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2016/08/15

今日は敗戦の日 デフレ脱却にコペルニクス的転換を!


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本日は、2011年8月15日に書いたエントリを再掲する。
今も「この日」に言いたいことが、そっくりそのまま書かれているからだ。

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~以下、再掲~

今日、66回目の敗戦の日を迎えた。
国に尊い命を捧げた軍人・軍属と民間人計310万人を慰霊する日である。
彼らの無私の献身が、今の豊かな社会の礎であることに感謝しつつ、深く頭(こうべ)をたれ追悼したい。

悲劇は数多くあった。
参加将兵約8万6千名のうち戦死者(そのほとんどが餓死者)3万2千名余り、戦病者4万名以上を出したインパール作戦。
日本軍守備隊2万933名のうち2万129名(軍属82名を含む)が戦死(玉砕)した硫黄島の戦い。
軍民合わせて24万4,136人(琉球政府援護課)が死亡した沖縄戦。
10万人以上の市民が一夜にして焼き殺された東京大空襲。
合わせて21万人以上が被爆死(原爆死没者名簿37万9,776人)した広島と長崎の原爆投下。
敗戦後、シベリアに約57万人(邦人抑留事情概要)が連行され、うち少なくとも約5万3千人が病・衰弱死したシベリア抑留。
逃避行の途中で、約27万人のうち10万人が命を落とした(図説 太平洋戦争)満蒙開拓団。
これら以外にも悲惨な出来事はたくさんあって書ききれない。

が、私たちは思い違いをしてはならない。
頭(こうべ)をたれ追悼することは懺悔することではない。
旧軍を非難することによって戦前の歴史を批判し、否定することは、戦没者に対する冒涜である。
もちろんインパール作戦のような「杜撰」としか言いようのない愚かな作戦もあったし、満蒙開拓団の死者10万人は国策の犠牲者である。
しかし、俯瞰すれば、戦争で命を落とした310万人の国民は、国家の犠牲者ではない。
私たちが生きる日本という国が成長・発展を遂げる過程における必然的な戦死であった。

Daikusyu                灰燼に帰した東京の下町 焼死者10万人

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総力戦研究所という組織がかつてあった。
昭和15年(1940年)9月30日に開設された内閣総理大臣直轄の研究所である。
本来の目的は、「国防」という問題について陸海軍人と一般文官とが一緒に率直な議論を行い、国防の方針と経済活動の指針を考察し、国力の増強をはかることにあった。
所員には陸海軍の佐官級将校や本省の課長級官僚が任命された。

当時の総力戦研究所は、日米戦争の展開を研究予測した。
その結果は、
「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」
という「日本必敗」の結論だった。
つまり、この軍や官の若手エリートたちによる予測は、驚くべきことに、実際の日米戦争(太平洋戦争)における戦局推移とほぼ合致するものだったのである。

この机上演習の研究結果は、日米開戦直前の昭和16年(1941年)8月下旬に首相官邸で開催された第1回総力戦机上演習総合研究会において、当時の近衛文麿首相や東條英機陸相以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。

研究会の最後に東條陸相(のち首相)は、参列者の意見として以下のように述べたという。

諸君の研究の勞を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、實際の戰争というものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。日露戰争で、わが大日本帝國は勝てるとは思わなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三國干渉で、やむにやまれず帝國は立ち上がったのでありまして、勝てる戰争だからと思ってやったのではなかった。戦といふものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は輕はずみに口外してはならぬということであります。

日露戦争も勝てる見込みの薄い戦いだった。
にもかかわらず日本は勝利した。
当時も勝敗を度外視して日本は、やむにやまれずロシアと開戦し、そして結果的に勝利を収めた。
つまり、彼我の国力の差や国際情勢の分析に基づく論理的予測より、戦時における思わぬ出来事やデータには現れない部分が戦争の帰趨を決める、と東條は言っているのである。

この東條の日露戰争観には、戦争に対する事後検証の視点が完全に欠落している。
日本のロシアに対する勝利は、幸運や偶然の産物ではなかった。
「意外裡な事」が勝利に繋がったわけではないのだ。

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当時の東條の姿勢や考え方について、昨日の産経新聞の主張 (社説)は、―国家指導者の戦略観の欠如と判断ミス、いわば無能が敗北を決定的にしたといえる―と書いている。
私はこの主張に同意する。
国に尊い命を捧げた310万人の国民は、国家の犠牲者ではないが、無能で視野狭窄の指導者が死に追いやったことは間違いない。
が、では、東條の考えを現実無視だ、根拠のない主観論だ、と言って批判し、彼を指導者の立場から引き摺り下ろせたであろうか?
答えは「否」であろう。
たとえ東條を退陣させても、新たな東條、つまり日米開戦論者がその跡を襲ったに違いない。
なぜならメディアが日米開戦を煽り、世論もそれを望んでいたからだ。

