個人

2017/01/20

極私的エントリー


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以下は、2005年9月5日に書いたエントリの再掲です。
当時は既に人気ブログランキングの第1位だったと思う。
その順位を意識した重圧なのかなあ...
けっこう「書くこと」に悩んでおります、11年以上前!!!

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昨日、できるだけ正確な記事を書こうと、財政関連のサイトを20以上閲覧していたら、エントリーを書くのに5時間以上を要してしまった。
本当に疲れた。で、今日は、極めて私的なエントリーを上梓することにした。ご容赦を・・・

私は、17歳のときに左翼運動に身を投じ、21歳からは2年間、部落解放運動に参加した。限界を感じた私は、大学に復学し卒業した。
民間企業は相手にしてくれないので、地方公務員試験を受けた。幸い上級職で合格できた。自治労の支部である職場の労組は共産党が主流派で、社会党系は反主流派だった。
私は社会党系の青年部で精力的に活動した。しかし、すぐに裏が見えた。肝腎なときに当局と妥協するのだ。私は執行部と対立した。

私は、9年間にわたって政治に直接関わった。学生運動、部落解放運動、労働運動。偽善というか、欺瞞というか、運動によって違いはあるのだが、組織の論理が個を抹殺する。これが政治の現実だった。
組織の論理に大義があれば、まだ許せる。が、そんなものはどこにもない。自己保身の官僚主義そのものだった。
※ただ、全共闘運動だけは違う、と今でも思っている※

特に部落解放運動には絶望した。崇高な理念を掲げているのだが、実際は「物取り運動」だった。暴力で行政や一般市民を威嚇する。「糾弾闘争」=暴力である。
それでも部落大衆が恵まれるのなら、まだ我慢ができた。しかし、一部の者のみが御殿を建て、部落大衆はそれほどの恩恵を受けなかった。要は、部落の中に新しい差別が生まれたのである(怒)。

公務員を辞めた私は、商売を始めた。しかし、すぐにダメになった。そこから私の本当の人生が始まった。紆余曲折はあったが、今は人生でいちばん安定している。オカネでは相変わらず苦労しているが、精神が安定しているのだ。

やっぱり私は反米であり、日本と日本人が大好きであり、この国と国民に誇りを持っている。今は、日の丸と君が代を抵抗なく受け入れられる。
幸い、家族には恵まれた。子供たちは私を尊敬してくれている。妻には心から申し訳ないと思っている。

これからも、日本の主権と独立にこだわり続けたい。社会的「逆不公正」は絶対に許さない。真の弱者には膝を折りたい。

構造改革は、けっして弱者切捨てではない。日本が沈没すれば強者も弱者もない。
いや、強者は国が破綻しても、まだ恵まれている。いちばん困るのは弱者なのである。共産党や社民党の主張は破滅への道である。だまされてはならない。

私は、最近、親鸞の「他力本願」に魅せられている。「南無阿弥陀仏」、これが究極ではないかと・・・
無神論者として50年以上を生きてきて、最近そう思う。
人間って何なのか?人生って?生きる意味って?
そんなことを、思春期以来、何十年ぶりかに考える今日この頃である。

Bund_2


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2016/12/09

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春の靖国神社は七分咲きです。

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2016/10/09

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今年6月、右腕を骨折したにもかかわらず、その翌日に伊豆・下田温泉をスーパービュー踊り子号で訪れた時のものです。

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2016/08/07

今日は気まぐれに親父との思い出を語ります。


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私の父親が旧陸軍の将校だったこと。
敗戦後、シベリアに2年余り抑留されたことは何度か書きました。
その父親、戦争のことは多くは語りませんでしたが、たまに印象に残る言葉を残しています。

一つは日本が戦争に負けた理由。
「科学力と生産力が違いすぎた。圧倒的物量を前にした時、精神論だけでは勝てない」
父親は戦後、「これからは自動車の時代だ」と強く思ったそうです。

もう一つ父親が敗戦の理由に挙げたのが旧陸軍の視野の狭さ。
「海軍は外国に行くことも多く、米国を知っていたが、陸軍指導部は米国と日本の国力の差を知らなすぎた」
つまり「井の中の蛙」状態だった陸軍の認識不足が日本を対米開戦に導き、惨めな敗北をもたらしたと父親は言うわけです。

父親は二・二六事件を引き起こした陸軍皇道派に対しても厳しかったですね。
「連中は統制派の悪口を言うばかりで、自分たちならこうするという具体論がまったくなかった」
父親が将校になった時、既に皇道派そのものは失墜していましたが、それでも陸軍内部にはまだ展望なき強硬論が蔓延していたそうです。
ただ、本人もその一翼を担いでいたわけで、反省している風でしたが。

それから、戦後の米ソ対立については、「ソ連が米国に勝てるわけがない」と断言していました。
ソ連軍の捕虜になった時、真っ先に奪われたのは腕時計だったそうです。
日本軍の将校は腕時計は当たり前。
ところがソ連兵は将校でさえそれを持っていない。
しかも食糧も満足ではない。
シベリア抑留で日本兵捕虜が多く命を落としましたが、「ソ連兵自身の食糧が欠乏状態だったのだから仕方がない面もあった」と語っていました。
その時、ソ連軍内部のユダヤ人差別の酷さについても聞かされました。

国民党軍の残虐さに触れた言葉も忘れられません。
援軍の到着が遅れたため父親の部隊は一時退却したそうです。
で、援軍が合流して国民党軍を撃破した後に見たのは信じがたい光景でした。
負傷して退却の遅れた日本兵が山積み状態にされ、生きたまま油をかけられ、焼き殺されていたのです。
藪に潜んでその様子を見ていた兵士は、その後、精神がおかしくなったと言っていました。

それから八路軍(紅軍)の兵士が日本軍に投降してきたときは、びっくり仰天したそうです。
理由が、「国民党軍に捕まるよりは日本軍の方がまだまし」と言うのです。
つまり、国民党軍だと残虐な拷問を加えられたうえで虐殺されるが、日本軍はそこまで酷くはない。
父親は、国民党軍がいかに残虐であるかをその時、痛感したのでした。
で、「生きて虜囚の辱を受けず」を反芻するわけです。

こういう話は、私が左翼学生運動に身を投じたころ、年に何回か食事を共にした時に問わず語りに聞かされました。
そして、毎度のごとく言われた言葉が以下です。
「人間は体力が第一だ。今のお前は、シベリアに抑留されたら1か月も持たない」

