靖国

2015/04/13

天皇皇后両陛下のペリリュー島戦没者慰霊に感謝・御礼

天皇皇后両陛下は9日、激戦地のペリリュー島で慰霊碑に花を供え、戦没者の霊を慰められました。

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ペリリューの戦い

1944年(昭和19年)9月15日から1944年11月25日にかけペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた日本軍守備隊(守備隊長:中川州男陸軍大佐)とアメリカ軍(第1海兵師団長:ウィリアム・リュパータス海兵少将、第81歩兵師団長:ポール・ミュラー陸軍少将)の陸上戦闘をいう。

アメリカ軍は火炎放射器と手榴弾による攻撃に加え、ブルドーザーを使い入口を塞いだりもしたので、日本軍の洞窟陣地は次々と陥落され、更に食料や水もなくなり生き残った兵は極めて苦しい戦いを強いられた。
11月24日にはついに司令部陣地の兵力弾薬もほとんど底を突き、司令部は玉砕を決定。
地区隊長中川州男大佐(歩兵第2連隊長)は拳銃で自決。
村井権治郎少将(第14師団派遣参謀)、飯田義栄中佐(歩兵第15連隊第2大隊長)が割腹自決した後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が本土に送られ、翌朝にかけて根本甲子郎大尉を中心とした55名の残存兵力による「万歳突撃」が行われた。
こうして日本軍の組織的抵抗は終わり、11月27日、ついにアメリカ軍はペリリュー島の占領を果たすこととなる。
上陸開始から2ヵ月半が経過しての事であった。
この間、中川隊の異例の奮闘に対して昭和天皇から嘉賞11度、上級司令部から感状3度が与えられ、中川は死後に2階級特進し陸軍中将となった。
なお、戦闘終結後も生き残りの日本兵34人が洞窟を転々として生き延びており、終戦後の1947年4月22日に米軍へ投降した。
この生き残りの34人は「三十四会」(みとしかい)という戦友会を結成している。

日本軍
戦死者 10,695名
捕虜 202名
最後まで戦って生き残った者34名

アメリカ軍
戦死者 1,794名
戦傷者 8,010名
※この他に精神に異常をきたした者が数千名いた。

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Peleliu

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元兵士「世の中に知られうれしい

ペリリュー島で最後まで戦って生き残った34人のうちの1人、福岡県の土田喜代一さん(95)は、両陛下の慰霊について「両陛下がペリリュー島に非常に関心を持たれているという、その気持ちが、いちばんうれしかったです。1万人近い戦友はびっくりしたんじゃないでしょうか。非常に喜んだと思いますし、私も、この日を忘れることはないだろうと思います」と述べました。そのうえで、「ペリリュー島のことは、これまで世の中に知られてこなかったと思いますが、両陛下の慰霊をきっかけに戦いの島であったと世の中に知らされ非常にうれしいです」と話していました。

遺族「両陛下に感謝と感激」

東京・三鷹市に住む能勢さたさん(87)は、ペリリュー島の戦闘で、4歳年上の兄、博之さんを亡くしました。70年たった今も遺骨は戻っておらず、能勢さんは、唯一残っている博之さんの写真を手に、テレビの中継で天皇皇后両陛下が、慰霊碑に花を供えられる様子を見守りました。能勢さんは、「一緒に慰霊に参加している気持ちになりました。両陛下がずっと慰霊のことを思ってくださっていたと聞いて感謝と感激でいっぱいの気持ちです。これで兄たち戦没者も報われるような気がします」と話していました。また、ペリリュー島の戦いで10歳年上の兄を亡くした鹿児島県霧島市の烏丸新二さん(82)は、両陛下が慰霊される様子を自宅のテレビで見守りました。烏丸さんは「天皇陛下は私と同じ年代で、体調を考えると大変ななか、慰霊してくださり、兄も草葉の陰で感激していると思います。ペリリュー島の戦いは、あまり知られてこなかったが、二度と戦争をしてはならないと改めて考えるきっかけにしてほしいし、遺骨の収集が進むことを願います」と話していました。

参照:両陛下 ペリリュー島で戦没者慰霊 4月9日 NHK

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誰だって平和を願っている。
戦争を好む者は、この日本国にはほとんどいないのであり、その者たちが多数派になることはありえない。
この国の民は、民族的特質を見れば、本来は平和を希求する人々なのだ。
変態左翼の「戦争をできる国にしようとしている」という非難はプロパガンダでしかない。
謂わば「難癖」である。
平和を守るためには、最低限度の安全保障の裏付けが必要なのだ。
その「最低限度の安全保障の裏付け」を憲法違反と非難し、「戦争への道」とわめく。
こういう輩に屈してはならない。
先の大戦で国のため、家族のために命を散らした先人たちに報いるためにも。

天皇皇后両陛下の御姿に接して、その思いをさらに強くした。


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2010/08/16

靖国を無視するお前たちは日本人か???

このところ忙しすぎて、おまけに体調もイマイチでジジイは参っております。
この夏の暑さは異常と言うしかありません。
ところで、昨日は終戦記念日でした。
私は、この「終戦」という言葉に少々違和感を覚えるのですが、記念日、つまりMemorial Dayにするためには、「終戦」も仕方がないのかなあ…と思うようになりました。

私は体調がすぐれないため、昨日は靖国神社を参拝できませんでした。
とても残念ですが、秋季例大祭に参拝することで、神霊にお許しいただきたいと思っております。
昨日は何もやる気になれず、一日中家にいて、横になったりテレビを視たりしていたのですが、小泉進次郎氏の靖国参拝、このニュースはうれしかったです。
やはり純一郎氏の息子です、彼は。

Shinjiro_yasukuni_2
8月15日 小泉進次郎 靖国神社を参拝

進次郎氏に比べて菅内閣は情けないですね。
首相を始め、閣僚、副大臣、政務官に至るまで参拝自粛を申し合わせ。
理由は、アジアの被害者に配慮するためらしいが、本音は中国(中共)と韓国に対する遠慮、もっと言えば、もともとが靖国神社を認めていない、と言うことでしょう。

官直人首相や仙谷由人官房長官は、明治以降の我が国の歴史に誇りを抱いていません。
彼らからすれば、戦前の日本国は侵略国家で、靖国神社はその象徴みたいな存在なのです。
大東亜戦争(日支事変~太平洋戦争)はもちろん、日清、日露の戦いも侵略戦争、つまり帝国主義列強による植民地分割戦争です。
そして、戦前の日本は、天皇を頂点とした専制国家であった、というのが彼らの基本認識です。
それが敗戦によって崩壊し、自由と民主主義が初めて我が国にもたらされたと……

そこには、歴史を学ぶ上でもっとも大切な時代背景がすっぽりと抜け落ちています。
19世紀から20世紀前半にかけては、世界は弱肉強食の時代でした。
欧米列強は、アフリカ、中東、そしてアジアと次々に侵略し、その地を自国の植民地として土地や資源を収奪し、人々に隷従を強いてきました。
幸いにも、我が国には賢侯の誉れが高い薩摩藩主・島津斉彬や維新の精神的指導者・吉田松陰といった傑出した人物が存在し、西郷隆盛、大久保利通、あるいは久坂玄瑞、高杉晋作などの後継者が維新を成し遂げました。
もちろん、薩長同盟を成就させた坂本龍馬の存在も見逃せないでしょう。

思うに、天皇の存在がなければ明治維新はありえず、維新がなければ我が国の近代国家としての飛躍はありえませんでした。
そして、近代国家としての飛躍なくして日清、日露の両戦争の勝利はなく、結果として旧・満州(中国東北部)や朝鮮半島はロシアの手に落ちていたことは間違いありません。
そして日本の独立は、風前の灯火となっていたことでしょう。

私は歴史が大好き、特に革命史が好きだったので、フランス大革命やアメリカ独立革命、ロシア革命、明治維新などを随分と勉強しました。
が、年を経て記憶が曖昧な部分もあり、本日、改めて明治維新をネットでなぞりました。
そこで学び直したのは、当時は、個人も社会も国家も、生きるか死ぬかの瀬戸際にいたということ。
そして、志士たちは、己を捨て国のために殉じた。
この志があったからこそ維新は成功し、我が国は近代国家としての飛躍を成し遂げたのです。
しかも、彼らの大半は20代ですよ!
この歴史的事実を知れば、日本国の現代史を振り返れば、靖国神社参拝の自粛を申し合わせ、とはならないでしょう!
そう思います。

当時は垂直分業、ブロック経済の時代。
世界市場のほぼすべてを支配する米・英・欄・仏から排斥された我が国に残された道は限られていました。
ナチス・ドイツと手を組んだことは、今は間違いだったと批判できます。
が、アジア人を人間以下に扱い、我が世の春を民主主義だと謳う欧米列強の傲慢が本当に正しいのですか?

