米国

2017/08/07

人体実験だった広島・長崎の原爆


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昨日は原爆記念日だったね。
もっとも最近は、「記念日」ではなく「原爆の日」と言うらしい。
まあ、どちらの呼称も五十歩百歩で、その言葉には、米国による人道に反した残虐行為に対する抗議の念は微塵も感じられない。
一晩で10万人以上が焼殺された東京大空襲も同じだ。
供養式は行われても、この人類史上稀にみる非人道的な行為に言及するメディアはほとんどない。
それもこれも、原爆や焼夷弾を投下した米国より「そういう行為を誘発した日本が悪い」という左翼主導の自虐史観が未だに我が日本国にはびこっているせいだと思う。

と言うことで、本日は、過去におけるこの問題に言及したエントリを再投稿させていただきたい。
何しろ11年前の2006/08/13に書いたの記事の再掲なので【参照】等がリンク切れを起こしている点はご容赦願いたい。

以下、再掲です↓

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「後悔に1分たりとも時間を費やすな」は米大統領だったトルーマンの言葉だ。
実際、戦後何百回もたずねられた「原爆投下」について少しも後悔の念を見せなかった。
難しい決断だったかと聞かれ「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと鳴らした。


これは、毎日新聞の8月6日付【余録】で紹介されている第33代米国大統領、ハリー・S.トルーマンの逸話である。
つまり、「指パッチン」で日本に対する原爆投下を決めた。後悔する必要なんて、これっぽっちもない、というわけだ。
が、「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉を吐かざるをえなかったというところに、この人物の深層が表れているような気がする。

実際、非公式な場所では、良心の呵責に苦しめられていることを周囲の人や身内の人たちに洩らしていたと言われる。
【余録】氏も次のように書いている。
「妻や妹への手紙、内輪の会話、日記では、女性や子供の被害へのおののきや後悔を示している。(原爆の開発にかかわった)科学者らが自責の念を示すと、ひどく感情的に反発した」
やはり、大統領、そして国家に「過ち」はあってはならない、その思いが「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉と、「指パッチン」という態度につながったのだろう。

-------------------------------------------------------------------

私は昨年の8月6日、次のように書いた。(抜粋)


私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている。しかし、毎年8月がくると怒りがこみ上げてくる。
これは、もう理性を超越した、日本人としての血がなせる業だと思う。やはり、今日は、原爆と米軍の話を書かずにはいられない。

私は、広島の平和記念公園を二度訪れたことがある。もちろん、原爆死没者慰霊碑に首(こうべ)を垂れ、祈りを捧げた。そのときは、「過ちは繰り返しませぬから」という碑文の文言には、何の抵抗もなかった。しかし、今日、その碑文を読み直して強い違和感を覚えた。
原爆投下という過ちを犯したのは米国である。なのに「過ちは繰り返しませぬから」とは......おそらく、この慰霊碑が建立された頃は、日本の誤った戦争が原爆の悲劇をもたらしたという認識が、我が国民に強かったということであろう。当時の私も、何の抵抗も感じなかったのだから...

広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である。したがって、原爆被害に遭われた方々に対して、「過ちは繰り返しませぬから」などと言うのはもう止めにしたい。
「原爆の悲惨さは永遠に忘れません。皆様の筆舌に尽くしがたい苦痛と無念を心の奥底に深く刻み込みます」と誓いたい。

(抜粋終わり)

-------------------------------------------------------------------

しかし、誤解してほしくないのは、当時の米国が戦争犯罪を犯したと断罪し、反米感情を煽ることが私の目的ではない。なぜ広島や長崎に原爆が投下され、20万人以上もの命が一瞬にして奪われることになったのかの真実を知ってもらいたいのである。
したがって、私の立場は、先月の中旬に広島で開かれた「国際民衆法廷」とは明らかに違う。

「国際民衆法廷」は先月16日、原爆開発や投下に関与した米国のルーズベルト、トルーマン両元大統領や元軍人、科学者ら15人の「被告」を、国際法違反で「有罪」とする判決要旨を発表した。また、米国政府に対し、被爆者や遺族への謝罪と賠償を求める「勧告」も盛り込んだ。

が、この法廷の「設立趣意書」を読むと、この「法廷」が、特定の思想的立場に立ったものであることが解る。
「設立趣意書」では「私たちは、憲法第9条の精神を単に形式上だけ維持するのではなく、積極的に世界に向けて拡大・活用させていく義務と責任があります」「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」と書かれている。

これは、「私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている」「広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない」という私の立場とは、対極にいる人たちの考え方だ。

ただ、この「国際民衆法廷」で明らかにされた「原爆投下に至る事実関係」には、米国政府が公開した「保存記録」に基づく記述が多く、参考にはなる。

-------------------------------------------------------------------

米国の主張は、「原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が出たであろう」というものだ。原爆は、逆に多くの人命を救ったのだ、だから原爆の投下は正しかったんだ...
これが、米国の論理である。が、これは真っ赤なウソである。
米国の狙いは、実際に原爆を使用することによって、核実験だけでは得られない、その効果を検証することであった。つまり、広島の原爆も長崎の原爆も「人体実験」だったわけである。

1945年7月26日、米・英・中の3国は、我が国に対して降伏を勧告する、13条から成るポツダム宣言を発した。
宣言の骨子は以下のとおりである。

日本軍の無条件降伏 、及び日本国政府によるその保障(13条)
カイロ宣言 の履行(8条)
領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定(8条)
戦争犯罪人 の処罰(10条)
日本を世界征服へと導いた勢力の除去(6条)
特に13条の最後は、「右以外の日本国の選択は迅速且(かつ)完全なる壊滅あるのみとす」という「殲滅宣言」とも受け取れる言葉で結ばれている。

ポツダム宣言の詳細は→ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)

実は、このポツダム宣言と、それが成立する過程に、米国の日本に対する原爆投下の真実が隠されているのだ。

ポツダム宣言は、天皇制維持についてまったく言及していなかった。そのために、我が国政府の内部では、この宣言をめぐって激論が交わされた。が、出された結論は「宣言の黙殺」と「断固戦争完遂に邁進する」というものだった。
ところが、宣言の起草段階では、天皇制の維持が含まれていたのである(12条)。にもかかわらずトルーマンが12条を書き換えさせたため、明確な天皇制の保証は姿を消した。残ったのは「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」「政府が樹立せらるる」という文句である。
我が国政府が後日、ポツダム宣言受諾を決定したとき、付けた条件が「天皇制の維持(国体の護持)」であったことを考えれば、12条を書き換えていなければ、我が国政府の最初の結論が違ったものになった可能性は高い。
もちろん、12条に「天皇制の維持」が含まれていたとしても、我が国が早い段階で宣言を受諾したか否かは分らない。が、トルーマンが、日本政府の宣言受諾を遅らせようと企図したことだけは間違いないのである。

以下に、原爆投下までの経緯を時系列的に整理してみる。

1942年8月13日、レスリー・グローブズ陸軍少将を最高指揮官に、オッペンハイマー博士を原爆の設計・製造の総責任者として「マンハッタン計画」がスタートする。
1944年9月19日、、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相との間で交わされたハイド・パーク協定によって、原爆の投下対象をドイツから日本へ変更することが決定される。
1945年4月に、ルーズベルトから大統領職を引き継いだトルーマンの下、目標検討委員会では、初めから軍事目標にたいする精密爆撃ではなく人口の密集した都市地域が爆撃目標とされる。
1945年4月の時点で、トルーマンは原爆の完成予定を知っていた。
1945年6月01日、ジェームズ・バーンズ国務長官の報告を聞き、トルーマンは原爆投下を決断した。
1945年7月16日、米国はニューメキシコ州で初の原爆実験に成功する。
1945年7月17日、ドイツのベルリン郊外・ポツダムで米・英・ソ3国首脳による会談(ポツダム会談)が始まる。ポツダム会談の期中に、トルーマンに原子爆弾の製造完了が伝えられた。
1945年7月24日、トルーマンは、8月10日までに日本に対して原爆投下を繰り返し行うよう指示。
1945年7月25日、トルーマンは日本への原爆投下命令を出す。
1945年7月26日、ポツダム宣言が発せられる。
1945年8月06日、広島に原爆が投下される。
1945年8月08日、ソ連が深夜に日ソ中立条約の一方的な破棄を宣言。9日午前零時にソ連軍が対日参戦。
1945年8月09日、長崎に原爆が投下される。
1 945年8月09日、我が国政府は、御前会議で「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定し、10日に連合国に伝達した。
1945年8月15日、 天皇自身によってポツダム宣言受諾の決定を日本国民に知らせる玉音放送(ラジオ)が行われる。

以上を振り返って見ると、我が国のポツダム宣言受諾が、米国による原爆の投下やソ連の参戦に促されたことは間違いない。が、米国による原爆投下は、我が国のポツダム宣言への対応とは関係なしに実行されたことが解る。つまり、原爆を投下するまで我が国を降伏させない、そしてソ連が参戦する前に原爆を投下する。これがトルーマン政権の基本的姿勢であった。

「ポツダム宣言」は、別名「米、英、華三国宣言」とも呼ばれる。これは、会談に加わっていたソビエト連邦(ソ連)が、我が国に対して(条約上)中立の立場をとっていたため、宣言に加わらなかったからである。
また英国代表は、直前の総選挙の結果、ウィンストン・チャーチルからクレメント・アトリーに変わっており、アトリーは選挙後の後始末のために不在だった。中華民国代表の蒋介石もポツダムにはいなかった。
つまり、米、英、華(中)、3カ国代表のサインは、トルーマン一人によって書き上げられたのであった。

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米国は、日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったというが、これも真っ赤な嘘である。

原爆の投下候補地は、
①直径3マイルを超える都市
②爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市
③8月までに通常爆弾による爆撃を実施していない都市
だった。
つまり、正確に原子爆弾の威力を測定するため、通常爆弾との被害の違いを区別できることが必要条件であったのだ。

これに適うのが京都、小倉(北九州市)、新潟、広島、長崎で、中でも盆地状の京都市街は申し分なかった。そこで、原爆投下の照準点は京都駅に近い梅小路機関車庫に定められ、京都に対する通常爆撃の禁止命令が出された。おかげで、古都の街並は原爆投下用に保存されたのである。
ところが、米陸軍長官ヘンリー・スチムソンが京都案に強硬に反対したため、最終段階で京都は第一候補からはずされたが、「日本の文化財に敬意を表したから京都を爆撃しなかった」というのは嘘なのである。
広島も爆撃されなかったし、小倉、新潟、長崎も、他の大都市に比べればほとんど無傷だった。ちなみに、長崎は第二候補だった。が、広島とともに第一候補にされた小倉上空が曇りであったために、長崎が標的になったのである。

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以上からすれば、広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」の主語は米国のはずである。いや、米国でなければならない。
にもかかわらず、「国際民衆法廷」の主催者のような「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」という輩が、未だに我が国には存在する。

