人に負けたくない、だから人間は努力するし進歩するのです。
ただ、人間は獣ではありませんから、理性もあれば倫理観も有しています。
だから本能に基づく生命活動(欲望と嫉妬)を自己規制するのです。
この本能と理性の葛藤、これが人間にとって「生きる」ということです。
人間には、同じ人間とは思えない連中もけっこういます。
これは、マルクスが言うような「社会的存在」のせいではありません。
貧困や差別が暴力や犯罪を生む、というのは事実ですが、それらと関係なく生まれながらに暴力や犯罪性向を持った人間がいるのも事実です。
人間というのは、マルクスの言うとおり「社会的生き物」ですから他者に対する想像力を有しています。
他人の痛みや悲しみを理解できる、他者の存在を尊重できる、人間は基本的にそういう資質を有しています。
が、そういう人間性が生まれつき欠落している人間もいるのです。
いわゆる「鬼畜」とでも言うべき人間です。
人を殺すことを何とも思わない、残虐な仕打ちを行うことを厭わない、むしろそれに快感を覚える、そういう人間は数は少ないとはいえ確実にいます。
それが育った環境とか政治的、あるいは宗教的背景とか言うのであればまだ理解できますが、もう存在そのものが暴力、あるいは犯罪という人たち、これらは理解の外です。
こういう人間は、どこまで行っても理性とか倫理とは無縁なのです。
私は、時代が変わっても、こういう人間がいなくなるとは思えません。
だから「法と刑罰」という強制的規範が必要なのです。
国家も同じです。
理性とか倫理とは無縁の人たちが多数を占める国家に道徳を求めても、それは絵に描いた餅です。
つまり「食えない!」。
-------------------------------------------------------------------
私は、左の知識人も右の知識人も人間を肯定的に捉えすぎ、と思います。
競争と格差がなくなれば人間は堕落します、間違いありません。
マルクスが言う「労働は生きがい」というのが当てはまらない人がたくさんいます。
勤労精神が欠如している人たちです。
マルクスは、本来「生きがいであるはずの労働」が資本主義社会では「生きるための手段」に貶められている言います。
が、生まれながらに勤労意欲が欠如している人たちは強制収容所か矯正所にでも入れろ!と言うのでしょうか?
とにかく国家が人間の社会活動や社会生活に過度に介入することを許してはなりません。
欲望の解放と競争によって現代社会は成長・発展してきたのです。
欲望を抑制し競争を制限する、そして国家が社会に介入する、これが最悪です。
国家による抑制と介入は最小限に止める、後は自立した個人の自主性に任せる、これでなければ人間社会は成長しません。
旧ソ連を始めとする社会主義国家(者国家)の失敗がそれを証明しています。
私が右の人たち、保守と称する人たちに強い違和感を覚えるのはこの点です。
平等志向、国家の役割の肥大化、これらは左翼とまったく同じで、違うのはナショナルかインターナショナルかの違いだけ。
これでは国家は成長しません、衰退するだけ。
右の人たちの主張は、国家社会主義(北一輝と同じ)でありアナクロニズム(時代錯誤)です。
私は、左右の反米主義に反対です。
夢想で政治はできません。
極東国際軍事裁判裁判による洗脳を解除するのと、現実世界において反米を主張するのは、まったく別です。
今もっとも現実的なのは日米同盟の強化です。
日米中の関係を正三角形にするなどと言うのは、まさに中共を利するだけ。
東アジア共同体も夢想×無限大です。
日本の核武装?
語る価値はありますが、それを可能と思うのはプロパガンダかパラノイアのいずれかです。
-------------------------------------------------------------------
自立した個人によって構成される自立した日本を目指そう!
私たちは強い日本人!強い日本国でありたい!!