シベリアに抑留された経験を持つ私の父親は、「科学力の差」「生産力の差」を酒を飲むたびに強調していましたが、国府軍(国民党)の残虐行為は聞いても、日本軍の残虐行為など聴いたことがありません。
父は、死ぬまで陸軍将校としての誇りを胸に抱いていたと思います。
武勲の証としての勲章を何度も見せてもらいました。

日本国は敗北しましたが、日本人の心は敗北しなかったと思いますね、私は。
個人より家族を、家族より社会を、社会より国家を、これが我が国の戦後における高度成長の原動力だったと思います。
が、社会が豊かになるにつれ、国家より社会、社会より家族、家族より個人、と価値観が移ろいで行ったような気がします。
これは、決して間違いではないのですが、ここに「市民」とか「地球人」とか言う概念を持ち出す輩が出現し、国政を牛耳るようになったことが問題なんです。

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菅直人は「市民」と言う言葉が大好きです。
仙谷由人は「地球市民」と自ら宣言しています。
鳩山由紀夫もそうでしたが、それ以上に、この二人には「国民」という意識がないのですね。
「市民」とか「地球市民」とか、どこにいるのですかね、解りませんね、普通の国民には。

なお、明治5年に建てられた靖国神社本殿には、246万6千余柱の神霊がお鎮まりになります。

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2007/08/16

安倍内閣はなぜ靖国に参拝しない!

このバナーは、2008年8月7日まで常にトップに表示されます。ボイコットに賛成の方はこちらまで。Bandeau_gb
       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

8月15日
安倍内閣は、首相を始めほとんどの閣僚が靖国神社に参拝しなかった。
参拝したのは高市早苗沖縄北方担当大臣だけ。

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ポケットマネーから玉串料を支払い、「国務大臣・高市早苗」と記帳した高市氏は、テレビのインタビューに対し次のように述べている。

「これは一日本人として、大切な命を落とされた方への私の哀悼の意の表明でございます。こういったことを外交問題にしようとか、そういった勢力を利するようなことにはしたくないと思っております」(TBS News i)

まさにそうだ。
国のため、国民のため、家族のために大切な命を落とされた方々への哀悼の意の表明。
これを外交問題にすること自体がおかしい、というか、もうそれは、何がしかの意図を持った政治的宣伝にすぎない。

そして、このような、特定の外国勢力のお先棒を担ぐような連中は、もう狂っている。
全国戦没者追悼式で、遺族代表の高桑国三さん(71)が「今日の平和と繁栄は尊い礎の上にあることを再確認し、世界平和のため誠心誠意努力する」と述べたそうだが、この気持は右であれ左であれ共通するものだろう。
この慰霊と尊崇の誠を、国のため、国民のため、家族のために大切な命を落とされた方々が祀られている靖国神社で捧げることに何の非があるのだ!

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安倍首相は就任直後、中国や韓国との関係を改善した。その時、「政治問題化、外交問題化している以上、 参拝するか、しないかは言わない」という姿勢を取った。
そして、この15日。参拝した閣僚はたったの一人。
「政治問題化、外交問題化」しているのは中国と韓国、それに一部の日本人だけではないか。
それらの特定の国や特定の政治勢力に配慮して、今までいったい何を得たというのだ。
中国の理不尽な対日非難がやんだだけじゃないか。韓国は相変わらず“従軍”慰安婦で対日非難を繰り返している。

小泉内閣の外交はけっして行き詰っていなかった。メディアや一部の政治勢力が「日本はアジアで孤立している」というプロパガンダを盛んに流したが、対日非難を行っていたのは中国と韓国、それに北朝鮮だけだった。
国民もそれが分かり始めたから、小泉首相(当時)の靖国参拝を支持する声は、年を追うごとに増えていった。
だから、参拝を続けることによって、従来の屈辱的二国関係を本来のあるべき姿に戻すことができたかもしれないのだ。
それを、目先の演出、目先の人気にこだわって、「参拝するか、しないかは言わない」などというバカな戦術を取った。

思えば、今の安倍内閣の低支持率は、この時に既に萌芽が見えていたのかもしれない。
“少年官邸団”の芯の定まらない、戦略なき小手先だけの対応という体質が。
まあ、中・韓に対する電撃訪問は、小泉前内閣との違いを際立たせるという点では確かに効果があったとは思う・・・
が、そんなもん、一時(いっとき)のもので、長続きはしない。

“従軍”慰安婦の問題もそうだ。「狭義の強制性はなかった」「米下院で決議案が採択されても謝罪するつもりはない」と言い切ったのだから、訪米した時にわざわざ大統領や下院議長の前で謝罪を表明する必要などなかった。
こんな馬鹿げた決議案が採択されても、日米関係にはさざ波すら立たない。ほとんどの米国民は、対日非難決議案の存在も安倍首相の謝罪も知らないし、そもそも関心がない。
何のために、誰のために米大統領や米下院議長の前で謝罪を表明したのか、理解に苦しむ。

こんな調子だから、閣僚がつまらないミスを連発し、参院選に惨敗したのだ、と言いたくなる(もちろん、参院選の敗北は複合的要因があり、一口では言えないが)。

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私は、安倍首相の就任当初、「 参拝するか、しないかは言わない」という“あいまい戦術”に理解を示した。それは、それなりの作戦が首相にあると見たからだ。
ところが現実はどうだ!
8月15日に、靖国神社に参拝した閣僚はたった一人。その高市氏の参拝も、午後になってから、つまり誰も参拝しないと分かってからだ。
さすがに、このままではマズイと思ったのだろう。

今のままの安倍内閣ではダメだ。
安倍首相の本来の支持層もまとめ切れないようでは浮動層なんか獲得できない。
とにかく戦う姿勢が見えない。
“消えた年金問題”でも有効な反撃ができず、「テクニカルの問題」を「システムの問題」にすり替えられ、メディアにいいようにバッシングされた。

これは内閣の要である官房長官と、党の要である幹事長が無能だからだ。
が、彼らを選んだのは安倍首相。

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ところで、小泉純一郎前首相が2年連続で8月15日に参拝した。
小泉氏は無言だったそうだが、これは安倍首相に対する叱咤激励もあるのではないか。

Koizumi5















小泉氏は、先の参院選でも「「既得権者、郵便局の票を当てにしたら参院選は負ける」と警告していた。
これは「郵便局の票」というより、既成の自民党支持層、つまり医師会とか土木建設業界とかの組織票を当てにしたら選挙に負けるという意味だった。
で、現実に医師会代表の武見敬三氏は落選、組織票とは無縁の山本一太氏や世耕弘成氏は大逆風の中でも1人区で勝った。

まあ、安倍首相に小泉氏と同じことを望んでも無理だが、もう開き直って、自分の信ずる道を突き進んだらどうか?

改造安倍内閣に期待したい。

【追記】
石原慎太郎都知事も靖国神社に参拝しました。
8月15日の参拝は8年連続ですが、小泉前首相同様、何らメディア的話題にはなっていない。

前首相や、首相と並ぶ日本の顔である都知事が参拝しても何のニュース性もない。
まさに、わが国首相の靖国参拝を「政治問題化、外交問題化」しているのは日本の偏向メディアだ!!!

安倍首相は、小泉氏や石原氏の「譲らない姿勢」を見習うべきである。

政治も外交も戦争である―そう認識しなければ、安倍内閣の前途は暗い。

【追記2】
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2006/08/18

「アジアと世界の孤児」に成り果てるのは中国だ!

人民日報のネット版「人民網日本語版」を覗いて見ると、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を非難する記事がウンザリするほど載っている。

どの記事も内容はほとんど同じである。

①日本軍国主義は中国を侵略し、中国に甚大な被害を与え、中国人民に対して極めて残酷な犯罪行為を行った。
②そのような侵略戦争を首謀したのがA級戦犯である。靖国神社には、そのA級戦犯が祀られている。
③靖国神社は、日本軍国主義と侵略戦争の象徴であり、それを美化する存在である。
④したがって、日本の指導者がA級戦犯が祀られている靖国神社を参拝するのは、
軍国主義を称揚し侵略戦争を正当化するものだ。
⑤このような日本の指導者の行為は、中国人民を含む被害国の人々の感情を傷つけ、日中関係の政治的基礎を損なう。

まあ、以上は、恒例のように繰り返されている批判で、厭きもせずよく続けられるものだと感心する。

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一部の特殊な人を除けば、誰も当時の軍部主導の体制を美化などしていないし、戦争を正当化しているわけでもない。ただ、今の価値観からすれば、当時の戦争は批判の対象になるが、「あの時代においてはやむを得なかった」、あるいは「あの当時はそう
いう時代環境だった」という見方は当然ある。

あのころは、欧米列強により世界が分割支配されていた時代であり、中国を最初に
半植民地化したのは欧米列強だった。それに対して、極東の小国から一気に欧米列強に比肩しうるまでに成長した我が国が、そういう世界の支配秩序と摩擦を起こし衝突する。
これは、ある意味において、歴史の必然であったと思う。我が国が良いとか悪いとかの問題ではない。