私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っているから、いまさら米国を責める気持ちはない。「国際民衆法廷」のように、当時の米国指導者を糾弾するなんて、特定の政治的意図が込められているとしか思えない。
が、こと原爆投下に関して言えば、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である、と思っている。

Genbaku

関連エントリー:残忍な人たち

参照1:ハリー・S・トルーマン (Wikipedia)
参照2:ポツダム宣言 (Wikipedia)
参照3:原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島
参照4:原爆投下、米元大統領らに「有罪」
参照5:「原爆神話」からの解放-「正義の戦争」とは何か-
参照6:原子爆弾
参照7:東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷


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2016/05/15

人体実験だった広島・長崎の原爆


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オバマ米大統領の広島(被爆地)訪問が決定したので、米国による原爆投下の真の目的は何だったのか?を明らかにした私の過去のエントリを再掲します↓

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「後悔に1分たりとも時間を費やすな」は米大統領だったトルーマンの言葉だ。
実際、戦後何百回もたずねられた「原爆投下」について少しも後悔の念を見せなかった。
難しい決断だったかと聞かれ「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと鳴らした。


これは、毎日新聞の8月6日付【余録】で紹介されている第33代米国大統領、ハリー・S.トルーマンの逸話である。
つまり、「指パッチン」で日本に対する原爆投下を決めた。後悔する必要なんて、これっぽっちもない、というわけだ。
が、「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉を吐かざるをえなかったというところに、この人物の深層が表れているような気がする。

実際、非公式な場所では、良心の呵責に苦しめられていることを周囲の人や身内の人たちに洩らしていたと言われる。
【余録】氏も次のように書いている。
「妻や妹への手紙、内輪の会話、日記では、女性や子供の被害へのおののきや後悔を示している。(原爆の開発にかかわった)科学者らが自責の念を示すと、ひどく感情的に反発した」
やはり、大統領、そして国家に「過ち」はあってはならない、その思いが「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉と、「指パッチン」という態度につながったのだろう。

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私は昨年の8月6日、次のように書いた。(抜粋)


私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている。しかし、毎年8月がくると怒りがこみ上げてくる。
これは、もう理性を超越した、日本人としての血がなせる業だと思う。やはり、今日は、原爆と米軍の話を書かずにはいられない。

私は、広島の平和記念公園を二度訪れたことがある。もちろん、原爆死没者慰霊碑に首(こうべ)を垂れ、祈りを捧げた。そのときは、「過ちは繰り返しませぬから」という碑文の文言には、何の抵抗もなかった。しかし、今日、その碑文を読み直して強い違和感を覚えた。
原爆投下という過ちを犯したのは米国である。なのに「過ちは繰り返しませぬから」とは......おそらく、この慰霊碑が建立された頃は、日本の誤った戦争が原爆の悲劇をもたらしたという認識が、我が国民に強かったということであろう。当時の私も、何の抵抗も感じなかったのだから...

広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である。したがって、原爆被害に遭われた方々に対して、「過ちは繰り返しませぬから」などと言うのはもう止めにしたい。
「原爆の悲惨さは永遠に忘れません。皆様の筆舌に尽くしがたい苦痛と無念を心の奥底に深く刻み込みます」と誓いたい。

(抜粋終わり)

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しかし、誤解してほしくないのは、当時の米国が戦争犯罪を犯したと断罪し、反米感情を煽ることが私の目的ではない。なぜ広島や長崎に原爆が投下され、20万人以上もの命が一瞬にして奪われることになったのかの真実を知ってもらいたいのである。
したがって、私の立場は、先月の中旬に広島で開かれた「国際民衆法廷」とは明らかに違う。

「国際民衆法廷」は先月16日、原爆開発や投下に関与した米国のルーズベルト、トルーマン両元大統領や元軍人、科学者ら15人の「被告」を、国際法違反で「有罪」とする判決要旨を発表した。また、米国政府に対し、被爆者や遺族への謝罪と賠償を求める「勧告」も盛り込んだ。

が、この法廷の「設立趣意書」を読むと、この「法廷」が、特定の思想的立場に立ったものであることが解る。
「設立趣意書」では「私たちは、憲法第9条の精神を単に形式上だけ維持するのではなく、積極的に世界に向けて拡大・活用させていく義務と責任があります」「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」と書かれている。

これは、「私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている」「広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない」という私の立場とは、対極にいる人たちの考え方だ。

ただ、この「国際民衆法廷」で明らかにされた「原爆投下に至る事実関係」には、米国政府が公開した「保存記録」に基づく記述が多く、参考にはなる。

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米国の主張は、「原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が出たであろう」というものだ。原爆は、逆に多くの人命を救ったのだ、だから原爆の投下は正しかったんだ...
これが、米国の論理である。が、これは真っ赤なウソである。
米国の狙いは、実際に原爆を使用することによって、核実験だけでは得られない、その効果を検証することであった。つまり、広島の原爆も長崎の原爆も「人体実験」だったわけである。

1945年7月26日、米・英・中の3国は、我が国に対して降伏を勧告する、13条から成るポツダム宣言を発した。
宣言の骨子は以下のとおりである。

日本軍の無条件降伏 、及び日本国政府によるその保障(13条)
カイロ宣言 の履行(8条)
領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定(8条)
戦争犯罪人 の処罰(10条)
日本を世界征服へと導いた勢力の除去(6条)
特に13条の最後は、「右以外の日本国の選択は迅速且(かつ)完全なる壊滅あるのみとす」という「殲滅宣言」とも受け取れる言葉で結ばれている。

ポツダム宣言の詳細は→ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)

実は、このポツダム宣言と、それが成立する過程に、米国の日本に対する原爆投下の真実が隠されているのだ。

ポツダム宣言は、天皇制維持についてまったく言及していなかった。そのために、我が国政府の内部では、この宣言をめぐって激論が交わされた。が、出された結論は「宣言の黙殺」と「断固戦争完遂に邁進する」というものだった。
ところが、宣言の起草段階では、天皇制の維持が含まれていたのである(12条)。にもかかわらずトルーマンが12条を書き換えさせたため、明確な天皇制の保証は姿を消した。残ったのは「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」「政府が樹立せらるる」という文句である。
我が国政府が後日、ポツダム宣言受諾を決定したとき、付けた条件が「天皇制の維持(国体の護持)」であったことを考えれば、12条を書き換えていなければ、我が国政府の最初の結論が違ったものになった可能性は高い。
もちろん、12条に「天皇制の維持」が含まれていたとしても、我が国が早い段階で宣言を受諾したか否かは分らない。が、トルーマンが、日本政府の宣言受諾を遅らせようと企図したことだけは間違いないのである。

以下に、原爆投下までの経緯を時系列的に整理してみる。

1942年8月13日、レスリー・グローブズ陸軍少将を最高指揮官に、オッペンハイマー博士を原爆の設計・製造の総責任者として「マンハッタン計画」がスタートする。
1944年9月19日、、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相との間で交わされたハイド・パーク協定によって、原爆の投下対象をドイツから日本へ変更することが決定される。
1945年4月に、ルーズベルトから大統領職を引き継いだトルーマンの下、目標検討委員会では、初めから軍事目標にたいする精密爆撃ではなく人口の密集した都市地域が爆撃目標とされる。
1945年4月の時点で、トルーマンは原爆の完成予定を知っていた。
1945年6月01日、ジェームズ・バーンズ国務長官の報告を聞き、トルーマンは原爆投下を決断した。
1945年7月16日、米国はニューメキシコ州で初の原爆実験に成功する。
1945年7月17日、ドイツのベルリン郊外・ポツダムで米・英・ソ3国首脳による会談(ポツダム会談)が始まる。ポツダム会談の期中に、トルーマンに原子爆弾の製造完了が伝えられた。
1945年7月24日、トルーマンは、8月10日までに日本に対して原爆投下を繰り返し行うよう指示。
1945年7月25日、トルーマンは日本への原爆投下命令を出す。
1945年7月26日、ポツダム宣言が発せられる。
1945年8月06日、広島に原爆が投下される。
1945年8月08日、ソ連が深夜に日ソ中立条約の一方的な破棄を宣言。9日午前零時にソ連軍が対日参戦。
1945年8月09日、長崎に原爆が投下される。
1 945年8月09日、我が国政府は、御前会議で「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定し、10日に連合国に伝達した。
1945年8月15日、 天皇自身によってポツダム宣言受諾の決定を日本国民に知らせる玉音放送(ラジオ)が行われる。

以上を振り返って見ると、我が国のポツダム宣言受諾が、米国による原爆の投下やソ連の参戦に促されたことは間違いない。が、米国による原爆投下は、我が国のポツダム宣言への対応とは関係なしに実行されたことが解る。つまり、原爆を投下するまで我が国を降伏させない、そしてソ連が参戦する前に原爆を投下する。これがトルーマン政権の基本的姿勢であった。

「ポツダム宣言」は、別名「米、英、華三国宣言」とも呼ばれる。これは、会談に加わっていたソビエト連邦(ソ連)が、我が国に対して(条約上)中立の立場をとっていたため、宣言に加わらなかったからである。
また英国代表は、直前の総選挙の結果、ウィンストン・チャーチルからクレメント・アトリーに変わっており、アトリーは選挙後の後始末のために不在だった。中華民国代表の蒋介石もポツダムにはいなかった。
つまり、米、英、華(中)、3カ国代表のサインは、トルーマン一人によって書き上げられたのであった。

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米国は、日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったというが、これも真っ赤な嘘である。

原爆の投下候補地は、
①直径3マイルを超える都市
②爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市
③8月までに通常爆弾による爆撃を実施していない都市
だった。
つまり、正確に原子爆弾の威力を測定するため、通常爆弾との被害の違いを区別できることが必要条件であったのだ。

これに適うのが京都、小倉(北九州市)、新潟、広島、長崎で、中でも盆地状の京都市街は申し分なかった。そこで、原爆投下の照準点は京都駅に近い梅小路機関車庫に定められ、京都に対する通常爆撃の禁止命令が出された。おかげで、古都の街並は原爆投下用に保存されたのである。
ところが、米陸軍長官ヘンリー・スチムソンが京都案に強硬に反対したため、最終段階で京都は第一候補からはずされたが、「日本の文化財に敬意を表したから京都を爆撃しなかった」というのは嘘なのである。
広島も爆撃されなかったし、小倉、新潟、長崎も、他の大都市に比べればほとんど無傷だった。ちなみに、長崎は第二候補だった。が、広島とともに第一候補にされた小倉上空が曇りであったために、長崎が標的になったのである。

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以上からすれば、広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」の主語は米国のはずである。いや、米国でなければならない。
にもかかわらず、「国際民衆法廷」の主催者のような「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」という輩が、未だに我が国には存在する。

私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っているから、いまさら米国を責める気持ちはない。「国際民衆法廷」のように、当時の米国指導者を糾弾するなんて、特定の政治的意図が込められているとしか思えない。
が、こと原爆投下に関して言えば、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である、と思っている。

Genbaku

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参照1:ハリー・S・トルーマン (Wikipedia)
参照2:ポツダム宣言 (Wikipedia)
参照3:原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島
参照4:原爆投下、米元大統領らに「有罪」
参照5:「原爆神話」からの解放-「正義の戦争」とは何か-
参照6:原子爆弾
参照7:東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷

このエントリは→2006/08/13の再掲です。

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2011/11/07

Occupy Wall Streetに共感を覚える。くたばれ茶会運動!