【追記】
誤解があるようなので追加します。
日本の核武装は現実的ではありませんが、核兵器をいつでも用意できる体制は作っておくべきです。
そういう意味でも原発の是非はともかく、原子力からの撤退には反対です。
ただ、核武装うんぬんの前に国家としての交戦権を明文化する、集団的自衛権を認める、こちらの方が先決です。
核兵器は「張子の虎」、これに拘るより局地戦の能力を高めるべき、と思います。
人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑
【追記2】
このエントリは2011/07/26の再掲です。
Facebookでのシェアは以下から。↓
Twitterでのフォローは以下から。↓
| 固定リンク
「個人」カテゴリの記事
- いわゆる「自然体」ですね。ランキングなど意識せず。(2019.06.01)
- ココログがリニューアルされたので試しに書いてみた。(2019.05.28)
- 読者の皆様へ Blog更新の一時停止のお知らせ(2019.01.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
人間以外の動物や植物あらゆる生物の世界では自然の力や人間界からの圧力により淘汰の原理が厳正に適用されます。そのため彼らは進化し種の保存、生き残りを懸けて懸命に努力するのだと思います。本能の赴くまま。
私は最近人間も動物であるのだからこの自然淘汰の原則が間違いなく緩やかではあるだろうが、必ず人間社会世界にも適用されるだろうと、自分の心を納得させるしかないと思うようになりました。
それを踏まえ日本国の生き残りを考えたとき、近隣国の現状を踏まえればいかに日本が危うい状況に置かれているか背筋が凍りつくような戦慄を覚えます。EUの理想は瓦解しはじめ中東の混沌は深まり、アメリカは間違いなくモンローの待つベットに戻っていくでしょう。そう、世界の秩序の均衡を保ってきた楔はもう抜かれてしまったのです。そしてその混沌をソビエト連邦瓦解から自分たちの生き残りの手段を学習した中国が舌なめずりしながら眺めているのです。秦の始皇帝の時代に戻って。
こんな状況の中安倍政権が誕生し今回の参議院選でも勝利を収めたことは、日本国民の生き残りを懸けた本能が働いた結果と祝福します。大袈裟ですが。
もう日本の置かれた安全保障状況は、あなたは侵略されたら武器を持ちあくまでも戦いますか、それとも戦争を回避するために相手の言い分を聞いて緩やかな属国状況に甘んじますかと真剣に問わなければならない時に来ていると思います。私は武器を持ち戦います。
投稿: unarenn65 | 2016/07/11 06:35
>それを可能と思うのはプロパガンダかパラノイアのいずれかです
当方は、それを不可能と思うのもプロパガンダかパラノイアだと思いますよ。
坂さんは恐らく、この先、核戦争は絶対起こり得ないと盲信しているのではありませんか?
「この本能と理性の葛藤、これが人間にとって『生きる』ということ」と自ら書いておられるように、
人は本能に敗れることもあります。愚かな生き物ですから。
追い詰められた北や核を入手したISが核を使用することは
十分あり得るでしょう。
使用する相手は、核の報復を受ける可能性が低いところです。当然、非保有国のいずれかということになります。
北やISの敵で、みせしめとして核攻撃の効果が極めて高く、核で反撃されずに済みそうな非保有国と言えば…。
世界で唯一の被爆国である日本が再びその惨劇に遭わずに済むための最も有効な対抗手段は核武装以外に何があるでしょうか?
投稿: やす | 2016/07/11 10:06
>核兵器は「張子の虎」、これに拘るより局地戦の能力を高めるべき、と思います。
「張り子の虎」であっても、使おうとする者にそれをためらわせる力を持っています。
日本は既に被爆経験があり、1発でも使われたら終わりです。
トラウマがよみがえって、全国で厭戦ムードが一気にまん延し、使った相手にひれ伏す人々が続出します。
ところで、局地戦の能力を高めるには、どうするのでしょう?
この遠隔誘導ミサイル全盛時代に、自衛隊で国民対象のゲリラ戦研修でもやるのでしょうか?
投稿: やす | 2016/07/12 11:11
素晴らしく記事です。
もし・・もし、昭和天皇と居酒屋の小上がりでチビチビ飲ったなら、同じように語られるだろうと妄想してしまいます。
ご馳走さまでした。
投稿: 刺激 | 2016/07/15 18:20