1929年の世界恐慌以来、欧米列強による垂直的国際分業とブロック経済が、世界市場から我が国を排除し、その行く手を遮っていた。
このような先進植民地主義国家(欧米列強)のアジア支配に対して、アジアから起き
上がった新興植民地主義国家(日本)が、その支配構造を突き崩そうとする。
これは、避けることのできない歴史の胎動であり、それが当時の我が国が生存・発展
するために残された道であった。
だから、今ふり返れば批判はできるが、それを否定することはできない。なぜなら、戦前の礎があってこそ今の繁栄があるからだ。
繰り返しになるが、あの戦争は歴史の必然だったのである。

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中国の主張は、中国の立場に立った歴史認識に基づいているものであって、そこにおいては、あのころの時代的背景がすっぽりと抜け落ちている。したがって、我が国がそのような歴史認識を共有することは不可能である。
中国も、そのことは解っている。だから自らの認識、自らの主張を正当化するために
第三者を引っ張り出してくる。

中国が、まず持ち出してくるのがドイツの例である。

1970年、西ドイツ(当時)のヴィリー・ブラント首相は、ポーランドのワルシャワにあるゲットー英雄記念碑の前でひざまずき、「こうすべきであったのに、こうしなかったすべての人たちに代わってひざまずく」と述べた。
1985年、ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイゼッカー大統領は「過去に目を閉じるものは、現在にたいしても盲目である」と語っている。

これは事実である。
が、ブラント首相がひざまずいた記念碑は、ポーランド・ユダヤ人中央評議会によって
建立されたもので、非ユダヤ系ポーランド人の犠牲者は顕彰の対象とされていない。
レジスタンスや市民約22万人が「虐殺された」とされる、いわゆる「ワルシャワ蜂起」の記念碑(ワルシャワ市民蜂起記念碑)は別の場所に存在する。
ヴァイゼッカー大統領も、ドイツの戦争行為そのものを詫びたわけではない。犠牲者が 600万人にものぼると言われるホロコースト(ユダヤ人に対するジェノサイド)に対して
反省の言葉を表したのである。
つまり、ドイツの首相も大統領も、戦争と、それが引き起こした被害について謝罪した
わけではない。誤解してはならない。
したがって、これらの例を挙げて我が国に対する非難を正当化するのは筋違いもはな
はだしい。

次に常套句として用いるのが以下の言葉である。

「小泉首相が靖国神社参拝を続ける行為は、日本の軍国主義の犠牲になったアジア
諸国の人々、および多くの日本国民からの批判を受けるにとどまらず、米国、欧州、
アフリカの多くの国々の政治家、民衆およびマスコミによる批判を浴びている」

「アジア諸国の人々」とは、どこの国のことだろうか???中国、韓国、北朝鮮以外に、
そのようなアジアの国が存在するのだろうか???
「多くの日本国民」とは、どの程度を指しているのであろうか???半数近くは小泉首相の靖国参拝を支持している。「反対」する国民も、その多くが対外関係を考慮してのものであって、靖国神社に祀られている英霊に「哀悼の念を表する」ことに反対しているわけではない。
米国、欧州、アフリカの多くの国々の政治家、民衆およびマスコミによる批判???これ
こそ、まったくのねつ造である。そう主張するのであれば、具体的例を挙げよ!!!

-------------------------------------------------------------------

人民日報 とリンクしている朝日新聞でさえ、海外における批判的言動は、以下のもの
しか報じていない。

①シンガポール外務省は15日、「小泉首相の靖国参拝は遺憾だ。靖国問題は日本の内政であると同時に、国際外交上の懸案事項でもある。中韓はじめアジアの国々で
反発を呼び起こし、緊密な関係と協力関係を築くという地域共通の利益に役立たない」との報道官声明を発表した。

②戦時中、日本軍による中国系住民の虐殺があったマレーシアでは、中国系団体が
クアラルンプールで恒例の追悼式を開いた。約300人が参加。祈りの後、「日本大使館へ抗議に行こう」との声があがり、約20人が大使館へ。「日本とマレーシアや東南アジアの市民の友情と緊密な関係が、少数の人々の行動で損なわれてはならない」などという抗議文を職員に手渡した。

③ダウナー豪外相は、記者団に対して2週間前の訪日に触れ、「小泉首相には、豪州はA級戦犯がまつられていることを憂慮しているし、地域の人々の居心地を悪くしていると伝えたのだが……」と話した。豪ABCテレビは「彼ら(日本人)はいまだに後悔していない。誰もが苦々しい思いだ」という退役軍人の声を紹介した。

参照:「残念」「苦々しい」東南アジア・豪も批判 靖国参拝 (朝日新聞)

これが、人民日報が主張する「軍国主義の犠牲になったアジア諸国の人々」「米国、
欧州、アフリカの多くの国々の政治家、民衆およびマスコミによる批判」なのであろうか???
まさに針小棒大の典型であり、中国が得意とするプロパガンダ以外の何ものでもない。にもかかわらず、人民日報は以下のように結論づける。


自己の意見に固執して尊大な民族主義者、軍国主義復活の唱道者であり続けるのなら、その結末は一つしかない。すなわち、日本は中日友好の正常な軌道からどんどん遠ざかり、日本は最終的に「アジアと世界の孤児」に成り果てるのだ。中日両国の国民は、こうした事態を見たくはない。

参照:靖国参拝に見る誤った歴史観(2) (人民網日本語版)

まったく笑わせる。
最終的に「アジアと世界の孤児」に成り果てるのはオマエだ!中国!!!

それにしても、こんな国に「配慮すべきである」と主張する政治家が自民党内にもいる
ことに、怒りを通り越して悲しみすら覚える。

なお、かつての植民地に独立の代償を請求した旧宗主国はあっても、謝罪した旧宗主国は我が国以外にない。

【追記】
欧米列強の植民地主義が、現地の住民を省みず、収奪と抑圧の歴史だったのに対し、我が国の植民地主義は、義務教育の普及、衛生環境の改善、経済的・社会的インフラの整備などを積極的に進めるものだったことを付け加えておきたい。
だから、台湾の本省人が、中国国民党による支配に反発し、日本の統治時代を懐かしんだのである。

李登輝・元総統が今でも「私は22歳まで日本人だった」と公言し、総統時代に親日路線を貫いたのは、その証明である。

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2006/08/16

小泉の信念が国民の心を動かした!

今日になって複数のメディアが報じていることだが、政府は、小泉純一郎首相の8月15日の靖国神社参拝を前にして、二度にわたる世論調査を密かに実施したそうだ。
靖国参拝に対する世論の動向を探るためで、一回目は7月に実施された。質問内容は、「首相が8月15日に靖国神社に参拝することをどう思うか」という1項目だけだった。
一回目の結果は、賛成がわずかに反対を上回ったという。

ところが小泉首相は、7月下旬になって「もう一度調査をやってほしい」と再調査するよう指示した。なぜなら、この直前(7月20日)に「昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示した」とされる、「富田朝彦・元宮内庁長官のメモ」が明らかにされたからである。
小泉首相としては、この「富田メモ」が世論にどの程度の影響を与えているのかを、
再調査することによって見極める必要があると判断したわけだ。
で、8月初旬にまとまった再調査結果では、反対が賛成を大きく上回った。

私は過去のエントリーで、「それまでは小泉首相の靖国参拝を支持する国民が多いか、少なくとも賛否が拮抗していたのが、『富田メモ』が明らかにされて以降、反対が賛成を大きく上回るようになった」と書いた。政府の調査でも、同様の結果が裏付けられたわけである。

ところで、ここで注目してほしいのは、世論の風向きが明らかに逆風に変わったにも
かかわらず、小泉首相が8月15日に靖国参拝を実行したということである。
小泉首相のことを、よく「ポピュリスト」、つまり「大衆迎合主義者」として批判していた
連中がいる。中曽根康弘氏や加藤紘一氏、古賀誠氏などの面々である。
が、小泉首相が「大衆迎合主義者」であれば、世論の風向きが明らかに変わったにもかかわらず靖国参拝を実行しただろうか。

小泉首相は、自らの靖国参拝に対する世論の否定的な傾向を見て、敢えて8月15日に参拝する道を選んだ。それは、世論に逆らって靖国参拝を貫くことにより、逆にその真意を国民にアピールすることができると思ったからだという。
事実、讀賣新聞が8月15~16日の両日に行った緊急全国世論調査(電話方式)では、首相の参拝を「支持する」が53%に急上昇した(「支持しない」は39%)。
つまり、この結果を見る限り、小泉首相の選んだ道が正解だったということである。
私が、参拝後の記者会見を聴いていて感じた「固い決意と信念」が国民に通じたという
ことではないか。

ちなみに、讀賣新聞が8月5~6日の両日に実施した全国世論調査(面接方式)では、「賛成」43%、「反対」49%。朝日新聞が、「富田メモ」が公表された直後の7月22~23日の両日に行った調査では、「賛成」29%、「反対」57%。FNNの調査(7月29~30日)でも「参拝するべき」26.9%、「参拝するべきではない」 55.7%。
並みの首相であれば、以上のようなメディアの調査データに加えて、自前の調査でも「反対が賛成を大きく上回った」結果が出れば、適当な理由を付けて靖国参拝を中止
したはずだ。1986年の中曽根さんみたいにね。

