個人

2008/06/08

徒然なるままに

みなさん、ご無沙汰いたしております。
相変わらずの忙しさですが、元気ですよ。
ただ、今までのように、目の前の政治や経済、あるいは社会的出来事などを分析し、自らの見解を主張するだけの余裕が精神的にも時間的にもありません。

これからは、スタイルを変えて、気になったことや思いついたことなどを徒然に書き綴っていきたいと思います。
まあ、いわゆる“ブログ本来の姿”に帰る、ということですね。
極めて個人的な感想や意見、あるいは感傷が多くなると思いますので、読者の皆様も肩の力を抜いて読んでください。

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私は四捨五入すると、もう60歳、あと何年か経つと還暦です。
光陰矢のごとし、と言いますが、ほんとうに時間が経つのは早いですね。
その時その時は必死だからものすごく長く感じますが、時間が経過して、あらためて振り返るとすごく短く感じます。

この50数年の人生、色んなことがあり、まさに波乱万丈でした。山あり谷あり、思い起こせば、楽しいことより苦しいことの方が多かったですね。
でも、「苦しい」経験は人間を成長させます。私はずいぶんと変わりました。性格とか気質は変わっていないのですが、価値観、特に人や社会を見る目、それから歴史認識や世界観が様変わりしました。
これも苦労したおかげでしょう。

社会に出て最初の仕事は、何かと批判の多い役人様(公務員)でしたが、そのまま年を経ていたら、今でも現体制に批判的なスタンスを取り続けていたと思います。
挫折して、それでも前向きに生きていこうとする中で、心身ともにもがき苦しむ中で、人や社会の本質が分かるのです。
そういう意味では、これまでの人生に悔いはありません。何とかこれまで生きてこれた。何があっても前向きに生きていくだけの度胸、そして、何事も相対的に捉えることができる眼力もついた。

私は、己の人生に誇りを持っていますし、これまでの経験に感謝しております。

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ところで、これまでの経験の中でもっとも辛かったこと、それは失恋ですね。会社が倒産した、これも大変な苦労でしたが、体力と意欲とそれなりの能力があれば何とか立ち直ることができます。が、心に負った深い痛手はなかなか癒すことができません。

人間は、何事も「忘れる」ことができる。が、「忘れる」ことができないこともあります。
「忘却とは忘れ去る事なり」
これはNHKの歴史的ラジオドラマ「君の名は」の冒頭のナレーションですが、このあとに
「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
と続きます。

このドラマ、その後に連綿と続くメロドラマの原型のようなものですが、ドラマといい歌といい、こういう設定のものが多いということは、そういう経験をした人、あるいは、そういう状況にあこがれる人が多いということの証明でしょう。

田口淑子さんが作詞して、吉田拓郎が歌ったヒット曲「春だったね」は、まさに当時の私の心情そのものでした。

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく

くもりガラスの窓をたたいて
君の時計を止めてみたい
ああ 僕の時計はあの時のまま
風に吹き上げられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
ああ あれは春だったね

僕が思い出になる頃
君を思い出に出来ない
そんな僕の手紙が着く

風に揺れるタンポポそえて
君の涙を拭いてあげたい
ああ 僕の涙はあの時のまま
広い河原の土手の上を
振り返りながら走った
ああ あれは春だったね

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でも、不思議なんですよね。
失恋した彼女よりず~っと美人の女性にめぐり合っても、より知的でセンスの良い女性にめぐり合っても私の心は少しも動かない。
そこにはセックスしか存在しない。
それで自分を癒そうとしたのだけれど、精神的にはますます荒んでしまいました。

私が失恋の痛手から立ち直ったのは、今のカミさんと知り合ってからです。そして子供が生まれて人生が楽しくなりました。
が、それでも、日々生きることに懸命の中で、記憶の彼方に霞んでいる30数年前の出来事が、ふとしたことで甦る。