父親は、
視野の狭い人間は道を誤る―
独りよがりで他人を批判してばかりいる人間には未来がない―
ソ連は戦争の勝者のように言われるが、その実態は日本よりずっと惨めだった―
社会主義は平等と言うがソ連内部のユダヤ人差別は酷いもんだ―
加害者=日本軍、被害者=国民党軍という構図は一面的すぎる―
どんな世でも体力がなければ生きていけない(健康が第一)―
というようなことを私に婉曲に伝えたかったのだと思います。

父親が亡くなって既に25年。
親不孝ばかりで、申し訳なかったという思いしか残っておりません。
その私がもう還暦。
父親に恥ずかしくないような晩年を築き上げたいと思います。

Shiberia


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【追記】
このエントリは2012/03/20の再掲です。

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2016/08/01

再び全共闘運動を語ろう


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2012年まであとわずか。
早いもので、私が左翼運動に身を投じてから43年が経過しようとしている。
そのころ生まれた人がもう43歳。
時の流れはほんとうに早い。
左翼運動と完全に縁を切ったのは29歳の時だから、それから数えても30年以上が過ぎている。

心情的に左翼と絶縁したのは、もう少し後になる。
35歳の時、成田から米国に向けて初めて旅立った時だ。
まだ三里塚の新空港反対運動は続いていた。
その昔、反対運動の隊列にいた私を何とも説明しがたい感情が襲った。
単なる後ろめたさではない。
もういいだろう、という自分もそこにはいた。
そして、ジョン・F・ケネディ空港に降り立った時、そういう気持は完全にふっ切れた。

革命闘争、部落解放運動、労組活動、その時々で私の立ち位置と思想はかなり異なったが、左翼であり続けたことだけは変わりがない。
極左の学生、被差別部落の講師、公務員労組の末端活動家、ここまではまったくの左翼だったし、革命を完全にあきらめていたわけではない。
が、海と言えば関門海峡しか渡ったことのなかった私が、いきなりたった一人で太平洋を越えることになったころには、もう革命の「か」の字も心の中には存在しなかった。
もっと言えば、革命なんてぜったいに、ぜった~いに起こりえない、と思っていた。
が、やはり左翼の、特に過激派の動向は常に気になっていた。
三里塚の新空港反対運動もその一つだった。

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私が自らを「元極左だった」と語るのは、もちろん自慢するためではない。
そんなこと知られずに済むなら、それに越したことはない。
今ではもう時効だが、犯罪行為(当時は革命的行為)を犯したことは間違いない。
それでも「元極左」を名乗り、過去を語るのは当時を知ってほしいからである。
学生の集団的政治活動としては近代史において最大で、且つもっとも過激だった全共闘運動。
1960年代半ばから70年代初頭にかけて隆盛を極めた極左の運動が、再びこの国で起きることはないだろう。
そういう意味では空前絶後の出来事だった。

当時、全国的課題では東京の中央集会に2万人以上が結集した。
地方での動員数を合算すれば、その数は4~5万人に達していたと思う。
集会やデモには参加しないが、心情的に全共闘支持だった学生も数多く、間違いなく学生においては多数派だった。
1969年には、全国の大学で紛争校165校、うち封鎖・占拠されたものが140校を占めた。
今で言う「偏差値の比較的高い大学」のほとんどが封鎖・占拠された、と言っても過言ではないだろう。
当時のメディアでも「紛争のない大学は大学ではない」などという差別用語?が紹介されたりしたものだ。

では、なぜ、そんなに全共闘運動は盛り上がったのか?
学生の支持を集めたのか?
私は全共闘世代の最末尾である。
全共闘運動には助手や大学院生も参加していたから最年長は1944年生まれあたりだと思う。
つまり来年68歳になる人たちから60歳になる人たち(1952年早生まれ=私)が全共闘世代である。
私の学年は高校時代に全共闘運動の洗礼を受けた。

この1944年~1952年早生まれには共通するものがある。
一つは戦後の貧しさを知っているということだ。
今日のメシにも困る人がいる、それを体験的に知っている。
次に戦争への恐怖が現実にあった。
大人になる過程が東西冷戦の真っ只中と重なる。
また、戦後の民主主義教育を受けた世代であり、テレビドラマや音楽、ファッションで米国的豊かさや自由に憧れた世代でもある。
そんな世代にとって、教師を含めた大人たちは権威主義的で古い道徳観の塊に見えた。

貧困、戦争、権威主義、古い道徳観、これらが若者たちを反体制に走らせた大きな原因であることは間違いない。
反貧困、反戦、反権威、反道徳、これらが全共闘世代の共通項である。
ただ、これだけが全共闘運動の隆盛をもたらした原因ではない。
それまでは、学生運動の中心は学生自治会の連合体である全学連だった。
が、全共闘は学生自治会とは違う。
学生自治会は、ほぼ党派(セクト)とイコールだった。
日本共産党系か反日本共産党系か、そのいずれかであり、全学連の運動は党派の運動だった。

が、全共闘は全学連と違い、その圧倒的多数は無党派だった。
つまり組織に規則らしい規則はなく参加するのも離脱するのも自由。
党派的縛りがないから気楽と言えば気楽、だから麻雀の代わりにデモに参加する者もいれば、党派より過激な行動を取る者たちもいた。
「別個に立って共に撃つ」という言葉がそれを象徴している。
そして、これが空前絶後の反体制運動を生み出したとも言える。

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思い返せば私たちの学生生活は貧乏と言うか質素と言うか。
冷蔵庫や洗濯機はもちろんテレビもない。
4畳半に共同トイレ、風呂なし、これが当たり前、まさに「神田川」の世界だった。
大学の授業以外はサークル活動に精を出すか、麻雀をするか、喫茶店で議論の花を咲かせるか、アルバイトをやるか、それくらいしかない。
外で飲むだけのカネもないから、誰かの部屋に集まって生ぬるいサントリー・ホワイトをチビチビ呑む。
そこは、まさに「口角泡を飛ばす」空間。
こういう環境だと、本をよく読むようになる。
そして読む本と言えば、吉本隆明、高橋和巳、大江健三郎、柴田翔、羽仁五郎、井上光晴、倉橋由美子などなど。
左翼運動をやる条件がそろいすぎている。

それと比べれば、今の若者は恵まれている。
私に言わせれば恵まれすぎ。
世の中にも、食うに困る人間っていないだろう?周りに。
住む家がない者もほとんどいない。
ホームレスなんてわがまま、と言うしかない、私から見れば。
それだけ日本は豊かで格差の少ない国、社会になったのだ。