加藤ちゃんも「加藤の乱」では初志を貫徹できず、結局「窓際族」に追いやられた。古賀くんも、反安倍だったのに、自らの率いる派閥の大勢が安倍支持に傾くと、「我々(ベテラン)が若い安倍氏を支えなければいけない」と安倍支持に転向。求心力は、もう地に落ちた。
君たちが「小泉首相は大衆迎合主義者」と言っても、国民が耳を貸すわけがない。国民は、君たちが思うほどバカではない。大多数の国民は、言葉の裏に隠された本質を
見抜く力を付けつつある。
要するに時代は変わり、国民も成長しているんだよ。それに取り残されていることが解らない、中曽根、加藤、古賀さんのような昔ながらの政治家たちは。

もう、君たちの賞味期限はとっくに切れている。お願いだからメディアに露出するのは
やめてほしい。次期首相も、こういう連中を早く掃除してほしい、切にそう願う。

参照:首相の靖国参拝、「支持」53%…読売調査 (2006/08/16 讀賣新聞)

【追記】
最近、いただいたTBにうまくお返しできないことが多々あります(3割くらい)。また、TBしましたというコメントをいただきながら、届いていないこともよくあります。
理由はよく解りませんが、いただいたTBには、すべて目を通しておりますのでご容赦を。
また、宣伝目的のTB、及び内容が明らかに筋違いのTBは削除させていただいています。悪しからず。

なお、「ポピュリスト」は、「大衆迎合主義者」以外の意味もありますが、今回は、明らかにそういう意味で各政治家が発言していますので、そう表記しました。

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2006/08/15

小泉首相、8月15日に靖国参拝

小泉純一郎首相が、公約どおり8月15日の靖国神社参拝を実行してくれた。
スーツ姿だった昨年とは違い、モーニング姿で本殿に上がり、「二拝二拍手一拝」の
神道形式はではなく一礼する形での参拝だった。
そして、玉串料の代わりに献花料3万円を私費で払い、「内閣総理大臣・小泉純一郎」と記帳した。

私は、参拝の様子を、朝のFNNの実況中継で視た。記者会見の模様は、ニッポン放送(ラジオ)のライブで聴いた。
記者会見を聴いていて、私は昨年の「郵政解散」に臨んだ時の小泉首相を思い浮かべていた。あの時と同じくらいの固い決意と信念が込められた会見だった。
ただ、後で映像を視ると、達成感というか満足感というか、あの時に比べれば幾分か
穏やかな表情に見えた。

以下に、参拝後の記者会見の内容を要約してお伝えする。

-------------------------------------------------------------------

Koizumi4











まず、小泉首相は、靖国神社を参拝する理由について次のように述べた。

私は二度と戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝している。
今日の日本の平和と繁栄は、現在に生きている人たちだけによって成り立っているわけではない。戦争において尊い命を犠牲にされた方々の上に今がある。
私は、そういう、祖国のため、また家族のために命を投げ出さなければならなかった
犠牲者に対して、心からなる敬意と感謝の念をもって、靖国神社に参拝している。


首相は続いて、我が国首相の靖国神社参拝に反対する側の理由として、次の三つを
上げ、それぞれに反論した。

①中国や韓国が不愉快な思いをする、反発をしているからやめるべきだという意見に
対する反論。

私は日中・日韓友好論者である。首相に就任して以来、日中・日韓の友好・交流は様々な分野で拡大している。しかし、どのような国でも、一つや二つの意見の違いや
対立はある。
中国や韓国が一つの問題で意見が対立しているから、不愉快なことがあるからといって、首脳会談を行わないというのは良いことなのかどうか。私は、靖国神社参拝をやめれば首脳会談を行ってもいいというのは、よろしくないことだと思う。

中国や韓国の言うことを聞けばアジア外交はうまく行くというが、必ずしもそうは思わない。一つや二つの意見の違いや対立を乗り越えて、未来志向で友好・交流進めていく
ことが大事である。

中国や韓国は、日本の国連安保理常任理事国入りに反対している。これは我が国に
とっては不愉快なことだ。しかし、これをもって私が「首脳会談を行わない」と言ったら、どちらが非難されるだろうか。
この件について我が国は不愉快な思いをしているが、私は、いつでも首脳会談を行うと言っている。拒否しているのは私ではない。

中には、小泉はブッシュ大統領から「参拝するな」と言われたら行かないだろうと言う人がいるが、そんなことはない。私はブッシュ大統領から反対されても参拝する。

②A級戦犯が合祀されているから行くなという意見に対する反論。

私は、特定の人に参拝しているのではない。苦しい辛い体験をせざるをえない時代に
生まれ、犠牲になられた多くの方々がいる。そういう方々に対して心から哀悼の念を
表する、これは日本の文化である。
私は、不特定の多くの戦没者の方々に対して哀悼の念をもって参拝しているのであって、A級戦犯のために参拝しているのではない。

③憲法に違反しているから反対であるという意見に対する反論。

私は、神道を奨励するために参拝しているのではない。過去の戦争を美化・正当化し、軍国主義を称揚しているわけではない。二度と戦争をしてはならない、過去の戦争に
おいて倒れた方々の思いを忘れてはならない、そういう気持で参拝している。
これは心の問題である。憲法第19条にあるように、思想、良心の自由は侵してはなら
ない。
日本の首相が日本の施設をお参りする、お祈りする、それを「外国が言っていることが
もっともだ」と言って小泉を批判する。このことをどう考えるのか。
私は毎年、伊勢神宮にも参拝している。このときは神道形式で参拝を行っている。しかし、憲法違反であるという批判を受けたことはない。

-------------------------------------------------------------------


以上、首相の側から記者団に対して、参拝の理由と参拝反対論に対する批判が10分近く述べられた。
そして、記者団との質疑応答に移る。

①今年は8月15日に参拝した理由については?

最初、多くの方々から「8月15日だけはやめてくれ」と言われた。そういう人の意見も
聞かなければいかんなと思い15日を避けた。が、8月15日を避けても、いつ行っても
批判され反発される。変わらない。
何とかこの問題を取り上げよう、混乱させよう、国際問題にしようとする勢力が内外に
いる。
私は、自分の方から靖国参拝を持ち出したことはない。いつも、この問題にこだわって
いるのはマスコミと私に反対する勢力である。
ならば、今日が適切な日ではないかなと思う。これは、過去5年間の経験から学んだ
ことだ。

②今回は公的参拝か私的参拝か?

総理大臣である人間、小泉純一郎が参拝した。職務として参拝しているのではない。

-------------------------------------------------------------------

以上が、小泉首相の会見要旨である。全容は「小泉首相 靖国参拝の理由語る(16分03秒)」で聴くことができる。
特にコメントすることはない。
5年間に鬱積したものを吐き出したような会見内容だった。
ただ、一つだけ付け加えておくことがあるとすれば、「最初、多くの方々から『8月15日
だけはやめてくれ』と言われた」と述べているが、決定的だったのは福田康夫元官房長官の次の言葉だったという。
「8月15日の参拝でなければ中国は問題にしない。唐家璇とは話がついている」
が、実際はまったく違ったわけだ。

中・韓の反発は相変わらずだし、民主党を始めとする野党も「外国が言っていることが
もっともだ」と大合唱をしている。が、靖国参拝問題については、これである程度の決着がついたと思う。
きっと、次期首相も靖国神社を参拝するであろう。

※「中には、小泉はブッシュ大統領から「参拝するな」と言われたら行かないだろうと
言う人がいるが、そんなことはない。私はブッシュ大統領から反対されても参拝する」というのは余分だったような気もする(笑)

【追記】
読者の方のコメントにありましたが、「私はブッシュ大統領から反対されても参拝する」という言葉の後に、「もっともブッシュ大統領は、参拝をやめろなどと大人気ないことは
言わないと思う」というオチを付けたのは、確かに強烈な「皮肉」ですね。

ところで、あの河野洋平さん(衆院議長)は、同日の、全国戦没者追悼式の追悼の辞で、「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」と「追悼式のあいさつ」としては異例(常識外)の発言をしていますね。
小泉首相の前で・・・

民主党の鳩山由紀夫くん(幹事長)も、「辞める間際になって8月15日に行くのは欺瞞(ぎまん)。その責任は後の内閣に任せるという話で、たつ鳥、後を濁しに濁して行くということで、無責任極まりない愚行だ」と、まあ政治家としてのセンスを疑うに十分な
言葉を吐いています。

この人たちには、永遠に「国益」というのが何なのか解らないのでしょう。
本当に「頭が悪い」と思います。

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2006/08/10

売国を決意表明していた日経・杉田社長

例の「富田メモ」について、新潮と文春の間で「真贋戦争」が勃発している。
週刊新潮が8月10号で「富田メモは世紀の大誤報か?」と報じたのに対し、文芸春秋が9月号で「ニセモノ説、捏造説を論破する」という特集を組んで応酬している。
新潮に対して文春の方が力(りき)が入っているのは確かだが、いずれも状況証拠か、よくて傍証の寄せ集めにすぎず、決定打とは言いがたい。