思うに、私が失恋したのは「私のあこがれ」に対してだと思います。
彼女も私も高1のころからお互いを強く意識していた。で、卒業前にヒョンなことからそれが分かり付き合うようなったのです。
○○高校のマドンナだった彼女は私にとって高嶺の花、高校生なのに過激な政治的言動を繰り返し、学校の問題児だった私は彼女から見れば縁の遠い存在。
大学に進学した私は当たり前のように学生運動に身を投じ、一方の彼女はまったくのノンポリ。
恋愛までも理屈で語ろうとする私に段々と違和感を覚えるようになっていたようです。
で、彼女が発した言葉が「私と革命のどっちが大事なの?」
私の答えは「比較できる問題じゃない」「君は『恋に恋している』んであって、勘違いしてるんじゃないのか?」
二人を結び付けてくれた共通の友人によると、彼女は一晩中泣いたそうです。
で、出した答えが「やっぱり恋に恋していた」「もう卒業する」

当時の私は、女性の、というより人の心が分からない人間だったんですね。学生運動に参加しない学生はバカだと軽蔑していたし、自分を「カッコイイ」と思っていた。「女にもてる」と自惚れてもいた。
まったく、勘違いしているのは私だったのです。
そんな鼻持ちならない「自尊心」が、「絶対にふられることはない」と思い込んでいた彼女によって木っ端微塵に粉砕された。
だから立ち直れないほど落ち込んでしまった。

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彼女は普通の女性でした。
普通の社会で普通に生きていれば「革命」なんて何のことか解らなかったでしょう。
社会は年々豊かになり、個人の生活も急ピッチで充足されていく。テレビ、洗濯機、冷蔵庫の、いわゆる「3種の神器」はほとんどの家庭に普及し、カー、クーラー、カラーテレビの「新3種の神器」がある家庭も珍しくなくなりつつあった。
こんな状況下で「革命」???
私と彼女の心の隔絶感は半端じゃなかったと思います。
というか、私が「革命」という妄想に酔いしれていただけ。

この妄想が冷めた時期と彼女との関係が冷めた時期が重なってしまった。
ある意味、これは必然なんですが、当時の私にとっては受け入れがたい現実でした。

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「青春」は青い春。
そんなに「くさい言葉」だとは思いません。
自分は、いっぱしの「大人」になったつもりでいますが、十分に幼い。
つまり青い、そして希望に満ちた「春」でもある。
今の私は秋ですかね。
でも、まだまだ青いです。

だから、ふとしたことで「苦い青春」が甦るのだと思います。
が、これが過去の軌跡をたどれば、今の私の原点ですから忘れることはないと思います。

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でも、なつかしいなあ、あのころ、あの場所、あの時代。

まっ、今はもう、人生の仕上げの時ですから。
ここでコケるわけにはいきません。
過去をたまに振り返り、語るのもよいけれど、これからは「品格」にこだわって生きていきたいですね。

みなさん、よろしく。

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2008/03/09

依存症の独り言―早3年

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

私がブログを書き始めてから早3年が経とうとしています。で、延べのアクセス数が13,129,942、1日平均12,067(9日10時30分現在)。
まあ、ユニーク数(実際の来訪者数)はその70%というところですが、それでも延べで900万人以上の方がこの3年間で当ブログにいらっしゃったことになります。

この間、いろいろありましたね。
まず、執筆開始半年後に人気ブログランキングの「政治」カテで第1位になり、約1年ほどその位置をキープしました。このとき、アクセス数はピークで1日2万を超えました。
ほんとうに「我ながらビックリ」でしたが、同時に執筆意欲が増し、エントリの内容に対する責任感も強くなりましたね。で、2005年4月から2006年11月まで、ほぼ毎日エントリをアップし続けました。

今は、更新回数が減少したのと、前ほど多様なテーマを取りあげなくなったこと、さらに一つ一つのエントリの底が浅くなったことなども影響してか、人気ランキングでは3位あたりをうろついています。
ただ、そのブログの持つ影響力が分かると言われる「Web Scouter」では、3794ポイント、第561位(9日現在)につけております。これは、「政治」カテに登録されているブログの中ではダントツの1位(第2位は「せと弘幸さんのBlog」)です。

この「Web Scouter」、アクセス数やブックマーク数などを基準にしているようですが、アクセス数が平均1日12,000、そのうち6割以上がブックマークからですので、このブログがたくさんの方にブックマークされていることが分かります。感謝!