要するに、戦中の310万人の死は、国民が選択したものなのである。

戦前の歴史を批判し、否定することは天に唾するようなものである。
戦前と戦後は断絶しているわけではない。
過去があって今がある。
だから、戦前の歴史を否定することは、今の豊かで安全なこの国を否定することと同じなのだ。
が、その時々の指導者の誤り、国家判断のミスについては率直、且つ真摯に反省しなければならない。

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産経新聞の主張は、当時の東條内閣について、―それはいまの指導部と酷似する―とも書いている。
確かに今の民主党政権は、戦略観の欠如と判断ミスの繰り返しである。
鳩山 L. 由紀夫と菅直人は、その無能ぶりにおいて戦後の1、2位を争う指導者だ。
外交の軸足を中共独裁下にある中国に移した鳩山、消費税増税やTPP参加、脱原発を何の具体的プロセスも明示せずに打ち上げた菅。
鳩山の姿勢は日米同盟を揺るがし、それが中国による尖閣諸島領海侵犯事件やロシア最高首脳による北方領土訪問を引き起こした。
菅の場当たり的方針転換は、政治や経済を混乱させただけで、我が国にとってのプラスは何一つなかった。
鳩山―菅、この2代に渡る民主党政権は国益を毀損してやまないのである。

今の日本は、戦後において未曾有の国家的危機に直面している。
国と地方を合わせてGDPの2倍近くに膨れあがった長期債務、破綻が懸念される公的年金制度、出口の見えないデフレ不況。
これに東日本大震災と福島原発事故が追い討ちをかけた。
まさに状況は国難にあると言ってもよい。
にもかかわらず、政治にはリーダーシップの欠片もない。

大震災や原発事故では自衛隊や消防、警察といった国家組織の献身的活動が感動すら呼んだ。
が、国家全体として見れば、この国には危機管理能力が乏しいということも露見した。
有効な景気対策も打てず、財政再建への道筋も示さず、震災の復旧・復興さえ未だ明確化されていない。
にもかかわらず、消費税増税とかTPP参加、脱原発が打ち上げ花火のごとく発せられる。
もう「政治不在」と言わざるを得ない。

が、今の政治を選択したのは国民である。
政権交代を煽りに煽ったのはメディアである。
つまり、今の政治の不在と経済の沈滞は国民の意思によってもたらされた、と指摘せざるを得ない。

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戦前と戦後は断絶しているわけではない、と書いたが、それはどういう意味か?
一つは天皇の存在である。
確かに天皇は人間宣言をなされ、主権者でもなくなられた。
しかし、維新以来、天皇というのは立憲君主であって、統治的権力を行使される立場にはなかった。
昭和天皇陛下が自ら決断したのは、2.26事件の鎮圧とポツダム宣言の受諾の二つだけ、とされているが、これらについて「立憲君主としての立場(一線)を超えた行為だった」と自ら語られている。
つまり、天皇というのは、昔も今も日本国と日本国民の統合の象徴であり、日本の歴史と文化を体現する存在なのである。

もう一つ、戦前と戦後の継続性を示すもの、それは“奇跡”と呼ばれた戦後の経済復興である。
これは、復興というより新たなる挑戦であり、成長であった。
1956年の経済白書は、その結びで「もはや戦後ではない」と書いた。
日本はなんと、敗戦後わずか10年で経済的に戦前(1934年~36年平均)を凌駕したのである。
なぜ、それが可能になったか?

転機になったのは、米国が占領当初の「日本から近代工業施設を撤去し、外国貿易も遮断して農業国にする」というハード・ピース路線から、「工業を発展させることによって経済を再建し、日本を反共の防波堤にする」というソフト・ピース路線に方針を変更したことだ。
よく、朝鮮戦争(1950~53年)による特需が起爆剤になった、と言われるが、これは正しくない。
朝鮮戦争特需は直接・間接合わせて46億ドル(1950~1955年)とされるが、1952年までに我が国が負担した占領総経費は47億ドルとも言われ、売上(特需)よりも支出(占領総経費)の方が多いのである。