東条元首相の孫である由布子さんの証言を聞いた私は、「発言の主は昭和天皇ではない」という思いをますます強くした。が、前にも述べたように、今の私は、「(故・富田朝彦宮内庁長官のメモだけでは)昭和天皇が本当に不快感を示すご発言をしたかどうかは、誰も分からないだろう」という政府筋の判断が、現時点ではもっとも妥当だと思っている。
それよりも私は、「なぜ、この時期を選んだように富田メモが表ざたにされたのか」の方に関心がある。

私は、過去のエントリーで、背後に 「富田朝彦-後藤田正晴-中曽根康弘-渡辺恒雄のラインがあるのではないか」というようなことを書いた。が、これはどうやら考えすぎだったようだ。
なぜなら、この騒動の発端を作った日本経済新聞(日経新聞)が、社を挙げて「反小泉」「反靖国参拝」の姿勢を貫いていることがはっきりしたからである。

以下の報道は、過去に、ある読者の方からご投稿いただいたもので、機会があれば
記事にしたいと思っていた。


唐家璇国務委員は13日、北京の釣魚台国賓館で日本経済新聞社の杉田亮毅社長と会見した。

唐国務委員は次のように指摘した。中日関係は国交正常化以来、これまでにない困難に直面しているが、中国政府と人民は中日関係を重視しており、中日友好の基本方針は終始変わっていない。胡錦涛主席は先の日中友好7団体の責任者との会見の際、中国政府の対日政策を全面的に説明し、中日関係の改善に努める中国側の積極的
姿勢と心からの願いを十分示した。われわれは「日本経済新聞」はじめ日本のメディアが現在の中日関係と中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導き、中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している。

杉田社長は、日中関係は現在、重要な時期にあり、日本経済新聞は両国民の理解
増進、日中関係の改善のため積極的に努力したいと表明した。

唐家璇国務委員、杉田日本経済新聞社長と会見 (北京4月13日発新華社)

唐家璇は、1998年から2003年までの5年間、中国の外相(外交部長)を務め、今は
外交担当の国務委員(副首相級)を務めている。つまり、今の李肇星外相の前任であるとともに、その上司にあたり、中国外交の全般を取り仕切る立場の人物である。
その唐に対して社長の杉田が、「日本経済新聞は両国民の理解増進、日中関係の
改善のため積極的に努力したい」と決意表明した。
その努力の結果が、「富田メモ」の公表と「昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなったのは、A級戦犯の合祀に不快感を抱いたため」という断定的な報道なのである。

確証もないのに、なぜこういう報道をするのか?天皇の中立性を冒し、政治問題化すると分っているのに、なぜこうまでして中国の歓心を買おうとするのか?
それは、やはり経済界の意向を受けてのものであろう(つまり自社の利益のため)。

以下の社説を読めば、もう日経新聞は意図的な紙面作りを行っていると断じざるをえない。


安倍晋三官房長官が4月15日に靖国神社を参拝したことが明らかになった。小泉純一郎首相は「毎年、靖国神社を参拝する」と公言しているが、小泉内閣の外相と官房長官は外交上の配慮からこれまで靖国神社参拝を控えてきた。次期首相の最有力候補である安倍氏の参拝は内外に波紋を広げ、自民党総裁選で靖国問題が大きな争点に
なるのは避けられない情勢になってきた。

安倍氏はかねて小泉首相の靖国参拝を強く支持してきた。首相になった場合の対応についても「戦没者の方々、国のために戦って倒れた方々のために手を合わせてご冥福をお祈りし、尊崇の念を表する気持ちは持ち続けたい」と語ってきた。

安倍氏は4日の記者会見で「(靖国神社に)行くとか行かないとか、行ったとか行かなかったとか申し上げるつもりはない」と述べ、参拝の事実について否定も肯定もしなかった。仮に首相になってもそうした態度を堅持する考えを示し、「靖国問題が外交問題化、政治問題化しており、それをさらに拡大すべきではない」と語った。これみよがしに靖国神社に参拝する小泉流とはひと味違う安倍氏の手法に注目したい。

小泉首相は3日配信のメールマガジンで靖国問題について「私を批判するマスコミや
識者の意見を突き詰めていくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国が嫌がることはしない方がいいということになる」と述べている。A級戦犯合祀(ごうし)問題には触れずに「どのようなかたちで哀悼の誠をささげるのか、これは個人の自由だと思う」とも語っている。

こうした小泉首相のかたくなな態度はいただけない。A級戦犯合祀に割り切れない思いを抱く遺族や国民は少なくない。中国、韓国の反発だけでなく、米欧の世論も厳しい目を向けている。こうしたことを一切無視して「心の問題だ」「個人の自由だ」と開き直るのは一国の首相として無責任である。

小泉首相に比べると安倍氏の対応には一定の配慮もうかがえる。総裁候補である谷垣禎一財務相は首相になったら靖国参拝を自粛する考えを明確にした。麻生太郎外相も「参拝は個人の信条と公の立場を踏まえて適切に判断する」として靖国参拝には慎重姿勢を示すとみられる。

総裁選では各候補が個人としての靖国への思いと日本国首相としての立場をどう調和させるのかを真剣に議論し、この問題をできるだけ政治問題化、外交問題化させない
ための知恵を競い合うべきである。

避けられぬ靖国問題の総裁選争点化 (2006/08/06 【社説】)

「これみよがしに靖国神社に参拝する小泉流」と小泉首相の靖国参拝を小ばかにし、「ひと味違う安倍氏の手法に注目したい」と安倍官房長官を皮肉る。
小泉首相に向けた言葉には敵意さえ感じさせる。

しかし、「次期首相の最有力候補である安倍氏の参拝は内外に波紋を広げ、自民党総裁選で靖国問題が大きな争点になるのは避けられない情勢になってきた」と書いているけど、残念ながらそういう情勢になりそうにないんだよな。
親中派の二階経産相も「この問題で日本の総理を決めるということまでは国民が期待
していない」と語っている。あの古賀元幹事長でさえ「我々(ベテラン)が若い安倍氏を支えなければいけない。党内で足の引っ張り合いをしていてはいけない」と述べているのが現状だ。
古賀氏はともかく、二階氏の動き(意向)なんて7月末の時点で分っていたはずだ。これを無視して上記のような社説を書く。意図的でなければ、よほど政界情報に疎い新聞としか思えない、つまりメディアとしての価値を疑う。

「A級戦犯合祀に割り切れない思いを抱く遺族や国民は少なくない」というが、「そういう遺族や国民」を日経新聞が作り出しているのではないのか。少なくとも、「富田メモ」が公表されるまでは、首相の靖国参拝を支持する国民の方が多かった。
「中国、韓国の反発だけでなく、米欧の世論も厳しい目を向けている。こうしたことを
一切無視して『心の問題だ』『個人の自由だ』と開き直るのは一国の首相として無責任である」???
中国、韓国以外の米欧の厳しい世論って何を指して言っているんだ???
私は、主要な政治記事のほとんどに、毎日のように目を通しているが、そんな米欧の
厳しい「世論」なんて見たこともなければ聞いたこともない。
根拠もなしにこういうことを書く日経新聞こそ「無責任」そのものじゃないか!いい加減にしろ!!!
米欧の「世論」まで捏造する!もうメディア失格だ!!!

「締め」の「総裁選では各候補が個人としての靖国への思いと日本国首相としての立場をどう調和させるのかを真剣に議論し、この問題をできるだけ政治問題化、外交問題化させないための知恵を競い合うべきである」という主張に至っては、もう理解に苦しむ。
頭が悪いのか、それとも、この程度で読者を騙せると思っているのか???
本当に信じられない。

「政治問題化、外交問題化」させているのは、日経新聞じゃないか。そもそも、この社説自体がそうだ。
「私を批判するマスコミや識者の意見を突き詰めていくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国が嫌がることはしない方がいいということになる」という
小泉首相の言い分を、自ら証明しているようなもんだよ、これでは。

日経新聞は、国と国との「友好」がどういうものなのか解っていない。いや、むしろ曲解して読者に伝えようとしている。
経済関係が緊密になったからといって友好関係になれるわけではない。お互いが相手の国に敬意を払い、態度で好意を示す。それが「友好」の最低条件だ。
今の中国は、小学生の時から反日教育を行い、サッカーの試合において暴動まがいの騒乱を許し、大使館や総領事館など日本の公館を破壊させ、責任は日本にあると言い張って謝罪もしない。日本の固有の領土に対して領有権を主張し、自国民の不法上陸を黙認する。
杉田社長が、「日本経済新聞は両国民の理解増進、日中関係の改善のため積極的に努力したい」といくら決意表明しても、これでは日本国民の対中感情が好転するわけがないし、友好関係なんて「砂上の楼閣」でしかありえない。

こんな社説を書く日経新聞の論説委員って、どんな人間なのか?
少なくとも、偏差値の高い大学を出ていることだけは間違いないのだろうが(笑)
せめて社説くらいは、署名入りで書いてほしいな、日経くん。

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2006/07/31

「富田メモ」無節操極まる政治利用!