1970年代後半になって明らかに社会も学生も変わった。
それは1980年代後半のバブルで決定的になった。
当時の日本は世界一豊かな国だったのだから。
失われた20年と一口に言うが、当時の豊かさの名残は今も随所にある。
徐々に崩れかけてはいるけれど。

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全米規模で「ウォール街を占拠せよ(OWS)」運動が続いている。
運動は欧州にも波及している。
が、わが国では呼応する動きがあったもののさっぱり盛り上がらない。
1968年に全共闘運動が、フランス五月革命に触発される形で全国の大学に燎原の火のごとく広がったのと好対照である。
それだけ日本は平和で安全で、格差の少ない豊かな国と言うことだ。

この国の左翼は、おそらく先が長くない。
復活するとしたら、借金まみれの財政をこの先も一向に改善できず、むしろ悪化させて経済危機に陥った時だろう。
が、私は、日本も日本人もそれほどバカではない、と信じている。

Bund2


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【追記】
私が共産主義に疑問を抱くようになったのは上の記事に書いてある「左翼と縁を切った時」よりずっと前です。
1972年の連合赤軍事件はショックでした。
彼らの一部に私と同じブント(共産同)出身の活動家がいたからなおさらです。
もう絶望的な気分になりましたね。
72年5月の「御茶の水解放区闘争」の後、私はブントを離脱しました。
多くの仲間が検挙されたあとで辛い決断でしたが、もう限界でした。

私より後の学年から急激に学生運動の熱気が失せたのも、やはり連赤事件が大いに影響していると思います。
なぜ彼らが、ああいう風になってしまったのか?
ismの持つ必然とはいえ、いまだに総括できません、完全には。

【追記2】
このエントリは2011/12/23の再掲です。

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2016/07/27

連合赤軍≒革マル≒オウム≒左右のカルト


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昨日のエントリの【追記】で―あの「あさま山荘事件」からちょうど40年目―と書きました。
40年、長いですよね。
それでもメディアは大きく取り上げていました。
それだけ衝撃的な出来事だった、ということです。
私もこの事件だけは忘れられません。
まるで当事者のような意識が働きます。

彼らが同じ共産主義者であったこと、そしてメンバーの中にブントの先輩がいて、主導的役割を果たしたこと。
だから私に、逃れられない当事者意識が働くのです。
不謹慎な物言いになりますが、私は「あさま山荘」の銃撃戦に熱狂しました。
左翼学生の大半がそうだったと思います。
で、第2第3の銃撃戦が起きる、皆そう期待しました。
が、直後に打ちのめされるような事実が発覚します。
まさに奈落の底に突き落とされたような絶望的な気分。
最初は信じられませんでした。
「殺されたのは公安のスパイだろう」と思いました。
が、殺害されたメンバーの中に知ってる先輩活動家がいて、報道されていることが事実であると自覚しました。

12人が「総括」という名のもとに処刑されました。
処刑方法は残虐非道で、まず他のメンバーが全員で顔の判別がつかなくなるほど “被告人”を殴りつける、内臓が破裂するほど蹴りつける。
食事も与えず、衰弱すると、両手足を縛って極寒の屋外に放置する。
死因の大半が凍死で、胃の中は空っぽでした。
中には、「総括」が期待できないと判断され、「死刑」を宣告された挙句、アイスピックで何度も刺された上に絞殺された者もいました。
また、兄の殺害を、あるいは妊娠8か月の恋人の処刑を強要された者もいました。
処刑の理由も些細なこと。
化粧をしている、異性と親しくした(恋人同士)、規律を守らない、兵士としての自覚に欠ける、リーダーの森恒夫より理論上手、顔が美人、等々信じがたい理由で“革命戦士”たちは処刑されたのです。

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この事件を、あいつらは人間じゃない!と非難するのは簡単ですが、やはり、なぜこうなったのか?を明らかにすることが重要だと私は思います。
私にはその責任がある、と考えるのです。

理由の一つは、リーダーだった森恒夫と永田洋子の人間性にあります。
赤軍派の中でバカにされていた森、容貌や女性としての魅力に劣等感を抱いていた永田。
この森と永田のコンプレックスが根底にあるのです。
京大出身で関西ブントの理論家として知られ、赤軍派内では森より格上だった山田孝が処刑されたこと、赤軍派の女性メンバーで女王様的存在だった遠山美枝子が、まず永田に目を付けられたことなどがそれを証明しています。

次は、当時の彼らが置かれた環境ですね。
彼らは公安警察に追われ都市部では活動できなくなっていました。
で、山岳地帯に逃げ込んだのです。
それでも公安の追跡はやまず、山岳ベースと名付けた拠点を転々としました。
榛名ベース―迦葉山ベース―妙義ベースと彼らは移動する(逃走する)わけですが、いずれも自分たちで作った粗末で小さい山小屋であり、外は氷点下の極寒でした。
こういう閉ざされた空間の中で雑魚寝の共同生活を続けていく。
一方で公安の追手が迫っている。
精神的に追い詰められるのも無理はありません。

三番目が毛沢東思想の影響。
毛沢東は熾烈な党内闘争(粛清)を繰り返しながら中国共産革命を成就させました。
連合赤軍の半分は、毛沢東を崇拝する革命左派神奈川県委員会(京浜安保共闘)出身でしたから、メンバーの粛清に違和感があまりなかったと思います。

ただ、以上の理由は付随的なもので主因ではないと私は思っています。
決定的な原因は、「極めて日本的なマルクス主義」です。
日本のマルクス主義(共産主義)は「主体論」が根本にあります。
これは西田哲学を源流としています。
西田哲学の神髄は「絶対矛盾的自己同一」です。
「我はすなわち天なり。天すなわち我なり。」を実感すると人は悟りの境地に至る、これが「絶対矛盾的自己同一」ですが、マルクスの師であるヘーゲルの弁証法も、西田哲学と真逆のようで実は同じなのです。
すなわち社会や歴史も、絶対精神(理性)の自己実現―という点で両者は共通するのです。
だから戦前、西田哲学の徒だった梯明秀や梅本克己などが戦後、マルクス主義者になりながら、そこに「主体論」を持ち込めたわけです。
この「主体論」をさらに純化させたのが革マル派の教組・黒田寛一(通称「黒寛」)です。

