中・韓―その「反日」の本質
皆さんの中には、中国と韓国が「なぜ反日に走るのか」をよく理解できない方もおられると思う。それも当たり前で、日中、あるいは日韓のような2国関係は世界でも珍しいからである。
口では「友好」を唱えながら、気に食わないことがあると相手の内政問題にまで干渉し、ヒステリックに非難、というより中傷を加える、こういう隣国(友好国)に囲まれているという状況は、普通はありえない。
しかも、そのヒステリックな隣国の中傷に共鳴し、自国を誹謗する勢力が国内に堂々と存在するというのも、まさに東アジア的、そして日本的特殊性のなせるところだろう。
ところで、同じ「反日」でも中国と韓国のそれは本質的に違う。官民挙げて絶叫する、あるいはプロパガンダの塊であるという点では同じだが、両国の歴史的、または政治的、あるいは地政学的違いがその「反日」のあり方に大きく影響を与えている。
以下の記事は、引き続き過去の人気エントリの再掲だが、お読みいただければ、そのあたりがかなりクリアーになると思う。
中・韓―その「反日」の本質 (2007/05/13)
小泉内閣のころ、よく「日本はアジアで孤立している」と言われた。
が、これは親中派や左翼、あるいは朝日新聞に代表される左派メディアのプロパガンダでしかなかった。
実際のところアジアで、いや世界中で日本の首相の靖国神社参拝を非難していた国は中国と韓国、それに北朝鮮くらいしかない。
このためネット上では、この3国を明確に区分するために「特定アジア」とか「特ア3国」とか呼ぶようになった。
では、なぜこの3国は日本の首相の靖国神社参拝を非難するのか?なぜ「反日」なのか?
今日はこのあたりに言及したい。
ただ、北朝鮮はカルト国家なので今回は対象にしない。
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実は中国と韓国の「反日」は本質的に違うのである。
中国は1972年の「国交正常化」以来、80年代後半までは間違いなく「親日」だった。毛沢東は日米安保条約ですら容認していた。もちろん日本の首相の靖国神社参拝を非難することもなかった、“A級戦犯”が合祀された後も。
80年代の中国で、もっとも人気のあった女優は日本の山口百恵であり、男優は高倉健。百恵が主演した「赤い疑惑」は中国で空前のヒットを記録した。
つまり、中共指導部も中国社会の空気もけっして「反日」ではなかったのである。
もちろんこれには事情があった。
一つは、ソ連が中国にとって大きな脅威になっていたということ。それから当時の中国は世界で孤立していたということ。
そのころの中国にとって「友好国」と呼べるのは、アルバニアとルーマニアくらいしかなかった。
ところが80年代後半から状況は一変する。
1989年に起きた天安門事件は中国共産党(中共)の威信を一気に低下させた。なぜなら人民の軍隊(人民解放軍)が人民を虐殺したからである。しかも、改革開放に伴なう市場経済の導入により、共産主義イデオロギーは社会的規範としての役割を喪失した。
中共の威信低下と共産主義イデオロギーの崩壊―つまり、80年代後半から共産党一党独裁の正統性に疑問符がつき始めたのである。
一方、対外的環境を見ると、1991年には中国にとって最大の脅威だったソ連が崩壊した。これにより、反ソ戦略の一環としての「親日」が不要になった。
ここにおいて中共指導部は「反日」に大きく舵を切ることになるのである。
「中国共産党は抗日戦争において中心的役割を担い、これに勝利した」
中共独裁を正当化するにはこれを強調するしかなくなった。
そして「抗日戦争」における共産党の役割をたたえるプロパガンダは、同時に中国を侵略した日本軍がいかに残虐だったかを強調するプロパガンダにつながっていった。
つまり中国の「反日」は、中共体制が抱える内部矛盾の外部転化なのである。
共産党支配の正統性を合理化し、その求心力を維持するために抗日戦争の勝利と「反日」を強調する。90年代に入って強化された愛国・民族主義教育は「反日」教育でもあったのだ。
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以上を読めば、中国の「反日」が政治的な動機によるものであることがおわかりいただけたと思う。
では、韓国はどうか?