昨日のエントリー「谷垣!Who? 」で書いたように、谷垣禎一財務相が、靖国参拝の是非を自民等総裁選の争点として持ち出してきた。

私は、いわゆる「富田メモ」に関しては、推測で記事を書くのはもうやめると書いた。
私は、あのメモは徳川義寛侍従長の発言だと確信しているが、それは状況証拠の集積の結果であり、結局は水掛け論に陥るからだ。
が、谷垣氏が靖国問題を争点として持ち出してきた以上、少しばかり言っておかねば
ならない事がある。

谷垣氏が、総裁選に靖国問題を争点として持ち出してきたのは、不出馬を表明した
福田康夫支持勢力を取り込むという狙いがある。
が、それだけではない。
世論の靖国問題に対する風向きが変わったと判断したことも大きいと思う。その世論の風向きとは、2006年7月25日付朝日新聞の「全国世論調査(電話)記事」の内容である。

朝日新聞の世論調査は、次のように書いている。

①次の首相の靖国神社参拝の賛否を尋ねたところ、反対が60%を占め、賛成の20%を大きく上回った。
②今年1月の調査では反対46%、賛成28%で、今回、反対が大幅に増えた。
③小泉首相が9月末までの任期中に参拝することについても反対が57%にのぼり、
賛成29%のほぼ2倍だった。
④昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していた発言メモが
明らかになり、首相参拝の是非を考える上で、この発言を「重視する」と答えた人は6割を超えた。

この世論の結果は、完全にメディアによる「ねつ造報道」がもたらしたものである。それに谷垣氏が乗った。まさに「富田メモ」の政治利用である。

朝日新聞は22日の天声人語で、「昭和天皇が、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)
されたことに不快感を示した発言のメモ
」について次のように書いている。

(前略)「気をつけたいのは、このメモの扱い方だ」(中略)「宮内庁長官を介して間接的にもたらされた幾つかの言葉から、その像が一気にくっきりと見えてくるものではあるまい。メモは一つの史料として冷静に受け止めたい。政治などの場で過大に扱うのも控えた方がいい」(後略)と・・・

にもかかわらず、その直後(22、23の両日)に上記の世論調査を行い、政治に影響を
与えているのだ。

この「富田メモ」の信憑性に関しては、いわゆる「識者」と言われる者たちの見解も割れている。

■肯定派の意見。

「あり合わせのメモが張り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う(作家の半藤一利氏)」
(毎日新聞)

「前々から富田元長官は律義な人と承知しており、実際に読んだ日記やメモは信頼性が高く、昭和天皇の言葉を書き留めたものと考えていい(秦郁彦・日大講師)」
(讀賣新聞)

■慎重派の意見

「メモが昭和天皇の発言を正確に記録したものだとすれば、慎重な検討が必要だ。例えば、松岡、白鳥までもが、との趣旨の記述は、いわゆるA級戦犯の合祀に批判的だったのか、一部の合祀が不快だったのか、にわかに判断できない。
昭和天皇が開戦の決定を認めたことについて申し訳ない気持ちを持たれていた可能性もある。短絡的に不快感(が原因)ととらえるのではなく、すでに公刊されている故・
徳川義寛侍従長の回想記と合わせ、再考する必要がある(所功・京都産業大教授)」
(讀賣新聞)

■懐疑派の意見

「『米国より見れば犯罪人ならんも、我が国にとりては功労者なり』と語っておられた
昭和天皇が、たとえ私的な会話であれ、果たして『A級』などといった乱暴ないい方を
されるであろうかとの疑念は拭いきれない(百地章・日大教授)」
(産経新聞【正論】)

お読みになればお分かりのとおり、肯定派、慎重派、懐疑派ともに「思う」「考えていい」「判断できない」「拭いきれない」という言い回しであり、誰もが個人的な「感想」、もしくは「思い」の域を出ていない。
要するに、いずれの発言も、それを裏付けるだけの確証がないのだ。

にもかかわらず朝日新聞は、「メモは、天皇が闘病中の88年、最後の誕生日会見直後の天皇とのやりとりだった」と断定し、写真付きで大々的に報じた(2006/07/21 昭和天皇の苦い思い、浮き彫りに)。
根拠は、今は亡き徳川元侍従長の昔話だけである。
だから、私も状況証拠を集積して「メモはねつ造である」と断じた。確証もないのに、
「メモは天皇発言である」と断定的に報道するメディアに、反証を挙げて対抗するためだ。

東条元首相の孫である由布子さんは、23日のテレビで次のように証言している。
「処刑後、毎年お使いの方がお見えくださって、ご下賜の品を頂戴していた。『東條の
家族は元気にしているだろうか』というお伺いを持って来てくださっている。そういう陛下が、あのようなことを仰るとはとても思えない」
これはナマの証言である。

この証言以外にも、、メモが昭和天皇の発言とは思えないという状況証拠は、過去の
エントリーで書いたようにたくさんあるのだ。

要するに「(故・富田朝彦宮内庁長官のメモだけでは)昭和天皇が本当に不快感を示すご発言をしたかどうかは、誰も分からないだろう」という政府筋の判断が、今のところもっとも正しいのである。

にもかかわらず、メディアの「ねつ造」報道によって、「公になった言葉ではなく、非公式な会話メモで判断するのは、昭和天皇の『政治利用』につながりかねない」(百地章・
日大教授)」(産経新聞)という危惧が現実のものになっていく。

しかも、朝日新聞が煽っている。「気をつけたいのは、このメモの扱い方だ」「メモは一つの史料として冷静に受け止めたい。政治などの場で過大に扱うのも控えた方がいい」と天下の(?)「天声人語」で主張していながらだ!!!

①「昭和天皇は本当に偉い方だったんだなあ。大御心(おおみこころ)だなあ」。民主党の小沢代表は20日、記者団にこう語った。小沢氏は最近でも「戦死ではない人たちが靖国神社にまつられること自体が間違いだ。天皇も堂々と参拝できるような本来の靖国神社にすべきだ」との持論を繰り返していた。

②超党派の国会議員でつくる「国立追悼施設を考える会」の呼びかけ人でもある民主党の鳩山由紀夫幹事長も「A級戦犯合祀(ごうし)が理由で天皇陛下が参拝されていないことが、証拠として示された意義は大きい」と語った。小泉首相に対しては「自分だけの意思で軽々に(参拝する)というのは許されない。この事実を重く受け止めて頂きたい」とくぎを刺した。

③共産党の志位委員長は「『靖国史観』派のシナリオが破綻(はたん)し、参拝を繰り
返してきた小泉首相の主張に道理がないことを浮き彫りにするものだ。首相の参拝中止を改めて強く求める」との談話を発表した。

④社民党の又市征治幹事長も「昭和天皇の意思が資料で裏付けられた。戦争の反省と平和の希求という気持ちが表れた言葉だと思う。政府・与党がどう受け止めるのか
注視したい」との談話を出した。

以上は、「民主・小沢代表「昭和天皇は偉い方」 靖国発言メモで」という朝日新聞の
記事(2006/07/21)からの引用である。

⑤日本遺族会会長である自民党の古賀誠元幹事長は25日、東京都内で講演し、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に昭和天皇が不快感を示した発言メモについて「お言葉に涙の出る思いがした。この思いを、私たち遺族は最も大切にし、最も重いものとして
受け止めたい」と述べ、靖国神社にA級戦犯の自発的な分祀(ぶんし)を促す決意を
改めて表明した。

古賀氏は講演で「戦没者ではない英霊が合祀されたことで、皇族がお参りを遠慮され、日中の問題がここまで先鋭化してくる。そういうことを無念の死を遂げた英霊がどう見ているだろうか」と指摘。「遺族会の原点に返って、国民がわだかまりなくお参りし、皇室もお参りできる、英霊に思いを寄せた対応こそしていかなければならない」と強調した。

これも「古賀氏、A級戦犯の分祀に強い意欲」(2006/07/25)という朝日新聞の記事である。

一方で「政治などの場で過大に扱うのも控えた方がいい」と言いながら、他方で首相の靖国参拝反対派の政治的発言を次々に報道し、世論調査まで行って「紙上の世論作り」をする。しかも、すべてが「メモは昭和天皇の発言」という前提に立ったものだ。
本当に、この新聞は「偽善のかたまり」だ。

メディアや野党の諸君に訊きたい。昭和48年の増原恵吉防衛庁長官の辞任は何だったのかと???