Nagatahiroko
最後まで責任を森恒夫に押し付けた永田洋子

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黒寛理論(哲学)では、「プロレタリア的人間としての主体の形成」が求められ、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げた者によって構成される強固な“前衛党”」が革命闘争を指導するとされています。
つまり、革命理論を学び、思想を固め、ブルジョア的なものを排除し、自己を共産主義者として確立する―これがプロレタリア的人間への過程ですが、これではまるで求道者です。
宗教の信者が、その信仰のレベルを高め、より神(もしくは教組)の教えに近づこうとする、これとそっくりです。
そこにおいては、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げた者」という“選民”が誕生します。
逆に言うと、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げていない者」がマルクス主義を標榜し、革命家を名乗ることは異端であり、反革命となるわけです。
そこでは異端者は抹殺の対象になります。

私は、連合赤軍による大量リンチ殺人の根底には、「プロレタリア的人間への自己変革」を求める黒寛的な思考があったと思っています。
つまり、犠牲者は「プロレタリア的人間=革命戦士としての主体の形成が不十分」=小ブルジョア(プチブル急進主義)とみなされ、暴力による「総括」が実行されたのです。
革マル派の「革命の主体形成」=“前衛党”建設至上主義が、連合赤軍においては「銃による党の建設」=唯武器主義に化けただけで、その本質は同じだったと思います。

革マル派が中核派や革労協と、血で血を洗う凄絶な内ゲバを繰り広げたのも、黒寛哲学が大きく影響しています。
革マル派から見れば、中核派や革労協は「プロレタリア的人間への自己変革」が不十分なプチブル急進主義者であり、解体するべき存在です。
革マル派の第一目標が権力の打倒ではなく他党派の解体であったところにその特徴がよく表れています。
連合赤軍が殺害したメンバーは12人ですが、革マル派と中核派及び革労協の内ゲバによる死者は判明しているだけで86名を数えます。
重い後遺症を引きずる重傷者は数知れず。

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欧米先進国の極左(過激派)で、日本のような陰惨な殺人が横行した例はありません。
つまり、日本の内ゲバ殺人には、マルクス主義(共産主義)が持つ本質的な問題=独善と排他性以外の原因があるのです。
それは、求道者的思考回路に陥りやすい日本人特有の体質にあると私は思っています。
そういう点では、オウム真理教事件も似たところがあります。
彼らは「ポアする」=「魂を救済する」として脱会者や脱会しそうな信者を殺しました。
連合赤軍の「総括」も、革命戦士としての自覚を促すために実行された「援助」であり、その結果の死は「敗北死」と呼ばれました。
革マル派は、リンチによる自己批判を迫るのが常でしたが、彼らによれば、自己批判は「プロレタリア的人間への自己変革」を開始するための第一歩でした。
道を究めるという日本人の長所が、イデオロギーや宗教の世界に持ち込まれると狂気に化ける、そんな気がしてなりません。

私の救いは、私が所属したブントは四分五裂しましたが、内ゲバで死者を出したことがない、という点です。
赤軍派が分裂したとき、望月上史さんが死亡しましたが、これは事故でした。
ブントは黒寛理論(哲学)の対極にいましたし、「プロレタリア的人間への自己変革」より闘争優先、運動重視でしたから深刻にならなかったのだと思います。
その代り、ブントは雲散霧消しましたが、革マル派は未だに生き残り、社会の至るところに根を張っています。
やはり“宗教”は強いのです。

思想の左右を問わず、あるべき人間像を固定化し、それ以外の人間を排除、抹殺するという硬直した思考回路に陥らないように心したいものです。
よろしくお願いします。


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Asamasanso
上の銃を構えている男が坂口弘

連合赤軍事件の主役の一人、坂口弘死刑囚がオウム真理教の事件について朝日新聞に手記を寄せていました。
1996年4月のことです。
私は当時、これを読んで深い感銘を覚えるとともに、自らに目覚めました。

以下は原文です。

この手紙が、あなた<オウム信者のこと>を始めとする潜伏中の皆さんの目に触れることを念じつつ書いています。

かつて、重大な過ちを犯した人間である私は、地下鉄サリン事件など一連の事件に関与したオウム真理教信者の方々に対し、痛ましい思いで深い同情を禁じえません。

あなた方は、サリンをまくためにオウム真理教に入信されたわけではないでしょう。また、地下鉄サリン事件を立案し、計画したわけでもないようです。教団の中にあって、たまたまその地位や立場が悪かったために指名手配され、実行に関与することになったのです。私自身の経験から、組織の中にいて、そのような指示を容易に拒めるものではないことはよくわかります。

僧侶の林さん<泰男容疑者のことか>と左翼の私とは、住む世界が異なりますが、それにもかかわらずお互いによく似た傾向があることに気づかされます。それは、カリスマ性をもつ指導者への帰依です。かつての私は、この傾向が人一倍強い人間で、恋も及ばぬほど熱烈に指導者を愛し、忠誠を誓い、この人のためなら死んでもおしくないとまで思っていました。

この盲目性から私は、組織が始めた武装闘争に加わり、獄中にいた指導者の奪還を企てたのですが、これが武器のエスカレートを招き、その過程に脱落した仲間を口封じのために殺害し、さらに、目的を変じて、山岳ベースでの大勢の同志殺害からあさま山荘でのろう城発砲へと、命がいくつあっても足りぬ罪を重ねてしまいました。

過ちに気づいたのは逮捕されてからでした。国内外の激動した情勢に、どうも自分たちの武装路線は適合していないのではないか、という疑問が芽生え、この疑問をつきつめてゆく過程において、なおも路線を堅持する指導者と衝突しました。そして、激しい論戦を経て、ようやく武装路線から脱却できたのです。

この体験から私は、自らの行為に疑問や迷いが生じた時には、何にもまして実感を大切にしなければならない、と心するようにしました。自分の心に感じたものにこだわり、それがスッキリするまで、しつこいように追求してゆく、ということです。

教団の中で、求道のため、麻原さんの指示を率先して実行した井上嘉浩さんも、今私と似たような体験をされているようです。

彼は、麻原さんの指示を実行していても自分の心は解放されず、かえって暗くなってゆくのはなぜか、という疑問にこだわったそうです。逮捕後、これをつきつめていった結果、一連の事件は麻原さんのエゴの実践に過ぎなかったとの結論に達し、法廷で麻原さんと対決してゆく意志を表明されました。

手段が悪いのは目的が悪いからだ、という言葉があります。実感を大切にされ、ご自分の判断で運命をひらいて下さい。

1996年4月24日 朝日新聞【夕刊】

< >は朝日新聞の補足。

今回は、渾身の力を込めて書きました。
正直、疲れました、ヘトヘトです。


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このエントリは2012/02/24の再掲です。

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2016/07/20

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私は、9年間にわたって政治に直接関わった。
学生運動、部落解放運動、労働運動。
偽善というか、欺瞞というか、運動によって違いはあるのだが、組織の論理が個を抹殺する。
これが政治の現実だった。
組織の論理に大義があれば、まだ許せる。
が、そんなものはどこにもない。
自己保身の官僚主義そのものだった。
※ただ、全共闘運動だけは違う、と今でも思っている※