日本が“奇跡”と呼ばれる復興を遂げた真の理由は“戦時体制”の継続にある。
“戦時体制”とは“官による民の指導と統制”である。
戦後、内務省の解体など、官僚機構の民主化も実行されたが、米国がソフト・ピース路線に方針転換する中で、官僚機構の基本体制とその支配構造はそのまま温存された。
そして、1940年代後半から官による金融や産業の指導と統制、食糧の管理(食管制度の維持・継続)など、官主導による日本経済の再建・復興は1970年代まで続いた。
それを表す言葉が、いわゆる“規制”であり“行政指導”である。

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“官による民の指導と統制”や“行政指導”は、今の時代から見れば非常に印象の悪い響きがある。
が、限られた資金や資源を効率的に配分し、金利や食糧価格を統制し、経済インフラを計画的に整備することは、戦後の高度成長において極めて大きな役割を果たした。

戦前の革新官僚が目指していた農地改革や財閥解体が敗戦によって実現されたことも大きく影響している。
これによって特権階層が消滅し、富の偏在も是正されることになった。
農地改革によって農民の生産意欲は著しく増進し、農業生産力は大きく発展、戦後の食料難を切り抜けることができた。
また、これらの農民は、戦後長らく保守政権の支持基盤になり、政治を安定させた。

財閥解体と独占企業の分割は、“官による民の指導と統制”を容易にさせたし、労働者の法的保護(権利擁護)は勤労者の所得を向上させた。
そして組合は、我が国では、戦前に労使双方が参加して組織された企業ごとの「産業報国会」が原型となって企業別組合が大半を占めた。
この企業別組合が労使一体化を可能にし、終身雇用と労働者の企業に対する帰属意識を育んだのである。
(※共産党主導の産業別組合は、GHQによるレッドパージもあって壊滅状態になった。)

“官による民の指導と統制”下において、日本国民は経済成長に一丸となって突進し、労使一体化と企業に対する帰属意識が「企業戦士」や「猛烈社員」と呼ばれる一群の勤勉なサラリーマン層を生み出したのである。
そして国民総生産(GNP)が世界第2位へと躍進するとともに、階層間や地域間格差の縮小傾向を背景に、全国民の9割までが中流意識を持つに至った。

城山三郎による『官僚たちの夏』(新潮社)を読めばよく解るが、国の政策を立案していた当時の官僚たちには、「俺たちが国を背負っている」という気概があった。
ビジネスの最先端で猛烈に働いていた「企業戦士」たちには、「俺たちが会社を支えている」という自負があった。

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国家指導者の戦略観の欠如と判断ミス、いわば無能によって日本は戦争に負けたが、官僚や企業人たちの「私より公」という基本は戦前とほとんど変わっていなかった。
江戸時代に醸成され、明治期に確立された日本人の勤勉・団結・努力・謙虚・誠実などを美風とする国民性は、敗戦後も変わらなかったのだ。
つまり、日本人も日本という国も、その歴史や文化、国民性において連続しているのである。

今の民主党もそうだが、戦前の一時期を捉えて日本の歴史や日本人を否定・批判する人たちに未来はない。
国民ではなく市民。
日本人ではなく地球人。
自立ではなく依存。
義務はなくても権利はある。
「人権」という名の人権侵害を擁護する。
自衛や愛国を否定し、平和主義という妄想に浸る。
要するに、世界や社会をリアル、且つシビアに捉えられない人たち。
民主党を支持するコアな層は、こういう人たちだろう。

こういうアイデンティティー【identity】を喪失した人たちに戦略観や的確な判断力を求めるのは端から無理である。
日本が取り返しのつかない事態に陥る前に、政治を変革しなければならない。

今は、“官による民の指導と統制”という時ではない。
政・官・業による“鉄のトライアングル”が威力を発揮した時代は1980年代で終わったのだ。
バブル崩壊後の日本は進むべき道を見出せずに、“失われた20年”と海外から揶揄されている。

今日は、そのために何をなすべきかについては、エントリの趣旨ではないので具体的には言及しない。
ただ、間違いなく言えることは、
もっとカネが回る世の中にする
ことである。
カネは市場に余っているのに使う人がいない、借りる人がいない。

デフレ脱却に政治生命をかける政治家の出現を望む!

デフレ脱却にコペルニクス的転換を!