少し前のことだが、「ウォール街占拠デモをどう思うか?」という書き込みがあった。
今日は、その問いに答えよう。
なお、以下において、このデモとその参加者を「Occupy Wall Street」=「OWS」と呼ぶ。

率直に言って私は、OWSに“ある種”の共感を覚える。
実は、先月の5日に、このOWSに関わるエントリをアップする予定だったのだが、“ある種”の説明が面倒くさくなってやめた。
「We are the 99%」と叫ぶ人たちに、競争と格差を是認する私がなぜ共感を覚えるのか?
それは、“ある種”であってもなかなか難しいことなのだ。

「OWS」と叫ぶ人たちは負け組である。
が、彼らを見ていると、「負け組」と単純に切り捨てるわけにはいかない。
競争と格差を是認する前提には、努力する者、勤勉な者が報われる社会の存在がある。
額に汗し努力した人は少なくとも人並みの生活ができる、こういう社会でなければ平和も安定もない。

Ny_demo

------------------------------------------------------------------

OWSは、もう1か月以上続いている。
根底にあるのは、極端な経済格差や高い失業率に対する抗議の意思である。
デモはニューヨークだけではなく、シカゴやサンフランシスコなど、全米各地に飛び火している。
リーダーを置かず、ネットで支持層を拡大している点で、「アラブの春」に類似した面もある。
アラブでは、極端な経済格差や高い失業率に加えて、「反独裁」「民主化」も抗議デモの大きな原動力になった。
が、米国は「民主主義の守護者」を任じている。
その民主主義のお膝元・米国で、アラブに似たデモが起きた。
やはり「何故?」と思わずにはいられない。

デモの映像を見る限り、参加者は白人の若者が多いが、黒人やラティーノもいるし、中高年の姿も珍しくない。
参加者のほとんどが白人中間層だった反オバマ政権の茶会運動(Tea Party movement )とは対照的である。
茶会運動は財政支出の拡大や福祉の充実に真っ向から反対する。
しかし、今年8月の雇用統計によると、アフリカ系(黒人)の失業率は16.7%に達し、白人の失業率も8%に及んでいる(全国平均9.1%)。
UNDPの「人間開発報告書2009」によると、米国の格差(富裕層上位10%の所得を貧困層下位10%の所得で割った倍率)は15.9倍で、先進国では最も高い。
ちなみに日本の失業率は今年8月現在で4.3%(総務省力調査)、格差は8倍(人間開発報告書2009)である。
つまり今の米国は、格差、失業率ともに日本の約2倍に達しているのだ。

米民間世論調査機関ピュー・リサーチ・センターが7月26日に発表した調査結果では、米国の全世帯の2割に当たる約6200万人が、09年時点で、資産ゼロか債務超過になっている。
フードスタンプ(低所得者層向けの食料配給券)受給者も依然として増え続けており、今年5月時点での受給者数は全米で約4580万人と、前年同月比で12.1%増を記録した。

こういう状況下で、「財政支出が雇用を破壊する」「連邦政府が財政支出を大幅に削減すれば、雇用は急増するはずである」という茶会運動の主張を私は受け入れられない。
私は、プリンストン大教授のアラン・ブラインダー氏の「そのような考えに基づいて政策を行なえば、今でさえ不安定で雇用創出も決して十分ではない米国経済を危険にさらすことになる」という批判に同意する。
確かに安易で無規律な財政出動はモラルハザードを招き、経済や社会を堕落させる。
ギリシャがそのよい例だ。
が、物事には限度というものがある。

社会はすべてが相対的であり、「絶対」などありえないのだ。
私は、競争と格差こそ人間と社会が成長・発展する原動力であると考えているので、弱者や少数者を優遇する社民主義的平等は受け容れられない。
しかし、平和で豊かな社会を実現する鍵は、分厚い中間層の存在にある。
食うに困らず、住むに困らず、着るに困らず、たまには人並みに贅沢もできる、こういう人たちが大多数を占めないと民主主義社会は成り立たない。
そして、そういう中間層を維持するには、時には財政出動を求められることもあるし、増税が避けられない場合もある。
「債務上限を上げるな、赤字を減らせ、財政支出をこれ以上増やすな、増税なんかとんでもない」という茶会運動の主張は極論というより暴論であり、社会の矛盾や混乱を増長させるだけだ。
茶会運動を「草の根保守」と呼び称賛する向きもあるが、冗談ではない。
彼らは「保守」ではなく「原理主義者」である。

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以下は、9月14日付の米CNNの記事である。

ニューヨーク(CNNMoney) 米国の人口に占める貧困者の割合が2010年の統計で15.1%に上昇し、1993年以来最悪となった。13日に発表された国勢調査結果で明らかになった。

米政府は、家族4人で年収2万2314ドル(約171万円)以下、単身で1万1139ドル(約85万円)以下の層を貧困と定義している。景気低迷が続く影響で、10年の貧困者数は約4620万人と、09年より260万人増加した。09年の貧困者の割合は14.3%だった。

中間層の世帯年収は4万9445ドルで、09年の4万9777ドルに比べて微減となった。中間層の世帯年収は過去30年の間ほとんど変化がなく、インフレ調整後の数字で比較すると、10年の年収は1980年に比べて11%しか増えていない。これに対して人口の5%を占める富裕層の年収は42%増えた。

年齢別にみると、18歳以下の子どもに占める貧困者の割合は22%に増え、米国の子どもの5人に1人が貧困状態に陥っている。18~64歳の貧困率も13.7%に上昇、65歳以上は9%と横ばいだった。

景気低迷の影響で両親から独立して暮らす若者も減少した。両親と同居している25~34歳は景気後退前は470万人だったが、10年の統計では590万人に増えた。

健康保険に加入していない人も、09年の4900万人から10年は4990万人へと増加した。人口に占める割合は約16.3%で統計的には横ばいとなっている。

米国で貧困者の割合が増加、1993年以来最悪に

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貧困層が15.1%を占める社会は健全な競争社会とは言えない。
年収が4人家族で約171万円、単身者で約85万円というのは、日本であれば生活保護の対象になる。
そういう層が15.1%もいるのは日本社会では考えられない。
生活保護の受給者が全国最多とされる大阪市でも受給率は5.63%、全国平均は1.57%に過ぎない。

全人口の約15%が食料配給券で糊口をしのいでいる。
同じく約16%が無保険で、病気になっても医者にかかれない(診療を拒否される)。
にもかかわらず、共和党や茶会運動はオバマ大統領が提起した医療保険改革法案に猛反発した。
こういう社会は先進国としては異常だし、日本がこういう国になってはならない。

経済の基盤は産業なのに、アングロサクソン流資本主義は産業、つまり「モノづくり」を軽視し、マネーがマネーを生む金融詐術によって世界を支配しようとしてきた。
しかし、「価値の源泉は」という根本を忘れた経済が長続きするわけがない。
根太が腐った家は、外観がいかに豪華でも、いずれ崩壊する。
それを象徴する出来事がリーマンショックだった。

マネーは、しょせん価値の交換手段に過ぎないのだ。
したがって、そのマネーに支配される社会はゆがんでいると言ってよい。
そのゆがんだ社会に対する反発がOWSであり茶会運動である、と私は思う。
茶会運動は白人保守中間層の体制に対する抵抗であり、OWSはマネーから疎外された若者や非白人たちの抗議である。

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以上のように書くと、「経済協力開発機構(OECD)に加盟する国のなかで比較すると、日本の相対貧困率は世界2位」と反論する者が必ずいる。
つまり「日本だって貧困率が高い」と言いたいわけだ。
が、これは相対貧困率である。
年収の中央値を基準に貧困層を判断するこの方法では、所得格差が小さい日本のような国では、どうしても貧困率が高くなってしまう。

日本の貧困層に分類される人の収入は、欧米などの貧困層と比べれば、ずっと裕福だ。
もっとも貧しい下位10%に分類される人々の年間所得を平均した統計によると、日本の貧困層の年収は1万2894ドルである。
これは、ルクセンブルク、ノルウェーに次ぐ世界3位の豊かさである、と言われている。

このような日本では、茶会運動のような保守の側からのムーブメントも、OWSのようなリベラルの立場に立つプロテストも起こりえない、と言うか大衆的支持が広がらない、と思う。

日本は、欧米のように、階層や人種によって住むところも食べるところも違う、という社会ではない。

ただ、怒りを覚えれば抗議の意思を表明するのは悪いことではない、とは思う。

堂々とデモをやればよい。

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【追記】
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で国民皆保険制度が崩壊する、という主張がある。
が、TPPは経済連携協定であって、自由内政干渉協定ではない。
経済連携協定は、国境を跨ぐことによる経済障壁(例:関税、過度の国内企業保護、煩雑な輸入手続)をなくすための協定であり、各国の政策の都合による経済障壁(例:消費税、公的医療保険)をなくすための協定ではない。

もちろん政策の都合を口実にして海外企業を排除する行為には歯止めが必要である。
なぜなら、それを許すと協定が形骸化してしまうからだ。
が、日本の公的医療保険制度は、日本の医療・福祉政策の都合で導入された制度であって、国境を跨ぐことによる経済障壁ではない。
しかも、国内企業も海外企業も完全に対等だから、内国民待遇(相手国の国民や企業を自国民と対等に扱うこと)の原則にも反しない。
つまり、国内産業に特別な有利をもたらす仕組みではないのだから、政策の都合を口実にした協定の抜け道には該当しない。
したがって、TPPにおいて日本の国民皆保険制度の廃止を求めたり、混合診療の解禁を求めたりするのは経済連携協定の趣旨に反する。
要求が趣旨を逸脱したものであれば、断固拒否すればよい。

医療分野で真に警戒を要するのは、TPPではなく医療の自由化圧力(要求)である。
そしてTPPでもっとも危険なのは、経団連の求める移民の促進である。

参照1:消えゆくアメリカンドリーム―加速する“超格差”の実態
参照2:「生活保護の年収300万円」は果たして「弱者に厳しい国」だろうか
参照3:国民皆保険崩壊?混合診療解禁?TPPお化け

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2009/01/05

人体実験だった広島・長崎の原爆

今日は、過去の人気エントリの再掲、第5回目。
ここで、最大且つ唯一の同盟国である(と私が思っている)米国に対する私の基本的認識の一端を明らかにしておきましょう。
以下は、もう2年半近く前の2006年8月13日にアップしたエントリです。やはり、毎年8月になると、米国やソ連(ロシア)に対する怒りと、戦後の我が国の不甲斐なさに対する落胆がこみ上げてきて、私はその感情を押し止めることができません。