特に部落解放運動には絶望した。
崇高な理念を掲げているのだが、実際は「物取り運動」だった。
暴力で行政や一般市民を威嚇する。
「糾弾闘争」=暴力である。
それでも部落大衆が恵まれるのなら、まだ我慢ができた。
しかし、一部の者のみが御殿を建て、部落大衆はそれほどの恩恵を受けなかった。
要は、部落の中に新しい差別が生まれたのである(怒)。

公務員を辞めた私は、商売を始めた。
しかし、すぐにダメになった。
そこから私の本当の人生が始まった。
紆余曲折はあったが、今は人生でいちばん安定している。
おカネでは相変わらず苦労しているが、精神が安定しているのだ。

やっぱり私は反米であり、日本と日本人が大好きであり、この国と国民に誇りを持っている。
今は、日の丸と君が代を抵抗なく受け入れられる。
幸い、家族には恵まれた。
子供たちは私を尊敬してくれている。
妻には心から申し訳ないと思っている。

これからも、日本の主権と独立にこだわり続けたい。
社会的「逆不公正」は絶対に許さない。
真の弱者には膝を折りたい。

構造改革は、けっして弱者切捨てではない。
日本が沈没すれば強者も弱者もない。
いや、強者は国が破綻しても、まだ恵まれている。
いちばん困るのは弱者なのである。
共産党や社民党の主張は破滅への道である。
だまされてはならない。

私は、最近、親鸞の「他力本願」に魅せられている。
「南無阿弥陀仏」、これが究極ではないかと・・・
無神論者として50年以上を生きてきて、最近そう思う。
人間って何なのか?人生って?生きる意味って?
そんなことを、思春期以来、何十年ぶりかに考える今日この頃である。

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2016/07/16

全共闘はなぜ消滅したのか?


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永田洋子が死にました。
事実として見れば、老年期に差しかかった女性死刑囚(65歳)の病死に過ぎません。
でも、これがメディアでもネットでも話題になる。
事件が発覚して39年、死刑が確定して18年。
普通なら、新聞記事の片隅にも載らないでしょう。

やはり、連合赤軍(連赤)事件は風化していなかった。
それだけ社会的影響が大きかった事件だった、ということでしょう。
治安事件として、
政治運動として、
思想問題として、
その歴史的なインパクトは無視できない。

私は、この事件をきっかけに、日本の新左翼運動は衰退に向かった、特に学生運動は終焉を迎えたと思っています。
1980年代後半の共産圏崩壊は、それをダメ押ししたに過ぎません。
それほど、この連赤事件の持つ歴史的意味は大きく、深いのです。

1960年代から70年代初頭にかけての学生運動、特に全共闘運動は大学生を中心に、労働者や高校生、そして知識人にまで大きく影響力を広げました。
特に大学生に対する影響力は大きく、1969年までは、主要な大学では、そのシンパまでを含めれば、ほぼ多数派だったと思います。
ゲバ棒に火焔瓶という過激な武装闘争はともかく、反戦・反安保のデモに参加した学生は、当時の大学生の3分の1に及んだと思います。
デモに参加しなくても、心情的には新左翼支持という学生も多くいました。

が、1972年の連赤事件を境に、全共闘はほぼ消滅、政治的デモに参加する学生も激減しました。
そして、1970年代も後半になると、新左翼の影響力はほとんどなくなってしまった。
つまり、全国の大学を席巻した全共闘運動、それを主導した新左翼は、政治的、社会的に極少派になってしまったのです。

あれだけの盛り上がりを見せた全共闘運動が、ぷっつりと途絶え、その後の学生たちにほとんど、いやまったく影響力を残せなかったのはなぜか?
その始まりは、1969年のブント赤軍派の誕生にあると思います。
武装蜂起を目指した大菩薩峠事件、「M作戦」と名づけられた連続銀行強盗、そして日航機ハイジャック、これらの事件に接して、多くの学生が、何かが違うと思い始めたのは間違いありません。
それから、内ゲバの萌芽である革マル派を軸としたセクト(党派)間の暴力的主導権争い。
これも、無党派(ノンセクト)の活動家にとっては、耐えられない事態だったでしょう。

結果、全共闘運動は崩壊に向かい、新左翼は大衆的支持を喪失してしまいました。
で、追い詰められた過激派の一部が唯武器主義に走り、連赤事件を引き起こしたのです。
また、生き残ったカルト3派(革マル派・中核派・革労協)は、大学キャンパスを暴力的に支配、そして個人テロを実行、最後は軍事組織まで作りあげて敵対党派に対する殲滅戦を展開しました。
ここにおいて、新左翼運動は、その歴史的使命を終えたのです。
そして、後世にまったく影響力を残せなかった。

Bund       私はこの中の10列目くらいにいました。

「別個に起(た)って共に撃つ」
これが全共闘運動でした。
つまり、思想的背景や信条が違っても、反権力・反体制で連帯し共に闘う、これが基本でした。
で、この運動を支えた中心的党派は我がブントでした。
ブントは、吉本隆明に影響を受けた者たちや、廣松渉に依拠する者たち、赤軍派のような武闘第一主義の集団、そして各地の(元)独立ブントの連合党、悪く言えば「寄せ集め」でした。
だから、多様な思想的背景を持つ者たちの共闘組織である全共闘と重なり合ったのです。

が、赤軍派が分派(分裂)すると、ブントは一気に弱体化、その後は四分五裂、と言うより「八分十裂」。
そして勢力を伸ばしたのが中核派と革労協。
革マル派は最初からカルトだったので、全共闘運動の衰退やブントの解体に関係なく一定の勢力を維持していました。
ブントが力をなくし、中核派と革労協が新左翼運動の主導権を握る、一方でカルト革マルの暴力的テロが強まっていく、
―そういう状況の中で、闘争ではなく、党派の勢力争いに重点が移っていく、
こうして全共闘運動そのものが存在基盤をなくしていくのです。
そして、連赤事件が全共闘にトドメを刺しました。