~文中敬称略~

【追記】
正確に言えば、シベリア抑留で命を落とした約5万3千人、満蒙開拓団の約10万人は本日慰霊された310万人には含まれていない。
おそらく、ほかにも戦争に伴なう混乱の中で亡くなられた方はたくさんいるだろう。
その方たちも含めて、心から慰霊の誠を捧げたい。

------------------------------------------------------------------

~以上、再掲終わり~

デフレ脱却にコペルニクス的転換を!
これは2016年の今でも言える。
安倍総理は就任後、様々な手を尽くしているが、財政出動、減税、金融緩和、規制緩和等々、まだやるべき余地は残されている。


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社会」カテゴリの記事

コメント

以下は、このブログの「今日は気まぐれに親父との思い出を語ります」の記事で私がコメントした文章の最後に(続く)とした、そこから続く文章です。そちらにコメントせず、ここに掲示をお願いするのは、敗戦の日のコメントにふさわしいと思うからです。

日本はなぜ対英米蘭戦争を決断したのだろうか。昭和大戦の研究を始めるにあたって、そこがどうしても分からない。

1970年代、つまり私の青年時代に観た映画のワンシーンで特に印象に残っている場面は、開戦前、加山雄三扮する外交官が、陸海軍の将軍らを前に米国の物資生産量が日本に比べて圧倒的であることを数字を挙げて戦争の不利を諭すのに対し、将軍らが「貴様、軍の大権に干犯するか!」と一喝するところである。

加山雄三は当時、「若大将シリーズ」で人気を博した超イケメン俳優であり、軍刀を下げた将軍らは当然、中年以後のため「ブ男」に分類される。当時、観客の大多数、いや、世間の大多数が外交官の意見を支持していたからこそ、このようなハンサム青年vs.ブ男の対比がされるシーンとなったのだろう。

もう一つは、敗戦後、「ああすれば勝ったはずだ、こうすればもっと良かった」という議論の場で、誰かが「勝つ戦争なら、やってもいいのか!」と叫び、皆が押し黙ってしまう場面だ。いずれの映画もタイトルは忘れたが、これらの場面は、実情を表わしているのだろうか。

こうした疑問を長く抱いているうち、ふと、菊池寛の短編小説「三浦右衛門の最後」の事が思い浮かんだ。これは今、下記の青空文庫で読めるから、興味のある人には一読を勧める。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/490_19862.html

要は、今川家の小姓で落人の三浦右衛門が、高天神城まで逃げたところを城主・天野刑部に捕らえられ、右衛門の首を手土産に織田方に忠義だてをしようとし、右衛門が命乞いをするという場面だ。

「おのれは館を見捨てた覚えがあろう。さような不忠不義の者の首を刎ねて館に手向けるのじゃ」という刑部。「命は惜しゅうござる」という右衛門。

ここで刑部は悪魔の心を抱く。

「命が惜しくば、腕を一本よこせ」

やむなく承知する右衛門の片腕が斬り落とされる。

「まだ、足りぬ。もう一本よこせ」

やむなく承知する右衛門の、もう一本の片腕が斬り落とされる。

「まだ、足りぬ。足を一本よこせ」

こうして、三浦右衛門は、周囲の侍たちのあざけりのなかでなぶり殺しにあう、という小説だ。

「日本は三浦右衛門ではなかったから、戦いを挑んだのではなかったか」と思った。

これで全てが氷解した。今まで見えなかったものも見えてきた。大東亜戦争が、白刃を連ねての万歳突撃や特攻のような、様々な不合理な作戦に満ちているのも、そのためなのだ。「日本は三浦右衛門ではなかったから、対英米蘭戦争を決断した」のだ。命乞いをすれば、あざけりの中の死が待っているのみである。それよりは、戦って死ぬ武士の死のほうがいい。このような状況は、日常の中にも潜んでいるではないか。

その後の私の研究は、私の、この着想を裏付けている。例えば、開戦にあたって侍従長・永野修身(ながの・おさみ)が昭和天皇に申し上げたという次の言葉が、まさにそうだ。

「陛下、戦っても亡国です。戦わなくても亡国です。しかし戦えば護国の精神はこの国に残り、将来の日本人が必ずや立ち上がって、この国を守り抜いてくれるでしょう」

ここでいう「将来の日本人」とは、今の我々のことだ。我々は、父祖英霊の犠牲の上に、立ち上がらなければならないのである。

P.S.
コテハンを、「喪黒福造」から「平野國臣」に戻しました。

投稿: 平野國臣 | 2016/08/16 01:47

近衛上奏文について言及されておられないのですが、・・・。

投稿: 七生報国 | 2016/08/16 21:17

コメントの方が挙げて居られる
>「命が惜しゅうござる」・・で謎が溶けた
と。アホかw

男の子は、道端でアメリカ兵に背を向けている武器を持たない兵士達の映像を観て
「負けていない。やるならやる」
んだなと感じたものです。これって若いオスの生理です。

死亡者数の多さが昭和天皇の「終戦」の決断に至った。今上陛下の語られる「反省すべきところ」もそれだけにある。
上述の映像は、日本人としての意志とは異なる「耐えがたきを耐え」の命に従う日本人の姿なのです。