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ところで、熱心な読者の方から、人気ランキングに復帰してから「ランキングを意識して記事を書いているのでは?」というご指摘を何件かいただきました。
が、それはありません。
もう一度「第1位」に返り咲こうなどという大それた考えは持っておりません(笑)。それに、「第1位」をめざすには、毎日1回の更新が最低限必要ですが、そんなこと今の私にはできません。
ただ、エントリの内容については私自身にも不満があります。質的に1年ほど前のものより落ちていますね。まず、掘り下げ方が浅い。
これは、第一に時間がないこと、それから、意欲を掻き立てられるテーマがあまり浮かんで来ないことも影響しています。

考えてみれば、中国(中共)・韓国・朝鮮総連・創価学会・解放同盟・従軍慰安婦・A級戦犯・南京大虐殺・沖縄・原爆・東京大空襲・郵政民営化・憲法改正・人権擁護法案・外国人参政権・左翼・共産主義・ネオコン・政治・経済・財政・・・これらに関して959本ものエントリを書いてきました。
これだけの数を書いてしまうと、正直に言って、書きたいと思うテーマが見つからないことの方が多いのです。だから、今後とも、書きたいと思ったことを書ける範囲で書いていこうと思っています。

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この間いろいろあったことの中で、「ノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録」を飛鳥新社から出版できたことも特筆すべきことでしょう。この本、Amazonで最高300位台までいきました。
これも、このブログと、そしてたくさんの読者の方の支持・応援がなければ実現しなかったことです。

で、面白いことに、国内のメディアではこの本は取り上げられませんでしたが、韓国内では東亜日報や朝鮮日報が取りあげました。
東亜日報の記事のコメント欄に、「坂眞という人物はネット右翼として有名」という韓国人の書き込みがありましたから、韓国でもこのブログを読んでいる人間がいるということですね。

ただ、私の愛した盧武鉉くんが引退してしまったので、韓国に関するエントリが激減しています。ほんとうに惜しいネタをなくした(笑)と痛感しています。

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小泉純一郎氏による「郵政選挙」も印象深い出来事でした。ブログでは「郵政民営化反対」の方が多かったように感じましたが、「民営化反対ブログ」は支持率が低かったですね。

私は断固として「民営化賛成」の旗を立てました。で、賛成派の方たちが私のブログに結集した感さえありました。
いや、熱かったですよ私も、私のブログも、ブログの読者も。

で、その小泉氏も退陣して、これまた重要なネタの一つがなくなった。

安倍晋三氏の突然の退陣にもビックリでしたね。私は、この内閣の誕生により、本気で憲法改正が実現できると思っていたのですが、やはり「改憲」に対する逆風もすごかった。
野党だけならともかく、自民党内の一部、そしてメディアまでもが一体となって「反安倍」の大合唱、そして、それは麻生太郎氏の追い落としにまでつながります。
が、その麻生氏、逆に自民党内にしっかりと足場を築き上げた。

「雨降って地固まる」、これでよかったのかもしれません。政界再編のためには。

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人気ランキング1位でなくなったことで大きく変わったこと。それは悪質なカキコやアラシがなくなったことです。
このブログがコメントやTBを許可制にせざるをえなくなった最大の理由は、「板眞」というふざけたHNによる敵意むき出しの執拗なアラシ攻撃です。
私が許可制にした後は、他のブログで私に対する「ほめ殺し」を繰り広げていましたが、この「板眞」、私は中国人か、でなければ性格異常者だと思いましたね。