当時、なぜ新左翼が影響力を拡大し、全共闘運動が空前の盛り上がりを見せたのか?
それは、ある意味、必然でした。
まずヴェトナム戦争。
強者が弱者を徹底的に攻撃する。
近代兵器を駆使する強者、貧弱な武器で、民衆の海の中で対抗する弱者、
若者が、弱者に心理的に加担するのは当然でした。
そして、社会や大学に依然として残る古い因習、今とは比較にならない差別や格差。
世界の先進国(フランス、米国、ドイツ、イタリアなど)で起きた学生による反乱も大きく影響しました。
何より、まだ共産主義思想が輝きを放っていた。
今のようなネット社会と違って情報が乏しかったのです。
スターリンの大粛清も、文革の暴虐も十分に認知されていませんでした。
だから若者たちは反体制運動に希望を見出したのです。

が、連赤事件と、それに続く党派間の血で血を洗う抗争(内ゲバ)をきっかけに、多くの左翼学生が共産主義思想に疑問を持つようになり、運動から離脱しました。
また、日本は、高度成長が続き、世の中が年々豊かになっていく、格差が縮小していく、一方で中国の貧しさ、北朝鮮の貧しさが明らかになっていく、
―新左翼に共鳴した若者が離反していく環境が急速に拡大していくわけです。

連赤事件や内ゲバが、共産主義思想の本質的問題であると気づいた学生は少なかったと思います。
が、ほとんどの活動家が「何かがおかしい」と感じたはずです。
こんな思想、こんな運動、付き合ってられないと……

新左翼や全共闘運動が衰退したのは、赤旗を掲げ、インターナショナルを歌ったことが原因です。
革命を空想し、前衛党を空想し、まだ見ぬ理想社会を空想し、現実的には破壊すること以外の具体性は何も持ち合わせていない、
抽象的思考、それも極めて一面的な思考に支配され、具体的な人間、具体的な社会を認識できない、
―これが連赤事件や血塗られた内ゲバを生み出した根本的原因です。
共産主義思想は科学に裏付けられた真理である、歴史には法則がある、その行き先は共産主義社会である、
―こんな思想を信じたから悲劇が繰り返されたのです。
それは、クメール・ルージュによるカンボジア大虐殺に如実に示されています。

ところで、後世にまったく影響力を残せなかった全共闘運動と新左翼ですが、別の意味で影響力を残しました。
暴力と殺し合いには付いていけなかったが、それでも当時の思想を真摯に総括せず、己を正当化した連中。
そういうヤツらが法曹界や教育界、そしてメディアにけっこう就職しました。
だから、信じられないような裁判官や弁護士、反日教師、反日ジャーナリストが跋扈しているのです。

が、彼らも、もう60~65歳と老年期を迎えています。
影響力は格段に減退しています。
まず、若い教師に「反日」はほとんどいません。
また、みなさんは「マスゴミ」とか「アカヒ新聞」と軽蔑しますが、ここ1~2年のメディアの報道姿勢は、私がブログを始めた頃とは随分違ってきています。
それが顕著に表れているのが対中国の報道内容です。
まだまだ偏向していますが、変化の兆しは感じ取れます。
何といっても、全共闘世代のしんがりも来年の3月で定年退職ですから。

もちろん、根津公子教諭の支援者を見れば分かりますが、「反日」勢力はまだまだ根強く生き残っています。
これからも批判し、糾弾の声をあげ続けるのは当然です。


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【追記】
主な新左翼党派の一覧。

共産党除名組
共産同(ブント)戦旗派・叛旗派・情況派・赤軍派etc.
共産同マル戦派
構造改革派(フロント)

トロツキスト亜流
革共同革マル派
革共同中核派

社会党除名組
社青同解放派≒革労協

毛沢東派
共産同ML派
共産党革命左派神奈川県委(京浜安保共闘)

トロツキスト
第四インターナショナル日本支部(四トロ)

連合赤軍(連赤)は、赤軍派の一部(森恒夫ほか)と京浜安保共闘(永田洋子ほか)が合体したものです。

なお、カルト革マル派は全共闘から排除されていました。

【追記2】
このエントリは2011/02/08の再掲です。

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2016/07/09

自立した個人による自立した日本を目指そう!


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ところで、皆さんは「知識人」というと、どんな印象を持つでしょうか?
テレビニュースなどで左に偏向したコメントを発する人たち、とにかく現状を批判したがる人たち、そういうイメージが強いと思います。
まあ、軸を左に置いた知識人が多いのは事実ですから、これらの印象を抱くことは、あながち間違いではありません。
ただ、最近は軸足を右に置いた知識人も増えていますね、まだ少数派ですが。
これからは、右の知識人が、その数を徐々に増していくような気がします。

ところで、私は左の知識人はもちろん、右の知識人も信用しません。
理由?
彼らは実社会における苦闘、苦悶の経験に欠けるか、あるいは薄いからです。
要するに、思考が観念の領域から一歩も出ていない。
論理を精神世界で組み立てているだけで、混沌とした人間存在と人間社会の実際を実体験として有していない。
つまり彼らの思想は、私に言わせれば空論なのです。
だから反米左翼が多いし、最近は反米保守も増えてきたのです。

知識人とは、単に知識が豊かな人ではなく、知識と思考力を兼ね備えた人、と私は捉えています。
基本は知識ですが、そこから「人間存在」とか「生きる意味」を考える、そういう人を私は「知識人」と認識しているわけです。
で、「人間存在」とか「生きる意味」を深く考えると、社会の不条理や人間存在の不合理が見えてきます。
だから知識人は「既成」や「既存」に対して懐疑的になり、現状を批判するようになる。
知識人に反米左翼や反米保守が多いのは、そのせいだと思います。

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近代において最高?の知識人と言えばカール・マルクスでしょう。
19世紀から20世紀にかけて、彼の思想や哲学、あるいは経済学は世界中の人々にもっとも大きな影響を与えました。
そのismが世界規模で社会を変えた、そういう人物はマルクスくらいしか知りません。
では、なぜマルクスのismが多くの人々を魅了し突き動かしたのか?