韓国の「反日」は、言うなれば歴史的怨念、民族的怨念の発露である。
その起源を私は、1637年の「丙子胡乱」にあると見る。
14世紀末に建国された李氏朝鮮は明(中国)の朝貢国であった。その朝鮮にとって
満州(中国東北部)にある女真族は北狄(ほくてき=野蛮人)であり、軽蔑の対象でしかなかった。
ところが17世紀に入ると、満州で女真族が建てた後金が勃興し国号を清と変更すると、朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を求めてきた。
華夷思想に染まっていた時の朝鮮王・仁祖は当然のことながら清の要求を拒絶する。すると、怒った清の皇帝・太宗は10万の兵力を率いて朝鮮に侵攻した。で、清の圧倒的な兵力の前に朝鮮軍はなすすべもなく惨敗を重ね、わずか45日で降伏。
これが「丙子胡乱」である。
このとき江華島に逃げた仁祖は清軍に捕らえられ、三田渡で降伏の儀式が行われた。この儀式は屈辱的なもので、仁祖は太宗に対し三跪九叩頭の礼(三度ひざまずき、
九度頭を地にこすりつける)をもって清皇帝を公認する誓いをさせられた。
そして三田渡の地には、後にこれを記念した大清皇帝功徳碑(三田渡碑)が建てられることになる。
韓国では、この碑を「恥辱碑」と呼ぶ。
それは、この碑に以下のような内容の文が刻まれているからだ。
愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆った。
清国皇帝は、愚かな朝鮮王を窘め、この大罪を諭してやった。
良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。
(要約)
この屈辱の儀式のあと朝鮮は、「三田渡条約」と呼ばれる、これまた屈辱的な条約を清に呑まされる。
大淸皇帝功德碑の原文(漢文)はこちら
http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B7%B8%E7%9A%87%E5%B8%9D%E5%8A%9F%E5%BE%B7%E7%A2%91
日本語訳はこちら大清皇帝功徳碑の要約
この写真のレリーフは韓国政府が作ったもので、「大清皇帝功徳碑」のそばにある。
清の太宗の陣地があった三田渡の受降壇で、仁祖が太宗に対して三跪九叩頭の礼を行い、清皇帝を公認する誓いをさせられるという場面を描いたものである。
「受難の歴史が渦巻くこの場所で、我々はこのような汚濁の歴史が再び繰り返されないよう、民族的自尊を高くし、自主、自強の意志を固く決意しなければならない」
レリーフの文末には、このように書かれている。これは、1982年当時の全斗煥・軍事政権のころに書かれたものだ。
「受難の歴史」「汚濁の歴史」、この言葉に韓国・朝鮮の歴史的、民族的無念が示されている。誇り高き韓国・朝鮮人にとっては受け入れがたい歴史だが、これが事実であることがさらに彼らの自尊心を傷つける。
参照:よみがえる?「対中/屈辱の碑」 (毎日新聞)
この清によってもたらされた「受難」「汚濁」から韓国を解き放ったのは「自主、自強の
意志」ではなかった。屈辱的な「三田渡条約」を破棄し、晴れて独立の身になれたのは清が日本に敗北したからである。
つまり、日本のおかげで「受難の歴史」「汚濁の歴史」を断ち切ることができた。
が、これまた韓国・朝鮮にとっては屈辱だった。北狄(野蛮人)から受けた恥辱を東夷(とうい=未開人)の力を借りて晴らすことになったからである。
で、結局、韓国・朝鮮はこの後も「自主、自強の意志」を固めることはできず、日本の統治下に組み込まれることになる。そして、この日本による統治から解放されたのが米国のおかげ。
ここでも「自主、自強の意志」とは無縁のまま独立を果たすことになる。で、独立後は
今度、南北に分かれて同じ民族同士で無残な戦争を引き起こしてしまう。片方はソ連、もう一方は米国の後押しを受けて。
つまり、韓国・朝鮮は中世から近世~近代にかけて一度も「自主、自強の意志」を貫いたことがない。この屈辱が「民族的自尊を高くし、自主、自強の意志を固く決意しなければならない」という言葉になって表れるのだ。
狂気じみた「反日」も、盧武鉉という低脳な政治家を「反米」主義者というだけで大統領に選んだのもこのためだ。
このあたりは、拙著『韓国が世界に誇る ノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録』をお読みいただければ、よくわかると思う。
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中国の「反日」は政治的に作られたものだ。一方、韓国のそれは歴史的、民族的な理由による。
したがって、中国の「反日」は中共の都合次第でどうにでもなる。
今、中国では自らが蒔いた「反日」の種が大きくなりすぎて、逆に中共体制を脅かすまでになっている。だから中共は「親日」宣伝に努めている。
「赤い疑惑」を再放送したり、米倉涼子主演の「女系家族」や「黒革の手帖」を放映したりしているのもそのためだ。
もちろん、中国進出にブレーキがかかりつつある日本から、より一層の資本と技術を引き出すことも狙いの一つである。
一方の韓国は、盧武鉉政権がハンナラ党(保守)政権に代わっても、その「反日」は本質的には変わらない。おそらく経済的に、文化的に「日本に追いつき追い越す」までは、「反日」は今のままだろう。
そして韓国が日本に追いつくことは、この先100年間はありえない。
結論として言えることは、狡猾な中国も愚かな韓国もわが日本国の友好国にはなりえないということだ。
むしろ、「近隣国とは利害が対立するのは当たり前だ」という心構えで、「敬して遠ざける」という態度を貫くべきである。
【注】
“A級戦犯”が靖国神社に合祀されたのは1978年、中国がわが国首相の靖国神社参拝を非難し始めたのが1985年。
が、この時も、胡耀邦政権は自制的で、むしろ日本の野党(社会党)が煽り立てている感じだった。
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