インターネットは仮想現実の世界ですから、何にでもなれます。自分がなりたいものに成りすましても、誰もその正体を確認できません。だから、欲求不満というか妬みというか、己のどす黒い欲求を、人気ランキング1位のブログを攻撃することで満たそうとしたのかもしれません。

でも、これは人間としてサイテーの行為ですね。
匿名性を武器に、本名も性別もどこに住んでいるのかも分からないことをいいことに他人を攻撃する、時には相手の人格まで。
こういうヤツは社会のクズです。相手に対して想像力が働かない。自己本位でしかものを考えられない。で、実社会では欲求不満を募らせながらも、ウジウジとして自己を主張できない。

ネットの世界には、こういう人間がけっこういますね。が、私のブログにコメントをくださる方にはこういうのは滅多にいません。月に2~3本―ソッコーで削除しますが(笑)

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私のブログ、コメントをくださる常連の方がずいぶんと入れ替わりました。変わっていないのは「猪」さんくらいでしょうか。
きっと読者も、そうとう入れ替わっているのでしょう。3年という月日の中で、読者の方々の生活環境もかなり変化したでしょうし。
でも、コメントはしなくなったけれどもブログは読んでいる―そういう方もたくさんおられると思います。

私は、他のブログに比べてここの読者はレベルが高いと思います(年齢も高い?)。皆さん、ご自分の意見をしっかり持った方が多いし、参考になることも多々あります。
それから、自民党や民主党の国会議員、霞ヶ関の官僚や地方議員の中にも、このブログを読んでいる方がおられるようです。

ところで、私がブログを始めたころ、同じくスタートした方けっこう多かったです。が、今やその大半が休止や廃止になっています。
やはりブログを書き続けるのはむつかしい、ということでしょう。中には興味深いものもあっただけに残念です。

この3年間で、私もいろいろとあって、生活環境も変わりましたが、これからも、書きたいテーマを書ける範囲で書いていこうと思っています。
根本は「この国が好きだ」「この国とその歴史に誇りを持っている」ということ、そして「自助自律・相互扶助」の精神を忘れずに生きていきたい。
今後ともよろしくお願いします。

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【追記】
3月12日が3周年ですが、その日にエントリを書けるかどうか分からないので、本日、3周年記念エントリをアップしました。

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2008/01/21

己を偽ってコメントするのはやめよう!

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

昨日の「草の根の抵抗と凶暴な中共」というエントリ、書き上げるまで4時間を要しました。いやあ、ほんと、大変なんです、更新を続けることは。

でも、「久しぶりに、(失礼)読み応えありました!」というコメントをいただくと嬉しいですね、正直。

やはり、エントリを書く上で、裏を取る、というかソースを確認するのがけっこう難儀なんですよ、だから時間がかかる。それに私は、語彙まで検索しますし。

で、読者の方が書いていらっしゃった。

しかし、中国では、この中産階級が「既得権益層」となり、共産党崩壊をストップさせています。
これは、中国政府の巧みな政策によるところが小さくないと思います。
そしてそれは今のところ成功しており、「民主化」までには、長い時間がかかりそうです。

これ、鋭い指摘ですね。

さらに、

日本のような通常の資本主義経済の常識で考えているうちは、私もこれに気がつきませんでした。
無秩序な資金供給による不良債権と不良資産の拡大。利権と汚職にまみれた土地開発をめぐる地方政府・党幹部と一般市民・農民の紛争の拡大。この二つがずっと続いてきたわけですね。そして、それが今や完全に限界点に達したということですね。

まさに、私が書き漏らしたことをズバリとついている。
このブログの読者は、やはりレベルが高い。

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一方で、感情を書きなぐるようなカキコがある。
エントリを読んだ上でのカキコなら構わないのですが、内容が意味不明。
政治ランキングのトップだった頃からすれば、こういうの、ずいぶん減りましたけど、たまにあるんですね。