マルクスは人間を社会的生き物であると考えます。
つまり、人間の本質は社会的諸関係のアンサンブル(総和)であると言うわけです。
そして、どの社会も生産力と生産関係の矛盾がその社会自身の否定を生み出し、その否定がより高次な新しい社会形態を創造すると主張します。
マルクスによれば、人間の意識はその社会的存在(諸関係)によって規定されていますから、社会形態が変わればその意識も変わるのです。

要するに、資本主義がその発展によって深刻な自己矛盾を孕むようになり、資本主義自身がその自己矛盾に耐え切れなくなってより高次な新しい社会=共産主義を生み出す、
資本主義から共産主義に社会形態が変われば、人間の意識も「搾取と抑圧と差別」から「自由と平等と共生」に変わる、
これがマルクスの思想であり哲学であり経済学なのです、大雑把に言えば。
奴隷(奴隷制社会)~農奴(封建制社会)~労働者(資本主義社会)と、その社会的存在が移り変わってきた被支配者階級は、共産主義社会になって初めて「人間になれる」わけです。

私に言わせれば、このマルクスのismこそ、論理を精神世界で組み立てているだけで、混沌とした人間存在や人間社会の実際を実体験として有していない典型です。
唯物史観と唯物弁証法で人間存在や歴史や人種・民族を解釈する、そしてそれを「科学」と称する。
まったくもってふざけている、と思います。

考えてみれば、マルクスはユダヤ人で、いわゆる被抑圧民族ですが、キリスト教(プロテスタント)の洗礼を受けており、父親は弁護士です。
また名門高校から名門大学へ進学・卒業しており、典型的な中産階級です。
つまり、マルクス自身は当時の労働者が置かれた悲惨な状況を実体験していないのです。
そして、アジアやアラブやアフリカは彼の頭の中にはありません。
要はキリスト教が社会的規範で、啓蒙思想が普及し、資本主義が発展したヨーロッパと北米がマルクスにとっての世界だったわけです。

中産階級出身のインテリ、酒好きで女にだらしない、典型的な「先進国の知識人」です、マルクスは。
こういう人物のismをヨーロッパの後進国だったロシアやアジアの中国などに持ち込めば、悲惨な結果を招いたのも必然だった、と言ってよいでしょう。

Karl_marx

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人間を突き動かすのは本能、私はそう思っています。
欲望と嫉妬、これが人間の生命活動の原点です。
いい生活をしたい、他人に負けたくない、だから人間は努力するし進歩するのです。
ただ、人間は獣ではありませんから、理性もあれば倫理観も有しています。
だから本能に基づく生命活動(欲望と嫉妬)を自己規制するのです。
この本能と理性の葛藤、これが人間にとって「生きる」ということです。

人間には、同じ人間とは思えない連中もけっこういます。
これは、マルクスが言うような「社会的存在」のせいではありません。
貧困や差別が暴力や犯罪を生む、というのは事実ですが、それらと関係なく生まれながらに暴力や犯罪性向を持った人間がいるのも事実です。
人間というのは、マルクスの言うとおり「社会的生き物」ですから他者に対する想像力を有しています。
他人の痛みや悲しみを理解できる、他者の存在を尊重できる、人間は基本的にそういう資質を有しています。
が、そういう人間性が生まれつき欠落している人間もいるのです。

いわゆる「鬼畜」とでも言うべき人間です。
人を殺すことを何とも思わない、残虐な仕打ちを行うことを厭わない、むしろそれに快感を覚える、そういう人間は数は少ないとはいえ確実にいます。
それが育った環境とか政治的、あるいは宗教的背景とか言うのであればまだ理解できますが、もう存在そのものが暴力、あるいは犯罪という人たち、これらは理解の外です。
こういう人間は、どこまで行っても理性とか倫理とは無縁なのです。

私は、時代が変わっても、こういう人間がいなくなるとは思えません。
だから「法と刑罰」という強制的規範が必要なのです。
国家も同じです。
理性とか倫理とは無縁の人たちが多数を占める国家に道徳を求めても、それは絵に描いた餅です。
つまり「食えない!」。

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私は、左の知識人も右の知識人も人間を肯定的に捉えすぎ、と思います。
競争と格差がなくなれば人間は堕落します、間違いありません。
マルクスが言う「労働は生きがい」というのが当てはまらない人がたくさんいます。
勤労精神が欠如している人たちです。
マルクスは、本来「生きがいであるはずの労働」が資本主義社会では「生きるための手段」に貶められている言います。
が、生まれながらに勤労意欲が欠如している人たちは強制収容所か矯正所にでも入れろ!と言うのでしょうか?

とにかく国家が人間の社会活動や社会生活に過度に介入することを許してはなりません。
欲望の解放と競争によって現代社会は成長・発展してきたのです。
欲望を抑制し競争を制限する、そして国家が社会に介入する、これが最悪です。
国家による抑制と介入は最小限に止める、後は自立した個人の自主性に任せる、これでなければ人間社会は成長しません。
旧ソ連を始めとする社会主義国家(者国家)の失敗がそれを証明しています。

私が右の人たち、保守と称する人たちに強い違和感を覚えるのはこの点です。
平等志向、国家の役割の肥大化、これらは左翼とまったく同じで、違うのはナショナルかインターナショナルかの違いだけ。
これでは国家は成長しません、衰退するだけ。
右の人たちの主張は、国家社会主義(北一輝と同じ)でありアナクロニズム(時代錯誤)です。

私は、左右の反米主義に反対です。
夢想で政治はできません。
極東国際軍事裁判裁判による洗脳を解除するのと、現実世界において反米を主張するのは、まったく別です。
今もっとも現実的なのは日米同盟の強化です。
日米中の関係を正三角形にするなどと言うのは、まさに中共を利するだけ。
東アジア共同体も夢想×無限大です。
日本の核武装?
語る価値はありますが、それを可能と思うのはプロパガンダかパラノイアのいずれかです。

-------------------------------------------------------------------

自立した個人によって構成される自立した日本を目指そう!

私たちは強い日本人!強い日本国でありたい!!

【追記】
誤解があるようなので追加します。
日本の核武装は現実的ではありませんが、核兵器をいつでも用意できる体制は作っておくべきです。
そういう意味でも原発の是非はともかく、原子力からの撤退には反対です。
ただ、核武装うんぬんの前に国家としての交戦権を明文化する、集団的自衛権を認める、こちらの方が先決です。

核兵器は「張子の虎」、これに拘るより局地戦の能力を高めるべき、と思います。


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このエントリは2011/07/26の再掲です。

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2016/07/05

多少は不平等でもより豊かな社会を目指せ!