ほんとうに米国(連合国)の戦いは「正義」で、我が国のそれは断罪されるべきものでしかなかったのか?
あの戦争を直視した時、それほど単純に物事を割り切れるのか?
私は、米国との間に「真の同盟関係」を築きあげるうえでも、何が正義だったのかを相対的に考察するべきであると思っています。

以下のエントリが、皆様の考察の一助になれば幸いです。

人体実験だった広島・長崎の原爆

「後悔に1分たりとも時間を費やすな」は米大統領だったトルーマンの言葉だ。
実際、戦後何百回もたずねられた「原爆投下」について少しも後悔の念を見せなかった。難しい決断だったかと聞かれ「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと
鳴らした。


これは、毎日新聞の8月6日付【余録】で紹介されている第33代米国大統領、ハリー・S.トルーマンの逸話である。
つまり、「指パッチン」で日本に対する原爆投下を決めた。後悔する必要なんて、これっぽっちもない、というわけだ。が、「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉を吐かざるをえなかったというところに、この人物の深層が表れているような気がする。

実際、非公式な場所では、良心の呵責に苦しめられていることを周囲の人や身内の人たちに洩らしていたと言われる。
【余録】氏も次のように書いている。
「妻や妹への手紙、内輪の会話、日記では、女性や子供の被害へのおののきや後悔を示している。(原爆の開発にかかわった)科学者らが自責の念を示すと、ひどく感情的に反発した」
やはり、大統領、そして国家に「過ち」はあってはならない、その思いが「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉と、「指パッチン」という態度につながったのだろう。

-------------------------------------------------------------------

私は昨年の8月6日、次のように書いた。(抜粋)


私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている。しかし、毎年8月がくると
怒りがこみ上げてくる。
これは、もう理性を超越した、日本人としての血がなせる業だと思う。やはり、今日は、原爆と米軍の話を書かずにはいられない。

私は、広島の平和記念公園を二度訪れたことがある。もちろん、原爆死没者慰霊碑に首(こうべ)を垂れ、祈りを捧げた。そのときは、「過ちは繰り返しませぬから」という碑文の文言には、何の抵抗もなかった。しかし、今日、その碑文を読み直して強い違和感を覚えた。
原爆投下という過ちを犯したのは米国である。なのに「過ちは繰り返しませぬから」とは・・・・・・おそらく、この慰霊碑が建立された頃は、日本の誤った戦争が原爆の悲劇をもたらしたという認識が、我が国民に強かったということであろう。当時の私も、何の
抵抗も感じなかったのだから・・・

広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上
最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である。したがって、原爆被害に遭われた方々に対して、「過ちは繰り返しませぬから」などと言うのはもう止めにしたい。
「原爆の悲惨さは永遠に忘れません。皆様の筆舌に尽くしがたい苦痛と無念を心の
奥底に深く刻み込みます」と誓いたい。

-------------------------------------------------------------------

しかし、誤解してほしくないのは、当時の米国が戦争犯罪を犯したと断罪し、反米感情を煽ることが私の目的ではない。なぜ広島や長崎に原爆が投下され、20万人以上もの命が一瞬にして奪われることになったのかの真実を知ってもらいたいのである。
したがって、私の立場は、先月の中旬に広島で開かれた「国際民衆法廷」とは明らかに違う。

「国際民衆法廷」は先月16日、原爆開発や投下に関与した米国のルーズベルト、トルーマン両元大統領や元軍人、科学者ら15人の「被告」を、国際法違反で「有罪」とする
判決要旨を発表した。また、米国政府に対し、被爆者や遺族への謝罪と賠償を求める
「勧告」も盛り込んだ。

が、この法廷の「設立趣意書」を読むと、この「法廷」が、特定の思想的立場に立った
ものであることが解る。
「設立趣意書」では「私たちは、憲法第9条の精神を単に形式上だけ維持するのでは
なく、積極的に世界に向けて拡大・活用させていく義務と責任があります」「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の
一端があると私たちは考えます」と書かれている。

これは、「私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている」「広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない」という私の立場とは、対極にいる人たちの考え方だ。

ただ、この「国際民衆法廷」で明らかにされた「原爆投下に至る事実関係」には、米国
政府が公開した「保存記録」に基づく記述が多く、参考にはなる。

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米国の主張は、「原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が
出たであろう」というものだ。原爆は、逆に多くの人命を救ったのだ、だから原爆の投下は正しかったんだ・・・
これが、米国の論理である。が、これは真っ赤なウソである。
米国の狙いは、実際に原爆を使用することによって、核実験だけでは得られない、その効果を検証することであった。つまり、広島の原爆も長崎の原爆も「人体実験」だった
わけである。

1945年7月26日、米・英・中の3国は、我が国に対して降伏を勧告する、13条から成るポツダム宣言を発した。
宣言の骨子は以下のとおりである。

日本軍の無条件降伏 、及び日本国政府によるその保障(13条)
カイロ宣言 の履行(8条)
領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定(8条)
戦争犯罪人 の処罰(10条)
日本を世界征服へと導いた勢力の除去(6条)
特に13条の最後は、「右以外の日本国の選択は迅速且(かつ)完全なる壊滅あるのみとす」という「殲滅宣言」とも受け取れる言葉で結ばれている。

ポツダム宣言の詳細は→ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)

実は、このポツダム宣言と、それが成立する過程に、米国の日本に対する原爆投下の真実が隠されているのだ。

ポツダム宣言は、天皇制維持についてまったく言及していなかった。そのために、我が国政府の内部では、この宣言をめぐって激論が交わされた。が、出された結論は「宣言の黙殺」と「断固戦争完遂に邁進する」というものだった。
ところが、宣言の起草段階では、天皇制の維持が含まれていたのである(12条)。にもかかわらずトルーマンが12条を書き換えさせたため、明確な天皇制の保証は姿を消した。残ったのは「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」「政府が樹立せらるる」という文句である。
我が国政府が後日、ポツダム宣言受諾を決定したとき、付けた条件が「天皇制の維持(国体の護持)」であったことを考えれば、12条を書き換えていなければ、我が国政府の最初の結論が違ったものになった可能性は高い。
もちろん、12条に「天皇制の維持」が含まれていたとしても、我が国が早い段階で宣言を受諾したか否かは分らない。が、トルーマンが、日本政府の宣言受諾を遅らせようと企図したことだけは間違いないのである。

以下に、原爆投下までの経緯を時系列的に整理してみる。

1942年8月13日、レスリー・グローブズ陸軍少将を最高指揮官に、オッペンハイマー
博士を原爆の設計・製造の総責任者として「マンハッタン計画」がスタートする。
1944年9月19日、、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相との間で交わされた
ハイド・パーク協定によって、原爆の投下対象をドイツから日本へ変更することが決定される。
1945年4月に、ルーズベルトから大統領職を引き継いだトルーマンの下、目標検討委員会では、初めから軍事目標にたいする精密爆撃ではなく人口の密集した都市地域が
爆撃目標とされる。
1945年4月の時点で、トルーマンは原爆の完成予定を知っていた。
1945年6月01日、ジェームズ・バーンズ国務長官の報告を聞き、トルーマンは原爆投下を決断した。
1945年7月16日、米国はニューメキシコ州で初の原爆実験に成功する。
1945年7月17日、ドイツのベルリン郊外・ポツダムで米・英・ソ3国首脳による会談(ポツダム会談)が始まる。ポツダム会談の期中に、トルーマンに原子爆弾の製造完了が
伝えられた。
1945年7月24日、トルーマンは、8月10日までに日本に対して原爆投下を繰り返し行うよう指示。
1945年7月25日、トルーマンは日本への原爆投下命令を出す。
1945年7月26日、ポツダム宣言が発せられる。
1945年8月06日、広島に原爆が投下される。
1945年8月08日、ソ連が深夜に日ソ中立条約の一方的な破棄を宣言。9日午前零時にソ連軍が対日参戦。
1945年8月09日、長崎に原爆が投下される。
1945年8月09日、我が国政府は、御前会議で「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定し、10日に連合国に伝達した。
1945年8月15日、 天皇自身によってポツダム宣言受諾の決定を日本国民に知らせる玉音放送(ラジオ)が行われる。

以上を振り返って見ると、我が国のポツダム宣言受諾が、米国による原爆の投下や
ソ連の参戦に促されたことは間違いない。が、米国による原爆投下は、我が国のポツダム宣言への対応とは関係なしに実行されたことが解る。つまり、原爆を投下するまで
我が国を降伏させない、そしてソ連が参戦する前に原爆を投下する。これがトルーマン政権の基本的姿勢であった。

「ポツダム宣言」は、別名「米、英、華三国宣言」とも呼ばれる。これは、会談に加わっていたソビエト連邦(ソ連)が、我が国に対して(条約上)中立の立場をとっていたため、
宣言に加わらなかったからである。
また英国代表は、直前の総選挙の結果、ウィンストン・チャーチルからクレメント・アトリーに変わっており、アトリーは選挙後の後始末のために不在だった。中華民国代表の蒋介石もポツダムにはいなかった。
つまり、米、英、華(中)、3カ国代表のサインは、トルーマン一人によって書き上げられたのであった。

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米国は、日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったというが、これも真っ赤な嘘である。

原爆の投下候補地は、
①直径3マイルを超える都市
②爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市
③8月までに通常爆弾による爆撃を実施していない都市
だった。
つまり、正確に原子爆弾の威力を測定するため、通常爆弾との被害の違いを区別できることが必要条件であったのだ。

これに適うのが京都、小倉(北九州市)、新潟、広島、長崎で、中でも盆地状の京都市街は申し分なかった。そこで、原爆投下の照準点は京都駅に近い梅小路機関車庫に
定められ、京都に対する通常爆撃の禁止命令が出された。おかげで、古都の街並は
原爆投下用に保存されたのである。
ところが、米陸軍長官ヘンリー・スチムソンが京都案に強硬に反対したため、最終段階で京都は第一候補からはずされたが、「日本の文化財に敬意を表したから京都を爆撃しなかった」というのは嘘なのである。
広島も爆撃されなかったし、小倉、新潟、長崎も、他の大都市に比べればほとんど無傷だった。ちなみに、長崎は第二候補だった。が、広島とともに第一候補にされた小倉
上空が曇りであったために、長崎が標的になったのである。

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以上からすれば、広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」の主語は米国のはずである。いや、米国でなければならない。
にもかかわらず、「国際民衆法廷」の主催者のような「原爆投下という大惨事を招いた
当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」という輩が、未だに我が国には存在する。

私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っているから、いまさら米国を責める気持ちはない。「国際民衆法廷」のように、当時の米国指導者を糾弾するなんて、特定の政治的意図が込められているとしか思えない。
が、こと原爆投下に関して言えば、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である、と思っている。

関連エントリー:残忍な人たち

参照1:ハリー・S・トルーマン (Wikipedia)
参照2:ポツダム宣言 (Wikipedia)
参照3:原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島
参照4:原爆投下、米元大統領らに「有罪」
参照5:「原爆神話」からの解放-「正義の戦争」とは何か-
参照6:原子爆弾
参照7:東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷

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2008/11/06

バラク・オバマ氏の当選に「おめでとうと」と言いたい

バラク・オバマ氏が米大統領選で当選しましたね。
まずは、おめでとうと言いたい。
なぜ???
画期的な出来事だからです、色んな意味で。

「Yes we can」
「そうだ!我々にはできる!」
すごく新鮮で、彼を支持した米社会のダイナミズムを感じます。
まあ、我が国にとってプラスかどうかは今後を見なければ分かりませんが、彼は単なるリベラリストではないと思いますね、経歴や言動を見る限り。

ただ、どこかのメディアが、「人種・年齢・貧困の壁を乗り越えた」と書いていましたが、これは疑問ですね。
「オバマ氏は(母方の)白人中流階級に育った生粋の米国人。黒人たらしめているのはケニア人の血だけだ」(アンドリュー・ヤング元アトランタ市長=黒人:讀賣新聞)からです。
が、逆に言うと、それだけにバランスの取れた大統領になれるのかもしれません。

1783年のアメリカ独立革命を、私は現代民主主義の原点だと思っています。が、「万人の平等」を謳いあげたこの革命の後も奴隷制は揺るぐことなく存在し続けました。
エイブラハム・リンカーンが「人民の、人民による、人民のための政治」という、まるでマルクス(共産主義)と見まがうような演説をし、奴隷解放令(1862年)を出した後も、黒人に対する絶望的な差別と貧困は変わりませんでした。

この状況は、今も変わりません。これをオバマ氏が克服できるのか?大いに注目すべきところでしょう。

まあ、オバマ政権は「「アメリカ型の民主主義を武力を持って世界に強制する」という狂気の理念に支配されたネオコンに操られたブッシュ政権(特に第一期)よりは、はるかにマシでしょう(あるいは、「中東の地はユダヤ人の約束の地」だと信じるキリスト教原理主義よりは)。
が、何とも読めませんね、今後のオバマ氏動きは。

「オバマはたぐいまれな候補だが、たぐいまれな大統領になれるかどうかは未知数だ」(米民主党幹部:讀賣新聞)ということです。

なお、コンドリーザ・ライス米国務長官(黒人)が「アフリカ系米国人として特に誇りに感じる」と感動の面持ちで語ったそうですが、この気持、よく解ります。
党派や考えが違っても、民族や人種は通じるところがあるのです。

オバマ氏が「親中国」だという論調もありますが、私は予断を排して見守りたいと思います。

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2006/08/13

人体実験だった広島・長崎の原爆

「後悔に1分たりとも時間を費やすな」は米大統領だったトルーマンの言葉だ。
実際、戦後何百回もたずねられた「原爆投下」について少しも後悔の念を見せなかった。難しい決断だったかと聞かれ「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと
鳴らした。


これは、毎日新聞の8月6日付【余録】で紹介されている第33代米国大統領、ハリー・S.トルーマンの逸話である。
つまり、「指パッチン」で日本に対する原爆投下を決めた。後悔する必要なんて、これっぽっちもない、というわけだ。が、「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉を吐かざるをえなかったというところに、この人物の深層が表れているような気がする。

実際、非公式な場所では、良心の呵責に苦しめられていることを周囲の人や身内の人たちに洩らしていたと言われる。
【余録】氏も次のように書いている。
「妻や妹への手紙、内輪の会話、日記では、女性や子供の被害へのおののきや後悔を示している。(原爆の開発にかかわった)科学者らが自責の念を示すと、ひどく感情的に反発した」
やはり、大統領、そして国家に「過ち」はあってはならない、その思いが「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉と、「指パッチン」という態度につながったのだろう。

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私は昨年の8月6日、次のように書いた。(抜粋)


私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている。しかし、毎年8月がくると
怒りがこみ上げてくる。
これは、もう理性を超越した、日本人としての血がなせる業だと思う。やはり、今日は、原爆と米軍の話を書かずにはいられない。

私は、広島の平和記念公園を二度訪れたことがある。もちろん、原爆死没者慰霊碑に首(こうべ)を垂れ、祈りを捧げた。そのときは、「過ちは繰り返しませぬから」という碑文の文言には、何の抵抗もなかった。しかし、今日、その碑文を読み直して強い違和感を覚えた。
原爆投下という過ちを犯したのは米国である。なのに「過ちは繰り返しませぬから」とは・・・・・・おそらく、この慰霊碑が建立された頃は、日本の誤った戦争が原爆の悲劇をもたらしたという認識が、我が国民に強かったということであろう。当時の私も、何の
抵抗も感じなかったのだから・・・

広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上
最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である。したがって、原爆被害に遭われた方々に対して、「過ちは繰り返しませぬから」などと言うのはもう止めにしたい。
「原爆の悲惨さは永遠に忘れません。皆様の筆舌に尽くしがたい苦痛と無念を心の
奥底に深く刻み込みます」と誓いたい。

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しかし、誤解してほしくないのは、当時の米国が戦争犯罪を犯したと断罪し、反米感情を煽ることが私の目的ではない。なぜ広島や長崎に原爆が投下され、20万人以上もの命が一瞬にして奪われることになったのかの真実を知ってもらいたいのである。
したがって、私の立場は、先月の中旬に広島で開かれた「国際民衆法廷」とは明らかに違う。

「国際民衆法廷」は先月16日、原爆開発や投下に関与した米国のルーズベルト、トルーマン両元大統領や元軍人、科学者ら15人の「被告」を、国際法違反で「有罪」とする
判決要旨を発表した。また、米国政府に対し、被爆者や遺族への謝罪と賠償を求める
「勧告」も盛り込んだ。

が、この法廷の「設立趣意書」を読むと、この「法廷」が、特定の思想的立場に立った
ものであることが解る。
「設立趣意書」では「私たちは、憲法第9条の精神を単に形式上だけ維持するのでは
なく、積極的に世界に向けて拡大・活用させていく義務と責任があります」「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の
一端があると私たちは考えます」と書かれている。

これは、「私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている」「広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない」という私の立場とは、対極にいる人たちの考え方だ。

ただ、この「国際民衆法廷」で明らかにされた「原爆投下に至る事実関係」には、米国
政府が公開した「保存記録」に基づく記述が多く、参考にはなる。

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米国の主張は、「原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が
出たであろう」というものだ。原爆は、逆に多くの人命を救ったのだ、だから原爆の投下は正しかったんだ・・・
これが、米国の論理である。が、これは真っ赤なウソである。
米国の狙いは、実際に原爆を使用することによって、核実験だけでは得られない、その効果を検証することであった。つまり、広島の原爆も長崎の原爆も「人体実験」だった
わけである。

1945年7月26日、米・英・中の3国は、我が国に対して降伏を勧告する、13条から成るポツダム宣言を発した。
宣言の骨子は以下のとおりである。

日本軍の無条件降伏 、及び日本国政府によるその保障(13条)
カイロ宣言 の履行(8条)
領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定(8条)
戦争犯罪人 の処罰(10条)
日本を世界征服へと導いた勢力の除去(6条)
特に13条の最後は、「右以外の日本国の選択は迅速且(かつ)完全なる壊滅あるのみとす」という「殲滅宣言」とも受け取れる言葉で結ばれている。

ポツダム宣言の詳細は→ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)

実は、このポツダム宣言と、それが成立する過程に、米国の日本に対する原爆投下の真実が隠されているのだ。

ポツダム宣言は、天皇制維持についてまったく言及していなかった。そのために、我が国政府の内部では、この宣言をめぐって激論が交わされた。が、出された結論は「宣言の黙殺」と「断固戦争完遂に邁進する」というものだった。
ところが、宣言の起草段階では、天皇制の維持が含まれていたのである(12条)。にもかかわらずトルーマンが12条を書き換えさせたため、明確な天皇制の保証は姿を消した。残ったのは「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」「政府が樹立せらるる」という文句である。
我が国政府が後日、ポツダム宣言受諾を決定したとき、付けた条件が「天皇制の維持(国体の護持)」であったことを考えれば、12条を書き換えていなければ、我が国政府の最初の結論が違ったものになった可能性は高い。
もちろん、12条に「天皇制の維持」が含まれていたとしても、我が国が早い段階で宣言を受諾したか否かは分らない。が、トルーマンが、日本政府の宣言受諾を遅らせようと企図したことだけは間違いないのである。

以下に、原爆投下までの経緯を時系列的に整理してみる。

1942年8月13日、レスリー・グローブズ陸軍少将を最高指揮官に、オッペンハイマー
博士を原爆の設計・製造の総責任者として「マンハッタン計画」がスタートする。
1944年9月19日、、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相との間で交わされた
ハイド・パーク協定によって、原爆の投下対象をドイツから日本へ変更することが決定される。
1945年4月に、ルーズベルトから大統領職を引き継いだトルーマンの下、目標検討委員会では、初めから軍事目標にたいする精密爆撃ではなく人口の密集した都市地域が
爆撃目標とされる。
1945年4月の時点で、トルーマンは原爆の完成予定を知っていた。
1945年6月01日、ジェームズ・バーンズ国務長官の報告を聞き、トルーマンは原爆投下を決断した。
1945年7月16日、米国はニューメキシコ州で初の原爆実験に成功する。
1945年7月17日、ドイツのベルリン郊外・ポツダムで米・英・ソ3国首脳による会談(ポツダム会談)が始まる。ポツダム会談の期中に、トルーマンに原子爆弾の製造完了が
伝えられた。
1945年7月24日、トルーマンは、8月10日までに日本に対して原爆投下を繰り返し行うよう指示。
1945年7月25日、トルーマンは日本への原爆投下命令を出す。
1945年7月26日、ポツダム宣言が発せられる。
1945年8月06日、広島に原爆が投下される。
1945年8月08日、ソ連が深夜に日ソ中立条約の一方的な破棄を宣言。9日午前零時にソ連軍が対日参戦。
1945年8月09日、長崎に原爆が投下される。
1945年8月09日、我が国政府は、御前会議で「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定し、10日に連合国に伝達した。
1945年8月15日、 天皇自身によってポツダム宣言受諾の決定を日本国民に知らせる玉音放送(ラジオ)が行われる。

以上を振り返って見ると、我が国のポツダム宣言受諾が、米国による原爆の投下や
ソ連の参戦に促されたことは間違いない。が、米国による原爆投下は、我が国のポツダム宣言への対応とは関係なしに実行されたことが解る。つまり、原爆を投下するまで
我が国を降伏させない、そしてソ連が参戦する前に原爆を投下する。これがトルーマン政権の基本的姿勢であった。

「ポツダム宣言」は、別名「米、英、華三国宣言」とも呼ばれる。これは、会談に加わっていたソビエト連邦(ソ連)が、我が国に対して(条約上)中立の立場をとっていたため、
宣言に加わらなかったからである。
また英国代表は、直前の総選挙の結果、ウィンストン・チャーチルからクレメント・アトリーに変わっており、アトリーは選挙後の後始末のために不在だった。中華民国代表の蒋介石もポツダムにはいなかった。
つまり、米、英、華(中)、3カ国代表のサインは、トルーマン一人によって書き上げられたのであった。