で、私は躊躇なく削除します。

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去年の5月に以下の投稿がありました。

18の頃、精神疾患を発病して、以来、妄想気味になり、芸術の創作活動、音楽、小説などを書いたり、作詞、作曲する傍ら、事実違いのでっち上げをネットでコメントしたり、加害者気取りや被害者気取りの主張をしたこともあります。

こういう方って、けっこう多いんじゃないでしょうか?
現実の自分を昇華させるために正反対の自分をネットで表現する。
気持、解ります。

私も、どん底の頃、誰に怒りをぶっつけていいのか分からず、ネットで今の自分とは違う己を表現していたこともありますし。
でも、やっぱ、やめましょう!
己を偽ってコメント、投稿するのは。

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見苦しい、というのか、悲しいというのか、
やっぱり生身の声が聞きたいですね、コメント欄では。

コメントを削除するのは心苦しい、
が、そんなコメントを書いてほしくない、
そう思います。

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2008/01/02

北大ブント・Kさんの死

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

当時の北海道はブント(共産同)と革マル派が強かった。
その北海道の、というか北大のブントを支えていたKさんが昨年亡くなられていたのを知った。どうやら職もなく体調もすぐれなかったようで、最後は生活保護を受けていたようだ。
私よりず~っと上の方で、ブント分裂後は敵対関係にあったので、顔を知っているくらいの関係でしかなかったが、なんとなくわびしい気分に襲われてしまった。

政治家、ジャーナリスト、弁護士、医師、公務員、教員―活動家のその後は様々だが、かなりの者たちがKさんほどではないにしても、その後は相当厳しい人生を歩んでいるようだ。
まあ、当時、私の組織の幹部で、最近まで某有名国立大学の教授を務めていた者のような例もあるが、それは特別。「自ら蒔いた種」とはいえ、やはり正業にありつけず苦労している者の方が圧倒的に多い。
そういう人って、不器用というか世渡りがヘタというか、自らの歩み、自らの歴史をいつまでも引きずってしまうんだね。
でも私は、国会議員になったり、テレビに出てしたり顔でしゃべっているジャーナリストというか評論家というか、そんな連中より市井で苦労している元活動家たちの方が人間的に正直で信頼できると思う。

少なくとも逮捕覚悟、時には死に直面する可能性さえあった中で、大学をやめ、青春のすべてを賭けた闘争の只中にいたわけだから―真面目な人間ならそう簡単に割り切れない。
当時の活動家って、意外に思うかもしれないがストイックなタイプが多かった。その点、国会議員になったりテレビに出ばってしゃべっている連中って上昇志向の強い、当時は全共闘が時代の寵児だったからヘルメットをかぶっていただけ、そんな気がする。

私の友人で、1969年のASPAC粉砕闘争で逮捕され、実刑3年を喰らったN君、その後の彼の消息は私にも伝わってこない。甘えん坊だったから苦労しているんだろうな。
今でも気にかかって消えることがない。

私は全共闘世代のしんがり、ほとんどの人が60歳前後だと思う。
おだやかな晩年を送って欲しい、Kさんの死を知って改めて思う次第です。

坂 眞

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2008/01/01

今年も蒼氓の側に立って

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

みなさん、あけましておめでとうございます。
2005年の3月にスタートした「依存症の独り言」、あと2ヶ月でまる3年になるんですね。なんか、もう感慨深いものがあります。
なにしろ、最初の1ヶ月は1日のアクセスが300~500でしたから、半年後に1万を超えたときは私自身がビックリ。
昨年末の11月~12月も、ほとんど更新できなかったのに4000~5000のアクセスが毎日あり、本当に感謝いたしております。

ピーク時はアクセスが2万を超え、おかげさまで一昨年の12月には単行本まで出版できた。
それからすると作年は苦しかったですね。
精神的にも時間的にも余裕がない。
ほんとうは、もう1冊くらい本を出したかったのですが、構想を練るだけのゆとりがありませんでした。