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私が、このブログを立ち上げたのは2005年3月12日。
そのころ生まれた子供が、この春、小学校1年生です。
早かったような、長かったような、その時々で私の中の6年間が変わります。

相変わらずの激変、浮き沈みの激しい私の人生を凝縮したような6年間でした。
そういう意味では早かった。
しかし仕事の負担、身体の不調、それが続いた時は長く感じましたね。
今は、仕事の負担も少なく、体調もかなり回復、その代わり収入は落ち込みましたけど、精神的にはずいぶん楽になりました。

ブログは時間的、そして精神的に余裕がないと書けませんからね。
その点、今はゆとりがあります、金銭的を除いては。

-------------------------------------------------------------------

「依存症の独り言」を書き始めた時に53歳だった私は、もう59歳になりました。
このごろは歳を感じることがしばしばあります。
「永遠の不良少年」とうそぶいていたころがウソのようです。
品行方正、極めてリーガル(legal)な毎日を送っております。
もう昔のような直情径行はありえませんね、残念ながら。

若いということは可能性が大きいということ。
なんでもできる、なんにでもなれる、という自信と希望に満ちています。
体力もあるし、記憶力もいいし、知識を吸収するのも早い。
もう年寄りは勝てません。
が、年を取ることで手に入るものも多いのです。

その最たるものが知識と経験です。
この間に蓄積された知識と情報の量は、若い時とは比較になりません。
しかも若い時の「机上の学問」と違い、人生という経験に裏打ちされた知識と情報ですから判断力が違います。
なにより人間を見る目が肥えました。
世の中を判断する際の裏付けが格段に増えました。
記憶力と体力は、昔と比べれば見る影もありませんが、人間としての成熟度は天地の差があります。

ふり返れば、充分に未熟でしたね10代後半から20代にかけては。
いっぱしの大人ぶって人間を語り、社会を語り、世界を語っていましたけれど、今になって思えば、まるで子供でした。

-------------------------------------------------------------------

私が10代後半から20代前半にかけて信じていたマルクス主義。
これは共産主義とも言います。
が、実はこれはマルクスの思想ではなかった。
どういうことかと言えば、マルクスが解析し体系化した理論は、「主義=ism」に変質した時点で、マルクスとは無縁のものになったのです。
それはイデオロギーとなり、教条主義に転化し、最後は偏狭なドグマ(dogma)に陥ったのです。

マルクス主義は間違っていない、と言う人が未だにいます。
マルクスは先進国での革命を想定していたが、それが不幸にも後進国のロシアで起こり、しかもレーニンを引き継いだスターリンが、それを完全に変質させてしまった―
彼らの言い分はこれです。
が、それは違います。
マルクスの理論が「主義=ism」になった、つまり信仰の対象になった時点でスターリンの登場は必然だったのです。
スターリンの神格化、共産党の無謬神話、意見の異なる者に“反革命分子”というレッテルを貼り粛清する、これらはマルクスの理論ではなく、「主義=ism」がもたらした結果なのです。

反スターリン主義を掲げる中核派や革マル派を見ればそれがよく解ります。
実際、彼らは無謬性を誇り、意見の異なる者に“反革命分子”というレッテルを貼って抹殺しています。
要するに、中核や革マルにおいては、マルクス主義≒スターリン主義がスターリン主義≒反スターリン主義に転化したに過ぎません。

-------------------------------------------------------------------

Marx2

私が陰謀論者やそれを擁護する左右のカルトを批判するのは、私の若い時の経験に基づいています。
陰謀論者が流すデマゴギーは、偏狭なドグマ(dogma)と化しています。
そして、それは、一部とはいえ社会的経験に乏しく視野が狭い人たち、あるいは事物を相対的に観察することが苦手な人たちの心を捉えています。
彼らは狡猾ですから、“陰謀”という感性に訴えやすい言葉を用いて、そういう人たちを洗脳するのです。
理性ではなく感性に訴える、ここに陰謀論者の悪質さがあります。

中身は低劣なプロパガンダですが、一応もっともらしく構成されています。
が、そこには客観的な検証は存在せず、主観と恣意的な論理で埋め尽くされています。
にもかかわらず、洗脳された人たちはそこから抜け出せない。
もう、ある種の信仰の域に達しているからです。
だから私は、陰謀論者やそれを擁護する左右のカルトを徹底的に批判するのです。

私は、幸いマルクス主義による洗脳を克服できました。
それは、社会に出て様々な困難を経験したからです。
が、一方において、説得力のある共産主義批判が役に立ったことも事実です。
特に、立花隆氏の「中核VS革マル(上)(下)」(講談社)は目から鱗でした。
だから私は、これからも陰謀論者やそれを擁護する左右のカルトを批判し続けます。

-------------------------------------------------------------------

ところで私は、マルクスの理論がすべて間違っているとは思いません。
資本主義を分析し理解する上で、これ以上のものはありません。
資本とは何か?労働とは何か?を理解する上でマルクスの理論は欠かせないのです。
また、人間存在を考える上でもマルクスの認識論は非常に参考になります。

ただ、私は、マルクスの考えは根底の部分で間違っていると思います。
マルクスが理想としたのは、自立した市民が生産手段を共有して自覚的に生産活動(労働)をする、という社会でした。
ここにおいては、市民、つまり人間は高い理性を有しており、しかもそれは「共通の理性」でなければなりません。
が、すべての人間が「高い理性」を有するなんて考えられない、というよりありえない、
自覚的に生産活動(労働)をするとは思えない、
と私は考えるのです。

近代社会は、人間の欲望を肯定する市民社会の成熟とともに発展してきました。
そしてそれは、必然的に富の蓄積をもたらし、不平等な資本主義社会を生み出しました。
一方において、欲望を抑制し、生産手段を公有化することによって平等な社会の実現を目指したソ連型社会主義は崩壊しました。
つまり、今の不平等で歪(いびつ)な資本主義が、物質的な繁栄を享受する上でもっとも最適なシステムであるということを歴史が事実として私たちに突きつけたのです。

【注】
ここで言う「理性」とは、自己の内にある矛盾(葛藤)を止揚して、より高い次元へ至る「具体的な思考能力」を意味します。

-------------------------------------------------------------------

私たちは今、
多少は貧しくてもより平等な社会を目指すのか、
多少は不平等でもより豊かな社会を目指すのか、
の選択を迫られています。
前者は個人や企業の自由をある程度抑制し、国の関与を大きくする政治であり社会です。
後者は個人や企業の自由をできるだけ拡大し、国の関与を小さくする政治であり社会です。

私は、教育と医療と福祉は国が積極的に関与するべきだが、経済活動一般はできるだけ制約を少なくするべきであるという立場です。
付け加えると、結果の平等には反対ですが、機会の平等は保障されなければならないと考えています。
その観点からすれば、機会が保障されない非正規社員の割合は、できるだけ少なくするべきです。

皆が平等で、皆が豊かな社会、それは理想ですが、現実にはありえません。
それがあるのは、社民党や共産党のスローガンの中だけです。

参照:共産主義はなぜ破綻したのか?(1) (2006/07/13 依存症の独り言)


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このエントリは2011/03/27の再掲です。

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