一方、終戦の詔勅の中で、開戦時植民地だった地域を「東亜友邦」と明記し戦線(独立戦争)離脱を謝罪している。
白人キリスト教徒による200年300年の長い民族差別からくる搾取を瓦解せしめたのも事実。多くの日本人は詔勅をキチンと読んでいないから、あぁだこうだとズレた議論をするのだ。

東亜に集中するなら勝算ありの分析もあった。現実帝国陸軍は勝っていた。のに何故、帝国海軍が足を引っ張るが如く負け続けたのか。当然この事実は殆ど報道されていない。
カテゴリーABCで処刑、処罰は冤罪だった。
日弁連、カスゴミ、教育関係者、そして共産党こそ糞なのだ。
その同調者全て!

投稿: 刺激 | 2016/08/17 07:58

昭和天皇が即位される時、実は一悶着あったというのは知られていないようです。私も二次資料をかじっただけです。
しかし、これは実に面白い問題を提示しています。
発端は、軍官僚を中心に(多分大蔵省官僚等も)裕仁殿下は愚鈍であるから、近衛文麿を天皇に推挙しようという動きです。
この思い上がりの凄まじさを思うと、暗鬱たる気分になりますが、話を続けます。
官僚には、昭和天皇は愚鈍に見え(これも実に面白いです)、近衛文麿は才気煥発であり、昭和の難局を乗り切るためには、彼こそ次期天皇に相応しいと判断していたようです。
昭和天皇は、ドイツ嫌いだったようで、ナチに至っては嫌悪していたと聞いています。
一方、近衛文麿はドイツ贔屓でした。ナチの服装をした写真があるとも聞いています。コミンテルンと関係があったとも言われています。
歴史は残酷なもので、昭和天皇の賢明さと近衛文麿の無能さをさらけ出しました。
残る問題は、官僚と呼ばれる秀才集団が、昭和天皇を愚鈍であると判断し、近衛文麿こそと入れ込んでいたことです。彼らにはそのようにしか見えなかったということです。
現在も日本で秀才集団から才気煥発、優秀な人材と思われている人は実は馬鹿であり、愚鈍で頭が悪いと思われている人こそ日本の指導者に相応しい賢明な人物であることは変わらないと思います。

投稿: 縄文人 | 2016/08/18 12:13

<平野さん

コメント欄の開戦時・侍従長 永野修身は海軍軍令部総長ですぜ。また、それでなければ意味が通りません。

永野修身はGF(聨合艦隊)司令長官、海軍大臣、軍令部総長をすべて務めた唯一の海軍大将ですが、陛下の侍従長を務めた経験はありません。

映画「日本の一番長い日」のリメイク版を見て驚いたのは、陸軍省の高級課員らが皆、参謀懸章を吊っていること。

省部(陸軍省と参謀本部)の違いもわからずに当時の軍部の動きを描いた気になるとは…中身は推して知るべし。

三船俊郎が阿南陸相を演じた白黒の旧作の方が、まだ時代の雰囲気が出てましたね。

投稿: レッドバロン | 2016/08/18 15:46

う~ん、

「戦っても亡国、戦わなくても亡国。しかし戦えば護国の精神は...」

というのは、或る主の意味では詭弁のレトリックでは?

隣の国の「臥薪嘗胆」を見習っても護国の精神は残るのでは?

イスラエルの建国とかはどうなんでしょう。もっとも、亡国の時のユダヤ人とは人種が違うのでしょうが。

逆に、うわべの繁栄で亡国の道を進んでいるかと。

単なる国民でありながら、天皇家のお世継ぎに対してアレコレと述べる方々が多過ぎます。

主権在民ですが、天皇家の中の問題をアレコレとはおこがましい!!

投稿: muff | 2016/08/19 01:47

2016/8/15に70となった東京に生まれの一庶民の感慨です.
1.以下の風潮は私も感じました.
>国の政策を立案していた当時の官僚たちには、
>「俺たちが国を背負っている」という気概があった。
>ビジネスの最先端で猛烈に働いていた「企業戦士」たちには、
>「俺たちが会社を支えている」という自負があった。
私の勤務時間は8:10AM~20:10PM,納期前は~22:10PMでした.
残業代は1.5時間分ですが,仕事をすることが嬉しくて,
それで満足していました.