増原防衛長官は、あるとき内奏をした。
内奏とは、天皇に対して、非公式に経過報告や進捗状況を申し上げることをいう。現憲法の下では、国務大臣は天皇に対して責任を負わないから、この内奏はしなくてもよい。
が、歴代閣僚はそれほど頻度は多くないにしても、この内奏を行っていた。いわば慣例として行われていたのである。

ところが、この増原防衛長官は、内奏の際に昭和天皇から受けたお言葉を、ついうっかりして漏らしてしまったのである。
「防衛問題はむずかしいだろうが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことは真似せず、いいところは取入れてしっかりやってほしい」という激励に感激して、記者団の前でこのお言葉を明らかにしてしまったのだ。
これに噛みついたのが野党の社会党(現・社民党)や共産党、及び朝日新聞を始めと
するメディアであった。

増原防衛長官の発言は「天皇を政治利用するもの」というのが、その理由だった。この問題は、一大政治問題と化し、当時の田中角栄内閣は、天皇の激励はなかったことにして、増原防衛長官は一身上の都合で辞職ということにした。

当時の野党やメディアが増原批判の根拠にしたのは憲法第4条である。
憲法第4条1項は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めている。
国事に関する行為は第7条で定められているが、これも条文の冒頭に「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と書かれている。
つまり、天皇が政治に関与できるのは「国事行為」のみであり、それさえ「内閣の助言と承認」がなければ許されない。

要するに天皇は政治に関与してはならないのに、閣僚が天皇から聞いた政治に絡む
発言を公表して、利用しようとしたとして増原防衛長官は猛烈なバッシングを受けたのである。
そして結果は閣僚辞任。

今回の「冨田メモ」を口にする政治家たちよ!その政治家たちを煽り、逐一報道するメディアたちよ!君らのやっていることは「意図的」である分だけ、かつての増原防衛長官の発言よりず~っと罪が重いのではないか???
もし、「富田メモ」が本当に昭和天皇の発言であるのならば、小泉純一郎首相の靖国
参拝や「A級戦犯」の分祀論に言及するのではなく、昭和天皇の発言をそういう問題に絡めるのは「天皇の政治利用」であり、憲法違反であると主張するのが「筋」というものではないのか???

あるときは、天皇の個人的発言を「政治利用」したと非難して閣僚辞任にまで追い込みあるときは、確たる証拠もないのに「天皇の発言である」と断定して、今度は逆の立場から「政治利用」する。
こんな無節操が許されるのか???しかも、昭和天皇が絡んでいるのである。
小沢!鳩山!古賀!君たちは天皇制を肯定する政治家ではないのか???
なぜ、共産党の志位や社民党の又市のような天皇制否定論者と同じレベルに立つのだ???
もう、こういう連中は理解できない!!!

なお、増原防衛長官の件についての昭和天皇の落胆は大きく、宮内庁長官と入江
相政侍従長に対して、「もう『はりぼて』にでもならなければ」と語っていたという。

参照:第六十六代:第二次田中角栄内閣

【追記】
もう朝日新聞、反靖国でフル・スロットル、暴走中です。

A級戦犯、広田元首相の遺族 「靖国合祀合意してない」 (2006/07/27)
靖国合祀、国主導の原案 「神社が決定」に変更 (2006/07/29)
靖国「遊就館」の戦犯遺書、旧厚生省が収集依頼 (2006/07/30)

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2006/07/24

いわゆる「富田メモ」について(最終)

もう、これで最後にしますが、前回のエントリーに対して次のような疑問が寄せられて
います。したがって、私の見解をこの場で述べておきたいと思います。

昭和63年(1998年)4月28日付の富田メモにある発言は、3日前の25日に行われた
昭和天皇の記者会見に関するものではないか。
つまり、25日の会見でお述べになったことの真意を、後日(28日)になって天皇ご自身が補足され、それを富田・元宮内庁長官がメモしたものであると。

朝日新聞も同じことを書いている。
「メモは、天皇が闘病中の88年、最後の誕生日会見直後の天皇とのやりとりだった」と。

しかし朝日新聞は、同じ記事の中で、会見中の天皇のご発言について「何といっても
大戦のことが一番いやな思い出」としか書いていない。
讀賣新聞も、「(日本が戦争に進んだ原因をめぐる質問に)人物の批判とかそういうものが加わりますから」として、言葉を濁されたと書いている。
産経新聞も讀賣と同様で、「(戦争に進んだ最大の原因は、の質問に)人物の批判とか加わりますから」と口を閉ざされたとしている。

ネット(もちろん新聞の過去記事も)で調べたが、昭和63年(1998年)4月25日の昭和
天皇会見の記事が見つからない。したがって、会見内容の全容は分らない。
が、「何といっても大戦のことが一番いやな思い出」とは語っているが、「人物の批判とかそういうものが加わりますから」として個人に言及されるのを避けられたことだけは
間違いない。

しかるに、明らかにされた「富田メモ」では、奥野、中曽根、藤尾、松岡、白取、筑波、
松平と、固有名詞が連発されている。また「松平の子の今の宮司」という表現まで出てくる。
昭和天皇が、「25日の会見で述べたことの真意を補足したもの」とすれば、ここまで
固有名詞が出てくるであろうか?しかも「松平の子の今の宮司」にまで言及している。
松岡や白取(白鳥)という名前が出てくるのはよく解る。が、「松平の子の今の宮司」
まで出てくるに至っては、私は、極めて疑問に思う。

そして、次の発言である。

戦争の感想を問われ 嫌な気持を表現したが それは後で云いたい
そして戦後国民が努力して 平和の確立につとめてくれた ことを云いたかった
"嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっかけて云った積りである

これは、本人ではなく、まったくの「第三者の解説」に聞こえる。昭和天皇のお話しぶりをご存知の方は、皆そう感じるのではないか!

「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」という言い回しについても、第三者である
ことが分る。
読者の方のコメントにもあったように、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で、櫻井よし子氏が、ソースを示したうえで「筑波宮司が上奏文の形で、何度も陛下にご説明申し
上げていた」と述べていた。

つまり、昭和天皇と筑波宮司の間柄は、「聞いたが」という第三者的関係ではないのだ。「聞いたが」ではなく「知っていたが」の関係なのである。

また、侍従長は戦前の「内大臣」(戦後に廃止)に相当する。要するに天皇の側近で
あり、家柄に由緒ある方が多い。一方の宮内庁長官は、しょせん官僚。富田・元長官も警察官僚上がりである。
したがって、宮内庁長官が天皇陛下に、「ご発言の真意を訊く」という構図は考えられないのだ。ましてや、朝日新聞も書いているように、当時の昭和天皇は「闘病中」の御身であられた。
したがって、宮内庁長官としては、誰よりも天皇陛下に近い侍従長に訊く、これがもっとも自然なのである(というか、そうするしかない)。

「富田メモ」にある「Pressの会見」を「28日の記者会見」と読むのではなく、「25日の
昭和天皇の記者会見」と解釈する意見は、そうかもしれないと思わせるところもある。
が、仮に「富田メモ」の内容が、その「25日の昭和天皇記者会見」の真意を補足した
ものであるとしても、富田・元長官の相手は、故・徳川義寛侍従長であったと確信する。

そもそもメモは、写真をご覧になればお分かりのように、後でゆっくりと書いたものではない。話を聞きながら、その場で速記したものと見える。
宮内庁長官が、天皇陛下の御前で、そのお言葉をメモするなど考えられない。
やはり、「25日の昭和天皇記者会見」の真意を、徳川・元侍従長から28日に聞き、メモに取った。そして、徳川・元侍従長の解説には、徳川氏個人の主観が大いに含まれていた
そう解釈するのが自然だと思う。

なお、徳川義寛氏は、1988年(昭和63年)4月13日にその職を辞している。したがって「富田メモ」の日付(4月28日)のころは現職ではない。
が、徳川氏は2.26事件の起きた1936年(昭和11年)11月に侍従になり、以来52年の長きにわたって昭和天皇の側近を務めた、側近中の側近である。「昭和史の【奥】の
生き字引」とも言われた人物だ。

昭和天皇の「ご真意」を知るには、当時は、この人物に訊くしかなかった。

【追記】
昨日までとは打って変わって、今日はメディアも政治家もこの問題には沈黙。なんか、「遠い過去の話」のような感じです。
山崎拓氏や加藤紘一氏も、福田不出馬のショックに打ちのめされた感じの話題ばかり。やはり、もう「富田メモ」に言及しても「政治的効果」がないと悟ったのでしょう。
私も、今回で終わりにします。

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やはりねつ造だった「天皇発言」

富田朝彦・元宮内庁長官(故人)が残していたとされる、「昭和天皇のご発言メモ」に
関しては、どうやら「故・徳川義寛侍従長のメモだった」というのが真相のようだ。
この情報は、昨日の午前3時の時点で、「正成」と名乗る読者の方がカキコされていたのだが、ソースが明記されていなかったので取り上げなかった。
が、別の方から、午後になってソースが明示された情報が送られてきた。

このソースは、証拠写真付きだから間違いないと思う。
朝のサンデープロジェクトで、加藤紘一氏や菅直人氏が、メモが真実であるという前提で「天皇のご意向を無視できない」とか、あれこれ言っていたが、どう釈明するのだろう。
以下に、証拠写真を掲載する。日本経済新聞で公表されたメモの裏面である。