-------------------------------------------------------------------

米国は、日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったというが、これも真っ赤な嘘である。

原爆の投下候補地は、
①直径3マイルを超える都市
②爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市
③8月までに通常爆弾による爆撃を実施していない都市
だった。
つまり、正確に原子爆弾の威力を測定するため、通常爆弾との被害の違いを区別できることが必要条件であったのだ。

これに適うのが京都、小倉(北九州市)、新潟、広島、長崎で、中でも盆地状の京都市街は申し分なかった。そこで、原爆投下の照準点は京都駅に近い梅小路機関車庫に
定められ、京都に対する通常爆撃の禁止命令が出された。おかげで、古都の街並は
原爆投下用に保存されたのである。
ところが、米陸軍長官ヘンリー・スチムソンが京都案に強硬に反対したため、最終段階で京都は第一候補からはずされたが、「日本の文化財に敬意を表したから京都を爆撃しなかった」というのは嘘なのである。
広島も爆撃されなかったし、小倉、新潟、長崎も、他の大都市に比べればほとんど無傷だった。ちなみに、長崎は第二候補だった。が、広島とともに第一候補にされた小倉
上空が曇りであったために、長崎が標的になったのである。

-------------------------------------------------------------------

以上からすれば、広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」の主語は米国のはずである。いや、米国でなければならない。
にもかかわらず、「国際民衆法廷」の主催者のような「原爆投下という大惨事を招いた
当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」という輩が、未だに我が国には存在する。

私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っているから、いまさら米国を責める気持ちはない。「国際民衆法廷」のように、当時の米国指導者を糾弾するなんて、特定の政治的意図が込められているとしか思えない。
が、こと原爆投下に関して言えば、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である、と思っている。

関連エントリー:残忍な人たち

参照1:ハリー・S・トルーマン (Wikipedia)
参照2:ポツダム宣言 (Wikipedia)
参照3:原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島
参照4:原爆投下、米元大統領らに「有罪」
参照5:「原爆神話」からの解放-「正義の戦争」とは何か-
参照6:原子爆弾
参照7:東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷

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2006/05/28

ネオコンの影響力は低下したのか?

米ブッシュ政権に大きな影響力を持つとされるネオコン(ネオ・コンサーバティブ)の立場が、どうやら変化しつつあるようだ。ネオコンの論客として有名だったジョンズ・ホプキンス大学教授・フランシス・フクヤマ氏が、最近の著書で明らかにしている。
そしてフクヤマ氏は、その中でネオコンに決別を宣言している。

ところで、ネオコンは『新保守主義』と訳されるので、新しい保守思想と思われている方もいるかも知れないが、それはまったく違う。日本人の中には、安倍晋三氏などを「日本のネオコン」と呼ぶ人もいるが、これも大きな勘違いである。

ネオコンの源流は、米国に逃れてきたユダヤ系共産主義者(トロツキスト)である。
トロツキストの元祖であるトロツキー(ロシア革命の立役者でユダヤ人)はスターリンの最大の政敵だった。が、彼はスターリン率いるソ連は、「間違ってはいるが擁護すべきである」という立場だった。
したがって、ネオコンの源流にあたるトロツキストたちも、最初は反ソ連ではなく、反ヒトラー・反ナチスだった。ところが、ソ連は1939年にナチス・ドイツと独ソ不可侵条約を締結した。
このとき、ナチスと手を結ぶようなソ連を擁護することはできないという人たちが出てきたのである。彼らは、悪魔と手を結んだスターリン及びソ連に憎悪にも近い感情を抱いた。

そしてナチス・ドイツが敗れ、今度は冷戦(米ソ対立)が始まる。すると、スターリン及びソ連に憎悪にも近い感情を抱く人たちは、強烈な反スターリン主義者となり、その流れの中からネオコンが生まれてくるのである(今は、フクヤマ氏のように、トロツキズムと
縁のないネオコンもいる)。

もちろん、今のネオコンはトロツキストではない。ゴリゴリの反共主義者である。が、イデオロギーが左(トロツキズム)から右(ネオ・コンサーバティブ)に変わったからといって、その本質までは変わらない。
トロツキズムの『絶対正義』は『共産主義』だったが、ネオコンではそれが『民主主義』に変わった。
目的を武力で達成するという方法論は同じ。そして『絶対正義』を世界中に広めなければならないという国際主義も同じ。
このように、トロツキズムとネオコンはメダルの裏表のようなもので、実によく似ているのである。

このネオコンの立場に変化が見られるという。そして論客だったフクヤマ氏が決別を
宣言した。そのあたりの米政権内の事情を考察することは、極めて重要である。
幸い、昨日の讀賣新聞にフクヤマ氏のインタビュー記事が掲載されていたので、参考にしながら言及したい。


ブッシュ米政権の外交政策の基軸をなす新保守主義(ネオコンサーバティブ=ネオコン)の論客とみなされてきた著名な国際政治学者フランシス・フクヤマ氏が、近著「岐路に立つ米国」でネオコンに“決別宣言”し、話題を呼んでいる。ワシントンのジョンズ・ホプキンス大学の研究室でフクヤマ氏に考えを聞いた。(ワシントン 貞広貴志、写真も)

◆「イラク」判断誤った
――ネオコンはどのように変質し、米外交政策への影響力はどうなったのか。

ネオコンは、世界の問題を解決する上で軍事力ばかり過信する教理と化してしまった。三つの判断の誤りがあった。第一は(イラクで)核拡散疑惑に先制攻撃で対処してしまった。代償が大き過ぎるし、米国を国際社会で孤立させた。第二に世界における反米世論の強さを見誤った。第三に国家建設を巡る誤算。イラクを再建するのがどんなに困難か大きな誤認があった。

――著作ではイラク戦争は先制攻撃でなく、予防攻撃と位置づけている。

(3年前の)イラク、そして今のイランの核計画のように、脅威が差し迫っていない時、「予防戦争」となる。他の国がこんなことをすれば米国は決して受け入れない。米国は、「われわれは他国と違って慈悲深いから予防戦争も可能。信じてくれればいい」と言っているわけだが、欧州の同盟国に対してすらこんな理屈は通用しない。

――あなた自身、ネオコンとみなされてきた。

民主主義を重視し、(圧政かどうかといった)他国の性格を判断材料とするのは、今も
大切な考え方と思う。だが、私は考えを変えた。軍の力でできることとできないことがある。イラクのようなもろい国を武力で安定させるのは難しい。

◆外交政策へ影響力低下
――ウォルフォウィッツ前国防副長官が政権を去るなど、ネオコンの影響力は低下しているか。

低下した。ライス国務長官を見ても、より中道の政策に移行した。北朝鮮では6か国協議を重視し、イランへの対処でも多国主義で、武力の必要性に飛びついていない。国防総省が影響力を保持し、副大統領が強硬姿勢なのも事実だが、力の重心は明確に
移った。

――チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官もネオコンなのか。

ラムズフェルド氏は(ネオコンでなく)伝統的、ナショナリズムの保守主義者だろう。国家再建など意にも介していない。チェイニー氏は複雑でネオコンの考え方を反映している部分もある。

――著書で「2期目ブッシュ大統領はネオコン」と。

そう思う。民主化拡大についての物言いはネオコンそのものだ。

――ネオコンの対案は。

私は「多重の多国主義」と呼ぶ国際体制を提案している。国連がすべての問題に解決策を示せることはありえず、機能別、地域別の組織を通じて多重の国際協力を進める
必要がある。

――著書への反応は。

あまりの反応の大きさに少し驚いている。面白いのは、批判の多くが右(保守派)からでなく左(リベラル派)から来たこと。「どうしてもっと早く心を入れ替えなかったのか」といった指摘だ。

-------------------------------------------------------------------

ネオコン(新保守主義)

リベラルの系譜に連なる理想主義と米国の「力」信奉が合わさった政治思想。

フクヤマ氏は著書でネオコン原則として

(1)自由・民主主義への信念
(2)米国の力を倫理的な理由で行使できる信念
(3)国際法と国際機関の正当性と効率性への疑念

――などを挙げた。

ネオコンの牙城(がじょう)である雑誌がラムズフェルド国防長官の辞任を求めるなど、ブッシュ政権と距離が開きつつある。

米のネオコン「軍事力を過信」 F・フクヤマ氏が“決別宣言”
(2006. 05. 27 讀賣新聞・朝刊)

フクヤマ氏は「ネオコンは、世界の問題を解決する上で軍事力ばかり過信する教理と
化してしまった」というが、それがネオコンの本質なのである。
ルーツが違うフクヤマ氏は、それを理解できなかった。つまり、うわべの思想だけでネオコンに取り込まれたということだ。そして、それに気付いたということだろう。

「国家建設を巡る誤算。イラクを再建するのがどんなに困難か大きな誤認があった」と
いうが、これも最初から分りきったことだ。
ブッシュ政権は、非白人国家でアメリカ型の『自由と民主主義』が成功した例として、
よく我が日本国を挙げる。が、我が国は戦前から憲法があり、議会があり、普通選挙も実施されていた。女性に選挙権がないとか、主権在民が明確化されていないなど、
不十分な点はあったが、基本的には西欧型の立憲君主制国家だったのである。
民主主義の経験がまったくなく、イスラム的価値観に支配された多民族国家・イラクにおいて、我が国の例が参考になるわけがない。
アフガニスタンでの経験を踏まえれば、フセイン体制を打倒した後のイラクがどうなるかは、容易に予測できたはずだ。にもかかわらずブッシュ政権は、楽観論をばら撒きながら半ば強引に武力行使に踏み切った。
ここにも、現実よりもイデオロギー優先という、極左の裏返しとしてのネオコンの特徴がよく表れている。

「われわれは他国と違って慈悲深いから予防戦争も可能。信じてくれればいい」なんて、まったく笑わせる。

ウォルフォウィッツ前国防副長官(現・世界銀行総裁)だけではない。ネオコンの双璧・ボルトン前国務次官(現・国連大使)も政権中枢からはずされた。
私は、この人事が発表されたとき、世界銀行と国連を押さえるというネオコンの世界戦略の一環ではないかと疑ったが、フクヤマ氏の見方に立てば、やはり政権内部でも
ネオコン流のやり方に対する反省が出ているということだろう。
確かにライス国務長官は現実的だし、対北朝鮮も対イランも、武力を行使してでも解決するという雰囲気ではない。北朝鮮もイランも、このあたりの米国の事情を見透かして
いるのかもしれない。
つまり、現状では米国による軍事攻撃はないと・・・

ただ、「力の重心は明確に移った」とフクヤマ氏は言うが、「2期目ブッシュ大統領はネオコン」という言葉と矛盾しているような気がする。また、ネオコンに近いとされるチェイニー副大統領は、『陰の大統領』という話も聞いたことがある。
まだまだ、ネオコン流の「イデオロギー優先」の外交が復活する可能性は捨てきれないのではないか。ただ、イラクの泥沼から抜け出さない限り、次の一手(武力行使)は打てないだろうが。