2.以下の分析への私見です
>政・官・業による“鉄のトライアングル”が威力を発揮した時代は
>1980年代で終わったのだ。
>バブル崩壊後の日本は進むべき道を見出せずに、
>“失われた20年”と海外から揶揄されている。

日本をこれ以上発展させない,というアメリカの戦略の効果です.
官庁は国民よりもアメリカの意向を尊重する風潮があります.
アメリカは中国を発展させる戦略を採用したのですが,
それは今日の南シナ海の緊張へと導き,北○○の核軍備を具現化し,
中国の西太平洋の覇権宣言に繋がってきたと考えています.

>カネは市場に余っているのに使う人がいない、借りる人がいない。
>デフレ脱却に政治生命をかける政治家の出現を望む!

日本はエネルギー資源の無い国なので,新技術の開発で生きていくしかありません.
20世紀は物理学の世紀で,その応用が多大の利潤を産業分野にもたらしました.
個人的予測ですが;
21世紀は医学+生物学の世紀になるような気がいたします.
遺伝子,細胞構造(膜.ミトコンドリア,代謝系),免疫系,がキーワードです.
それらの基礎から応用まで日本人が活躍できる分野は数多くあるでしょう.

投稿: 街のバカ猫 | 2016/08/19 09:10

アメリカ合衆国の戦略(軍事戦略ではなく大戦略と言われるもの)って意外と単純なのですよ。

アメリカ合衆国が位置しているアメリカ大陸には、合衆国を脅かす勢力が存在しません。
ではその勢力はどこにいるのかというと、アメリカ大陸の隣のユーラシア大陸に存在しているのです。
なのでアメリカの戦略は、ユーラシア大陸に存在しているその勢力を合衆国に近づけさせないことなのですね。
その勢力が近づかなければ合衆国は安泰としていられるというわけです。

その「脅かす敵」は、かつては日本やドイツであり、ソ連でした。
アメリカはその都度、情勢により、各国と同盟関係を結び、その勢力を駆逐してきたのです。
例えば第二次大戦ではソ連、冷戦ではかつての敵である日本や西ドイツ、ソ連と仲違いした中国など。
そして中国の偽装した態度に世界が騙されて台頭させてしまった現在は、中国を恐れる国々を纏め上げようとしています。

次いでに言うと、アメリカがその勢力を恐れる条件の一つは海洋進出を図るかどうかです。
海洋進出を図るということは、進出した海域を支配するということであり、その支配した地域で手に入れた資源・経済力を使い、その地域から軍艦でアメリカに攻めてこられるということです。
単純に言えば、シーパワーを握ろうとした国を恐れるということですね。
ドイツも帝国時代に海洋進出を図ろうとしてイギリスに阻止された歴史があり、ナチス政権下にもその兆候を見ました。
日本の大戦前の動きは、日本を中心とする経済圏拡大の動きであり、それは海軍力増強にもつながりかねないものでした。
ソ連も海軍力を拡大しようとしましたが、結局はアメリカが阻止してます。
ついでにかつての覇権国イギリスにも、冷戦中にGIUK(ギャップ)と呼ばれる海域から大西洋に出るソ連潜水艦の監視の任を押し付けて、海軍力を無力化してしまいます。
中国も「平和的台頭」などと嘯いていた時は、アメリカも接近していましたが、海洋進出の野望が明らかになり始めると警戒するようになり、今に至っています。

アメリカの戦略は、脅威を自国に近づけさせず、他国にアメリカを脅かす力をつけさせず、アメリカを中心とする経済圏を作り、諸外国と交易をして国家を富ませることなのですね。

投稿: すぷー | 2016/08/25 01:14

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» 桜井誠新党と聞いて [凪に反日って言われちゃった v(^_^ )]
「Doronpaの独り言」 8・15 新党づくりに向けて http://ameblo.jp/doronpa01/entry-12190755184.html 昨日8月15日は桜井にとって忘れられない日になりました。もちろん反天連への迎撃など日本人が自らの意志で立ち上がって反日勢力、外国勢力に対し断固抗議の声を上げた心に留めおくべき日であることは間違いないのですが、もう一つ、皆さまの前で新党設立を宣言した日になったのです。 自称保守政党の自民党総裁は靖国に参拝しない、しないどころか英霊を冒涜す... [続きを読む]

受信: 2016/08/16 21:28

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