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2017/01/20

極私的エントリー


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以下は、2005年9月5日に書いたエントリの再掲です。
当時は既に人気ブログランキングの第1位だったと思う。
その順位を意識した重圧なのかなあ...
けっこう「書くこと」に悩んでおります、11年以上前!!!

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昨日、できるだけ正確な記事を書こうと、財政関連のサイトを20以上閲覧していたら、エントリーを書くのに5時間以上を要してしまった。
本当に疲れた。で、今日は、極めて私的なエントリーを上梓することにした。ご容赦を・・・

私は、17歳のときに左翼運動に身を投じ、21歳からは2年間、部落解放運動に参加した。限界を感じた私は、大学に復学し卒業した。
民間企業は相手にしてくれないので、地方公務員試験を受けた。幸い上級職で合格できた。自治労の支部である職場の労組は共産党が主流派で、社会党系は反主流派だった。
私は社会党系の青年部で精力的に活動した。しかし、すぐに裏が見えた。肝腎なときに当局と妥協するのだ。私は執行部と対立した。

私は、9年間にわたって政治に直接関わった。学生運動、部落解放運動、労働運動。偽善というか、欺瞞というか、運動によって違いはあるのだが、組織の論理が個を抹殺する。これが政治の現実だった。
組織の論理に大義があれば、まだ許せる。が、そんなものはどこにもない。自己保身の官僚主義そのものだった。
※ただ、全共闘運動だけは違う、と今でも思っている※

特に部落解放運動には絶望した。崇高な理念を掲げているのだが、実際は「物取り運動」だった。暴力で行政や一般市民を威嚇する。「糾弾闘争」=暴力である。
それでも部落大衆が恵まれるのなら、まだ我慢ができた。しかし、一部の者のみが御殿を建て、部落大衆はそれほどの恩恵を受けなかった。要は、部落の中に新しい差別が生まれたのである(怒)。

公務員を辞めた私は、商売を始めた。しかし、すぐにダメになった。そこから私の本当の人生が始まった。紆余曲折はあったが、今は人生でいちばん安定している。オカネでは相変わらず苦労しているが、精神が安定しているのだ。

やっぱり私は反米であり、日本と日本人が大好きであり、この国と国民に誇りを持っている。今は、日の丸と君が代を抵抗なく受け入れられる。
幸い、家族には恵まれた。子供たちは私を尊敬してくれている。妻には心から申し訳ないと思っている。

これからも、日本の主権と独立にこだわり続けたい。社会的「逆不公正」は絶対に許さない。真の弱者には膝を折りたい。

構造改革は、けっして弱者切捨てではない。日本が沈没すれば強者も弱者もない。
いや、強者は国が破綻しても、まだ恵まれている。いちばん困るのは弱者なのである。共産党や社民党の主張は破滅への道である。だまされてはならない。

私は、最近、親鸞の「他力本願」に魅せられている。「南無阿弥陀仏」、これが究極ではないかと・・・
無神論者として50年以上を生きてきて、最近そう思う。
人間って何なのか?人生って?生きる意味って?
そんなことを、思春期以来、何十年ぶりかに考える今日この頃である。

Bund_2


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