なお、「ラムズフェルド氏は(ネオコンでなく)伝統的、ナショナリズムの保守主義者だろう。国家再建など意にも介していない」というフクヤマ氏の発言は参考になった。
ラムズフェルド国防長官は常々、石油産業や軍需産業と結びついていると指摘されてきた。そのためにイラク戦争を始めたとも言われる。フクヤマ氏の「(イラクの)国家再建など意にも介していない」という言葉でそれを確信した。
つまりイラク戦争は、ネオコンのイデオロギーと、ラムズフェルド国防長官に代表される『利権』が渾然一体となって実行されたということだ。

なお、今日はネオコンとブッシュ政権が実行したイラク戦争に批判的なエントリーになっている。では、それを支持した小泉内閣はどう評価するのか?という疑問が当然あると思う。

私は、小泉内閣による『イラク派兵(?)』を積極的には評価しない。「やむを得ない」という立場である。
理由の一つは、対中国や対北朝鮮を考えれば、日米同盟を最優先せざるをえないと
いう状況があること。
もう一つは、湾岸戦争における屈辱である。どこの国よりも多くの戦費を負担しながら、戦争終結後に出されたクウェートの『お礼広告』の中に、日本の国名はなかった。
この屈辱を繰り返さないためには、やはり今回は、『旗』を見せなければならなかったということだ。

なお、湾岸戦争当時、自民党幹事長だった小沢一郎現・民主党代表は「米国から要求される前に日本独自に方針を打ち出す必要がある。財政支援は最低で100億ドル。
戦争がどうなるか分らないし、頭金みたいなものだ」と言い放った。そして結局、我が国は総計135億ドルもの戦費を負担することになる。

こんな人物が代表を務める民主党に、小泉内閣の『イラク派兵(?)』を非難する資格などない。

関連エントリー1:ネオコンとブッシュ外交
関連エントリー2:ネオコン対アルカーイダ

【特記】
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2006/03/20

中国への警戒心を強める米国

米国は、中南米諸国を自らの“裏庭”とみなしてきた。1961年のキューバ侵攻、1973年のチリ・アジェンデ政権転覆、1983年のグラナダ侵攻、1989年のパナマ侵攻、ノリエガ将軍逮捕。
これらは総て、中南米で米国が犯した、相手国の主権を無視した事件である。

このように、“裏庭”において米国の存在は絶対的であった。
ところが、反(非)米・左派政権が中南米で続々と出現している。キューバのカストロ
政権のような、古典的反米・左派政権に目を奪われていると、中南米情勢を見誤る。
ブラジルのルーラ政権、アルゼンチンのキルチネル政権、ベネズエラのチャベス政権、ボリビアのモラレス政権。そしてチリでもバチェレ反米・左派政権が誕生した。
もはや、ラテンアメリカでは、「米国離れ」が大きなトレンドになっているのである。

反米・左派政権の誕生は、中南米諸国の経済的困窮と極端な社会的格差が大きく
影響している。この経済的困窮は、「冷戦」の終結で、米国による中南米諸国に対する「反共のための援助」が急減したことも原因の一つである。
この米国による援助の急減と経済的困窮が反米意識を醸成し、中南米諸国の米国離れを加速させている。もちろん、米国の、これまでの傲慢な態度も大きな原因になっていることは間違いない。

昨年11月にアルゼンチンで開かれた米州サミットでは、議場の内外に「反米の声」がコダマした。スペイン語が理解できないブッシュ大統領は、その「反米の声」を、その場では理解できなかったという(笑)

このような情勢の変化を突いて、中国が影響力を強めている。最初は、まず資源獲得。そして投資と経済援助。最後が軍事的支援。
中国は、ベネズエラに貧困者向けの住宅建設資金供与などの経済援助を実施。包括的な経済協力協定を締結して二つの油田操業権を獲得。
さらにベネズエラ東部の油田開発を中国の国営企業が全面的に請け負うことで合意。ベネズエラからの石油は、中国の石油輸入全体の20%にまで急増した。

中国は、チリに20億ドルを投入して、銅の独占的な調達権利を獲得。反米のモラレス大統領が登場したボリビアにも急接近して、天然ガス開発などのために35億ドルを投資。キューバにも新たにニッケル獲得のために4億ドルを投資した。

こうして、中南米諸国との経済関係を強めた中国は、ベネズエラ、ボリビア、ニカラグアなどに戦闘機や空対地ミサイルを供与し始めたという。

ラテンアメリカにおいて、中国は日々、そのプレゼンスを急速に増しているのである。
これに対して米国は、共和党だけではなく、民主党も含めて警戒心を強めている。


【ワシントン=松川貴】中国が中南米諸国へ軍事教練の機会を提供するなど、軍事ソフト面から、中南米地域への勢力拡大を図っていることが分かった。米国が“裏庭”とみる地域だが、ベネズエラなど反米色を強める国が増加中。一方で、国際刑事裁判所(ICC)の設立に絡み米国が同地域へ軍事支援を停止していることもあり、中国の影響力拡大に議会などから懸念が示されている。

米南方軍のクラドック司令官は14日の上院軍事委員会で、「以前は軍事教練を受けるために、米国に兵士を派遣していた国が、中国に兵士を送っている」と証言した。

司令官は、中南米での米軍の存在感低下の理由として、個人の戦争犯罪などを裁くICC設置に関連し、米国が米兵への訴追を免責しない国に対し国際軍事交換教訓などを3年前に停止したことを挙げた。

中南米で、米国と免責協定がないのはペルー、ブラジル、ボリビアなど11カ国。

中国の軍事的存在感について司令官は、「司令官、将校、下士官が軍事教育で中国に行っている。中南米に中国の軍人が日増しに多くなっている」と陳述した。

これに対して、ヒラリー・クリントン上院議員は「中国は(中南米諸国と)天然資源の長期契約だけでなく、サッカー場からリゾートホテル建設まで、関係強化のために支援している。これは米国が直面している最も深刻な問題の一つだ」と懸念を表明した。

中南米諸国に軍事教練 中国
(2006.03.18 東京新聞)

中南米において米国がその影響力を低下させているのは、自身の傲慢さと身勝手さが原因であり、自業自得ともいえる。
が、同地域における反米・左派政権の急増。その動きと重なるような、中国の政治的・経済的・軍事的影響力の増大。
米国にとって、これは、まさに背中に刃を突きつけられたのと同様の事態である。

クリントン政権からブッシュ政権に変わって、米国は中国に対する評価を「戦略的パートナー」から「戦略的競争相手」に変えた。
これは、北東アジアから中東~東欧にかけての「不安定の弧(arc of instability)」に
おける中国の台頭を意識してのものだ。
米国は、「不安定の弧」を次のように位置付けている。
①大規模な軍事衝突が起こりやすい ②力を伸ばす大国と衰退する大国が混在する
③豊富な資源をもつ軍事的な競争相手が出現する可能性がある ④アメリカの基地や中継施設の密度が他の地域とくらべ低い。

「力を伸ばす大国」「豊富な資源をもつ軍事的な競争相手」、これらの中に中国が含まれているのは間違いない。
しかし、米国に対する中国の脅威は、「不安定の弧」だけではなく、その“裏庭”にまで忍び寄ってきた。

今、米中の対立は、通商問題と為替問題に象徴的に表れている。が、今後は、世界的規模の政治的・経済的・軍事的対立に拡大していくのではないか。
中国が、「国家の生存発展に必要な資源を支配下に収めることは、成長する国家の
正当な権利である」とする限り、これは必然の道である。

我が国も「中国の脅威」に対する備えを強化しなければならない。

参照:中国、中南米・アフリカ進出 米安保の脅威

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2005/09/27

イラク人虐待はコンテスト

私は、イラク戦争については複雑な思いを抱いている。もちろん、暴虐のフセイン体制は許せない。が、アラブで、あるいは世界で圧制を敷いている国家は他にもたくさんある。
大量破壊兵器がある、という確証があれば別だが、それがあいまいな中で見切り発車的に攻撃を開始したことが釈然としないのだ。
それに、私は、フセイン体制はイラクとイラク人の問題という認識も強い。バスラでの
英兵拘束事件で、その思いを更に強くした。英兵はイラク警察が拘束したのだが、
その後、秘密裏にサドル師派武装勢力に引き渡されていた。
つまり、米英が再建した(と思っている)警察が、実は反米英の武装勢力と通じているのだ。

最近のイラクにおける自爆テロの頻発と米英による武装勢力への掃討。どこまで行っても出口が見えない、まさに泥沼に陥るのではないかとの危惧さえ抱く。
ブッシュ米大統領は先月30日、カリフォルニア州の海軍基地で対日戦勝60周年記念の演説をし、敗戦後の日本の民主化を引き合いにイラクの民主化も必ず成功し、米国の国益になると強調した(2005年8月31日 朝日新聞)らしいが、何か思い違いをしているような気がしてならない。やはり米国はイラクとイラク人を舐めすぎていた、そう思わざるを得ないのである。

「米国は、最強の軍事力と政治、経済的な影響力を自国のためのみに用いるのでは
なく、テロリストや独裁者の脅威から平和を守り、大国間の良好な関係を築き、自由で開かれた社会をすべての大陸に奨励することで、この平和を保ち、拡大させる」という
ネオコンの考え方は、本当に普遍性を持ち得るのだろうか?
という懐疑が私の中で強まっているところで、以下のニュースである。


【ワシントン和田浩明】バグダッドのアブグレイブ刑務所でイラク人拘束者を虐待した罪で訴追されていた女性米兵士、リンディー・イングランド上等兵(22)の軍法会議で、5人の男性陸軍士官で構成する陪審は26日、有罪の評決を言い渡した。量刑は27日にも決定されるが、最長10年の禁固刑となる。

軍法会議は米テキサス州のフォートフッド陸軍基地で開かれており、同上等兵は今年5月、虐待など7件の罪すべてについて有罪を認めていた。26日の評決は、虐待4件など計6件について有罪を認めた。

軍法会議で、被告側弁護士は「別の米兵の指示にしたがってやったこと」と主張したが、検察側は「自ら楽しんでいた」と述べていた。イングランド上等兵は、四つんばいで裸のイラク人男性の首にひもを付け「犬扱い」した写真などが米メディアにより全世界に報じられ、同虐待事件の象徴的存在となった。

米軍法会議:刑務所でイラク人虐待の女性兵士に有罪評決
(2005年9月27日 毎日新聞)

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このリンディー・イングランド上等兵は虐待行為について、当時ボーイフレンドだった上官のグレーナー技術兵(主犯格として禁固10年の判決)らの指示によるものだったと主張している。
収容者の性器を指さすなどの虐待行為について「最初は拒んだが、彼らにしつこく強要された」とも述べている。全裸の収容者たちをピラミッド状に重ね、「記念写真」を撮った経緯については「たぶん、彼(グレーナー技術兵)のおもしろ半分だった」と・・・
(参照:2005年5月4日 朝日新聞)