富田・元宮内庁長官のメモ裏面Memo2_5              
             63.4.28 [■]
☆Pressの会見                            
[1]   昨年は
  (1) 高松薨去間もないときで
    心も重かった
  (2) メモで返答したのでつく
  していたと思う
  (3) 4.29に吐瀉したが その前で
    やはり体調が充分でなかった
  それで長官に今年はの記者
  印象があったのであろう
    =(2)については記者も申して
    おりました
 
[2]  戦争の感想を問われ
  嫌な気持を表現したが
  それは後で云いたい
  そして戦後国民が努力して
  平和の確立につとめてくれた
  ことを云いたかった
  "嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長
の靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである


富田・元宮内庁長官のメモ表面Memo3_3        
               4.28 [4]
  前にあったね どうしたのだろう
  中曽根の靖国参拝もあったか
  藤尾(文相)の発言。
 =奧野は藤尾と違うと思うが
  バランス感覚のことと思う
  単純な復古ではないとも。

  私は 或る時に、A級が
  合祀され その上松岡、白取
  までもが、
   筑波は慎重に対処して
  くれたと聞いたが

                      
〇       松平の子の今の宮司がどう考
余そ  えたのか 易々と
り う    松平は平和に強い考が
閣で  あったと思うのに 親の心子知
僚す  らずと思っている
も が    だから 私あれ以来参拝
知か  していない。それが私の心だ
ら多
すい

     ・ 関連質問 関係者もおり批判になるの意

-------------------------------------------------------------------

もう、お読みになればお解りだと思う。
日本経済新聞がスクープしたメモには、前段があったのである。それは公表されたメモの裏側に書かれていた。
なぜ、[1][2]と来て[4]に飛んでいるのかは分らない。ただ、文意は[1][2][4]と連続して
いるので、[3]を抜かしただけだろう。

まず言えるのは、これは昭和天皇の発言を記したメモではない。記者会見を開き、記者から「戦争の感想を問われ」るような身分の人物のものである。
そしてメモは、そのときの記者会見の内容を控えたものだ。

以下は、私のエントリーに最初に情報をカキコしてくれた「正成」さんの分析である。

1.メモはプレスの会見を筆記したものである。
2.昭和63(1988)年4月28日の記述である。
3.質問に対する答えは率直な感想を述べているように読み取れる。発言内容を事前にチェックされる立場の人間ではない事が判る。
4.高松宮様に対して薨去という言葉を使っている事から宮家ではなく 、仕える立場の
人物の発言と読み取れる。
5.「(3) 4:29に吐瀉したが」のくだりは客観的な表現で自身の事ではない。
6.戦争の感想を問われた時「嫌な気持を表現」している人物である。
7.あまり閣僚を知らない人物である。
8.会見時の発言に「そうですか」が多かった。
9.靖国神社の松平永芳宮司を松平の子と呼ぶ事から近親者で年配者である事が
判る。

以上の事から考えて、このメモの発言者として最も適当な人物は徳川侍従長である
事は明白です。
理由は以下の通りです。
a.徳川侍従長のが勇退日は昭和63(1988)年4月末日。(会見の有無は確認できず)
b.徳川侍従長の以前からの発言と相似している。
c.前出の1~9の指摘事項に全てあてはまる。

では昭和天皇陛下の発言とした場合、以下の矛盾点が生じます。
イ.この日に昭和天皇陛下の会見は報道されていない。翌29日の天皇誕生日での会見は記録に残っている。
ロ.記者が天皇陛下に対してこのような質問をするとは思えない。又、質問する機会もない。

-------------------------------------------------------------------

まさに的確な指摘だと思う。付け加えるとすれば、富田氏を「長官」と呼ぶ立場の人物でもある。

やはり、「ある政治的な意図を持った陰謀」だったのである。
この陰謀が、安倍晋三官房長官を狙ったものかどうかは分らない。が、少なくとも、靖国神社参拝を肯定する政治家、特に総理大臣か、それ以上に「次の総理大臣」を牽制する意図を持ったものであることは間違いない。

一体、誰が仕掛けたのか?
煙たい政治家のスキャンダルをデッチあげてメディアに流すのは、北朝鮮=朝鮮総連の常套手段だが、さすがに今回は関係がない。
考えられるのは、富田・元宮内庁長官のメモ(手帳)が手に入る立場にあり、首相の
靖国参拝反対派で、かつ親中国派の人物である。

富田氏の経歴と人脈を考えれば、そのような立場にありうる人物は、大体の想像は
つく。が、確証がないので、ここでは明らかにできない。

ところで私は、前回のエントリーの【追記】で以下のように書いた。


今日の昼の報道番組(テレビ朝日だったと思う)に、東条英機元首相の孫と皇室記者としての経歴が長い神田秀一氏が出演していた。(録画だと思う)

東条元首相の孫である由布子さんは、メモはねつ造だとして上で、「処刑後、毎年
お遣いの方が来られて『ご下賜』をいただいていた。『遺族の者たちは皆、元気にしているだろうか』と、ご心配をいただいた。そんな陛下が、ああいうことを仰るとは思えない」と述べていた。(以下略)
と・・・

やはり、事実を前にすれば、ねつ造はすぐに破綻するのである。

なお、この糊付けされた、もう一方の面の解読が達成されたのは、オーマイニュース
編集長の鳥越俊太郎氏によれば、「ゴミ貯の2ch有志による地を這うようなローラー
作戦の結果」だそうである。
改めて、ネットの威力に感服した。

「富田メモ」を、検証することなく仰々しく取りあげたメディアや政治利用した政治家は、頭をまるめろ!!!
天皇陛下の発言をねつ造した、不敬の輩を激しく糾弾する!!!

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「奥野国土庁長の靖国発言」とは、1983年の奥野誠亮氏による「国家社会の代表が、代表として(靖国神社を)お参りできないようでは、将来、事があった場合どうなるのか」という発言を指すと思われる。
この奥野氏、87年(竹下内閣)の国土庁長官時代には「私は侵略という言葉を使うのは、たいへん嫌いだ。あの当時、日本にはそういう意図はなかった」とも発言しており、なかなかの硬骨漢だった。
従軍慰安婦問題でも「従軍慰安婦は商行為」と発言し、積極的に反対論を展開した。

「中曽根の靖国参拝」とは、当時の中曽根康弘首相による、1985年8月15日の靖国
神社公式参拝を指すと思われる。
このとき、野党や中国が猛反発した。その結果、中曽根氏は86年から参拝を中止。
以後、首相による靖国参拝を自粛するのが、当たり前になった。

「藤尾(文相)の発言」とは、1986年(中曽根内閣)の藤尾正行文部大臣によるの「日韓併合は当時の両国代表の合意に基づいて行われた。韓国側にもいくらかの責任は
ある」を指すと思われる。
藤尾氏は、韓国の猛抗議を受けた中曽根首相の辞職要求を拒否し、結局罷免された。

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【追記】
これは、「うひゃ、こんなことになっておるのか」からの引用だが、「昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記」には、以下のくだりがあるという。


昭和の最後の2年間、私は宮内庁を担当していました。昭和天皇について知りたいことはたくさんありましたが、その一つは、なぜ1975年11月を最後に靖国神社へ行かなく
なったのか、ということです。この問いに答えられる人は天皇の側近である徳川義寛・侍従長しかいません。何日も朝駆けし、出勤途中を待ちかまえて尋ねました。徳川侍従長は口が堅く、ほとんど無言の行でしたが、A級戦犯合祀と関係があるらしいこと、徳川侍従長も合祀に批判的だったことは分かりました。

後に侍従長を退いてから同僚の記者が取材した証言録によると、以下のような経緯でした。――靖国神社の合祀者名簿は例年、10月に神社が出してくるが、1978年は遅れて11月に出してきて、A級戦犯を合祀したいという。その10年ほど前に総代会はA級戦犯を合祀する方針を決めていたが、旧皇族である宮司の筑波藤麿さんが先延ばししてきたのに、宮司が代わると間もなく合祀を実施した。徳川氏は「松岡洋右さんのように軍人でもなく病死した人も合祀するのはおかしい」などと問いただしたが、押し切られた。

「靖国神社は元来、国を安らかにするために奮戦して亡くなった人をまつるはずなのであって、国を危うきに至らしめたとされた人も一緒に合祀するのは異論も出るでしょう」「筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」と、徳川氏は語っています。

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「富田メモ」とほぼ同じ内容が書かれている。

【追記2】
「松平の子」と記者会見で名指しされた松平永芳氏が、靖国神社宮司をお辞めになったのは1992年(平成4年)のことです。

1988年に天皇陛下から

「松平の子の今の宮司がどう考
えたのか 易々と
松平は平和に強い考が
あったと思うのに 親の心子知
らずと思っている」

と記者会見で非難されたら、即刻辞職するでしょう。

また、陛下が記者会見で「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と仰せになられたとしたら、それこそ当時のメディアが、今以上に大騒ぎしたことでしょう。

これを見ても、「私は=昭和天皇」でないことは明らかです。

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