まったく反省がないというか、罪の意識がないというか・・・元々米国人が嫌いな私は、益々彼らが許せなくなる。実態は以下のとおりなのだ。


【ロサンゼルス國枝すみれ】米ロサンゼルス・タイムズ紙は23日、イラクのアブグレイブ刑務所内で、憲兵が何人のイラク人収容者を泣かすことができるかや、恐怖のあまり
失禁させることができるか
を競う「コンテスト」に興じていた、と報じた。

同紙は刑務所に勤める米兵や収容者へのインタビューを基に陸軍が作成した100ページの報告書を入手。それによれば、ある収容者は「歯ブラシで攻撃しようとした」と難癖をつけられて小部屋に連れ込まれ、他の収容者の尿が残る床に顔を押し付けられ、頭の上から足で踏まれたと証言した。

また、勤務中の憲兵が酒のにおいをさせていたことが何度もあったと証言する収容者もいた。

虐待に関与したとして軍法会議にかけられることが決まっているジャバル・デービス3等軍曹は、同僚のチャールズ・グレイナー技術兵が収容者を頭から壁にぶつけ、死亡させた証言した。またリンディー・イングランド上等兵も、グレイナー技術兵の発案で収容者を裸にしてピラミッドを作ったと証言した。

陸軍は今年1月、虐待写真入りの告発の手紙を受け取った後で、25人の米兵にアンケートを行った。7人が何らかの虐待を目撃したことを認め、1人が虐待写真を見たと答え、15人が虐待の話を聞いたことがあると回答していたという。

イラク人虐待:刑務所内でいじめ競うコンテスト 米紙報道
(2004年5月24日 毎日新聞)

米兵にとって、イラク人収容者を虐待することはゲームでありコンテストだった。何という感覚だろう。イラク人を同じ人間だと思っていない。しかも、収容者の大半が嫌疑不十分だったことが後に判明している。
要は、捕らえられた無実の(と思われる)イラク人を動物以下に扱って平然としていたのである。米国は人権にことさらうるさく、今回もフセインによる人権蹂躙が介入の一つの理由になっている。
にもかかわらず、このような信じがたい行為に及ぶ・・・
主犯格のチャールズ・グレイナー技術兵(36)にいたっては、判決後報道関係者に取り囲まれ、
"Bad things happen in war."
戦争にはひどいことがつきものだ」と述べている。

raner← Charles Graner Jr.





犯行に及んだ兵士たちは、経歴を読む限り普通の若者である。
ジャバル・デービス3等軍曹 (26)は、高校時代は陸上競技のスター選手で敬虔なキリスト教徒と言われているし、リンディ・イングランド上等兵(21)は気象学者を志し、大学での育英資金を得るために志願入隊したと。

①「異教徒」は人間ではない
②イラク人は野蛮人と思っている
③敗者は屈辱的扱いを受けるのが当然
③米国人は傲慢である
④志願兵は規律が低い

というところが理由なのかとも思うのだが、皆さんはどう思われるであろうか?
今のように米軍に多数の死者が出ていれば多少感情的になるのも解らぬではないが、当時はイラク側に比べれば、米軍の犠牲者は微々たるものだった。

ところで、左翼というのは、いつもステレオタイプの発想しかできないんだね。
すべては戦争が悪い。彼ら(米兵)も犠牲者であると・・・?
こういう風にすべてを割り切れると楽でいいなあ(笑)


ところで5月20日付山陽新聞に、イラク人捕虜へのおぞましい虐待に加わった7人のアメリカ人兵士が、顔写真入りで紹介されています。
侵略者のおごりの上に立った卑劣な行為に憤りをおぼえながらも、一面では、戦争さえなかったら、まばゆいほどの才能と一途な向上心にあふれた、頼もしい若者として、
家族からも周囲からも、愛と誇りをもって遇されたはずの彼らが、いま、みじめな後悔に身を灼いていることに対して、内心、痛ましさをも禁じ得ないのです。
収容所からの連想で、映画「シンドラーのリスト」の中の、「戦争というものは、欠点ばかりを増幅させるものだ。」という言葉を思い浮かべずにはいられません。
子どもの健やかな発達という意味からも、子どもを戦場に、とりわけ侵略の戦場に送らない誓いを新たにしたいのであります。

岡山高教組執行委員長・山本和弘氏の執行委員長挨拶概要(第62回定期大会)より抜粋

高教祖は日本共産党の影響力が強い。

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2005/08/06

残忍な人たち

60年前の今日、広島に原爆が投下された。死者は約14万~15万人とされる。
私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている。しかし、毎年8月がくると
怒りがこみ上げてくる。
これは、もう理性を超越した、日本人としての血がなせる業だと思う。やはり、今日は、原爆と米軍の話を書かずにはいられない。

私は、広島の平和記念公園を二度訪れたことがある。もちろん、原爆死没者慰霊碑に首(こうべ)を垂れ、祈りを捧げた。そのときは、「過ちは繰り返しませぬから」という碑文の文言には、何の抵抗もなかった。しかし、今日、その碑文を読み直して強い違和感を覚えた。
原爆投下という過ちを犯したのは米国である。なのに「過ちは繰り返しませぬから」とは・・・・・・おそらく、この慰霊碑が建立された頃は、日本の誤った戦争が原爆の悲劇をもたらしたという認識が、我が国民に強かったということであろう。当時の私も、何の
抵抗も感じなかったのだから・・・

広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上
最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である。したがって、原爆被害に遭われた方々に対して、「過ちは繰り返しませぬから」などと言うのはもう止めにしたい。
「原爆の悲惨さは永遠に忘れません。皆様の筆舌に尽くしがたい苦痛と無念を心の
奥底に深く刻み込みます」と誓いたい。

読者の皆さんの中には、米軍は紳士的だったと思われている方もおられるかもしれないが、とんでもない。
以下の記事は、週刊新潮8月11・18日夏季特大号に掲載された帝京大学教授・高山正之氏の連載コラム「変見自在」に、私の持つ知識を加味したものである。

映画「パールハーバー」の中の、日本の艦載機が病院を銃爆撃し、患者や看護婦が
ばたばた殺されていく場面を見て、石原東京都知事は「嘘が多すぎる」と言って怒った
そうである。これは、明らかに米国の捏造である。
元JAL機長で、真珠湾攻撃にも参加した藤田怡与蔵氏は、「米軍のパイロットならいざ知らず、日本軍はそんなことを思いつきもしない」と言っている。

「米軍のパイロットならいざ知らず」とは、つまり米軍機は、非戦闘員や非軍事施設を
狙うのが常だったということだ。石原知事自身が「麦畑を走っていると米軍のP51がきて機銃掃射された」という。
また、知事は、二子玉川(東京)の床屋で、「橋を渡って東京側に逃げる若い女性を
米軍機が低空飛行で追跡し撃ち殺した。パイロットの顔が地上からも見えた」という話を聞いたとも語っている。
1942年東京に飛来したB25は、超低空で飛行し、必死で校舎に逃げ込もうとする国民学校高等科の14歳の少年を撃ち殺している。
高山正之氏によれば、米軍機が女子供を狙い撃ちした事例は数え切れないほどあるという。要するに、彼らは狩猟感覚で日本の市民を撃ち殺していたということである。

米軍が最初に進駐した神奈川県では、一ヶ月に2千件もの「大きい男」による婦女暴行事件が起きた。「大きい男」とは米兵のことである。GHQが、新聞検閲で米兵をそう表記するように命令したのだ。

米国は、日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったというが、これも真っ赤な嘘である。
原爆の投下候補地は、
①直径3マイルを超える都市
②有効な損害を与えられる地形を持つ都市
③通常爆弾による爆撃を実施していない都市
であった。
これに適うのが京都、小倉、新潟、広島、長崎で、中でも盆地状の京都市街は申し分なかった。したがって、本土爆撃が始まってからも京都爆撃は一切行われなかった。
最終段階で、京都は第一候補からはずされたが、「日本の文化財に敬意を表したから京都を爆撃しなかった」というのは嘘なのである。
広島も爆撃されなかったし、小倉、新潟、長崎も、他の大都市に比べればほとんど無傷だった。ちなみに、長崎は第二候補だった。広島とともに第一候補にされた小倉上空が曇りであったために、長崎が標的になったのである。

一方において、東京や大阪は、一面焼け野原となるほどの爆撃を受けた。
特に、1945年(昭和20年)3月の東京大空襲は、1日で死者10万人以上を出す地獄を生み出した。1機平均6トン以上の焼夷弾を搭載した344機のB29が、低空飛行で東京の下町を襲ったのである。約100万発(2000トン)もの焼夷弾が無差別に投下されたのだ!
しかも、先発部隊が江東区・墨田区・台東区にまたがる40k㎡の周囲にナパーム製
高性能焼夷弾を投下して火の壁を作っていた。火の壁で市民の逃げ道を断ち、猛火の中に閉じ込めた状態での凶行だった。(怒りで頭痛がしてきた・・・)
要は、ジェノサイドだったのだ!!!!!!
逃げ惑う市民には超低空飛行のB29から機銃掃射が浴びせられ、なんとか隅田川に
逃げ延びた人たちも、川面をなめるように駆け抜けた焼夷弾の炎で焼き殺された。

幼子を背負ったまま焼かれた母親の背は白い、そして子供は・・・/浅草・花川戸
Ikaritonamida
涙が止まらない・・・私だけだろうか?





本土空襲の指揮を取っていたカーティス・E・ルメイ少将は、明かに非戦闘員を狙ったと
する批判に対して、戦後の回想録のなかで次の様に述べている。
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を
攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…」

我が国と米国は今、政治、経済、軍事において密接な関係にある。冒頭で述べたように、米国は、かけがえのない同盟国でもある。
しかし、米国が我が国に対して犯した過去の戦争犯罪を忘れてはならない。いまさら
米国を声高に非難するつもりはないし、反米を煽る気もない(何のプラスもない)。が、
歴史の事実や相手を知った上で、初めて真の友好・同盟関係が生まれるのである。
エノラ・ゲイの機長は、90歳になった今も相変わらず、「連合軍が本土上陸作戦を決行していたら、日本人や連合軍の多くが犠牲になっていた」として原爆投下を正当化している。

しかし、ジョン・F・ケネディ政権で国防長官だったマクナマラ氏は、「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」と告白している。
マクナマラ氏は経営管理の理論を戦争に応用した。攻撃効率を高めるために統計を取り分析した。彼の報告書を基にして日本に無差別絨毯爆撃が行われた。彼の上司は、後に広島・長崎に原爆を落としたカーティス・E・ルメイ少将だった。
建前はともかく、本音の部分でそういう反省があればそれで許そう。

しかし、我々日本人は、間違っても「過ちは繰り返しませぬから」と言ってはならない。過ちもあれば、やむを得ないこともあれば、正当なこともある。加害者の面もあれば被害者の面もある。
「過ちは繰り返しませぬから」と言って懺悔しても、得るものは何もない。当時の国際情勢、極東情勢、国内事情等を総合的に勘案して反省するべきである。

(注):「小倉」は、現在の北九州市小倉北区・南区である。

参考資料:東京大空襲

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