今年も、このままだとしんどい状況が続きそうです。なにしろ週1回休むのが精いっぱいで、朝から晩までプッレッシャーが続く仕事をやっていますから、心身ともに疲れます――
弱音じゃなくて実感です。
でも、これが当たり前、普通の人ですよね。心身ともにゆとりのある人の方が珍しい、と50年以上生きてきて思います。

メシを食うのにいっぱいいっぱい、これが一般ピープルの一般的な姿。
なのに、ネットカフェ難民がどうのとか、格差うんぬんとか、自らは高給を食みながらTV画面の中でえらそうにほざいている“自称”知識人、たとえば筑紫哲也なんかを見ると吐き気がしますね。
必死に生きる気があれば“ネットカフェ難民”なんかになりません、というか、ほんとうにそういう“難民”が社会問題化するほどいるの???
ホームレスがいるのは解るけど、そういう連中が“社会的集団”として存在する、というのが解らないんだよな・・・

働く気とそれに耐えうる体力があれば、そんなことありえない、単なる“甘え”じゃないのか???

よく「庶民」とか「大衆」とか言いますけど、私は「蒼氓」という言葉が好きです。「草莽」とも言いますが。
蒼氓は毎日を必死で生きています。誰にも迷惑をかけたくない。自分のメシは自分で稼ぎたい。愛する家族を守りたい。世の中とうまく調和して生きていきたい―
私はこれが普通の日本人だと思うんだけど。
違いますか???

蒼氓―この心を解する政治家は今の世にはありえないんですかね、たとえば田中正造のような・・・
彼の葬儀に参列した数万人は皆、蒼氓ですよ。
イデオロギーじゃない、権力闘争でもない、真に蒼氓の立場に立った政治家を熱望します。

私がそういう政治家になれ?
それは無理です。
全面的に支援はできますが・・・
やはり過去の傷が痛い(笑)
きっと文春あたりにつぶされます。
だから私は、今年も蒼氓の側に立って過激(笑)なメッセージを発信し続けようと思います。

【追記】
Yahoo!がリニューアルされましたね。調べてみると、私のブログは継続して登録されていました。
トップ> メディアとニュース> ジャーナリズム> ジャーナリストで検索できます。
実はこれ、私の秘かな誇りなんですよ。
櫻井よしこさんの「櫻井よしこ - yoshiko-sakurai.jp」と同列で登録されている、正直うれしいです。

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2007/12/29

人生は格闘技ですよ

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

男は優しくなければ生きている資格がない、
が、たくましくなければ生きていけないからね、
つらいよ・・・ホント

これは、このブログのプロフィールページに書いてある文句ですが、もとはレイモンド・チャンドラーの小説の主人公・フィリップ・マーロウの台詞なんですね。
でも、ほんと、たくましくなければ生きていけないね、
人生は格闘技ですよ。

若いときは人生が怖くないんですね。
まだ己に無限の可能性があると信じることができる。
大学を退学していた関係で卒業まで7年もかかり、就職先がまったくなかったときも何の心配もしなかった。
自信があったんですね自分に。
で、3ヶ月ほど猛勉強をして、ある政令指定都市の上級職になれた。

その後、多額の借金を抱えて倒産したときも、滅入ることは多かったけれど、「負けてたまるか」という気概の方が上回っていました。
32歳、結婚したばかり、上の娘が生まれたときは無職でした。おかげで娘のオムツを替えるのは私の仕事。
でも楽しかったですね。
このときは、ある人に拾われて、2年後にはニューヨークに短期の研修に行かせてもらえるほど可愛がられました。
住民票もないのに(でも、パスポートは取れましたけど~笑)
この会社、その後、上場するんだけれども、バブルの誘惑に負けて退社。
今でも「不義理をした」と負い目を感じています。

バブルが崩壊して、2回目の失業を経験したのが46歳のとき。
このときはしんどかった。
“失われた10年”の真っ只中、長銀や拓銀、山一證券や三洋証券などが連続して破綻した時期で、永代通りは“倒産通り”と呼ばれていました。
もう就職口なんてないんだね。
で、やむなく訪問販売の世界へ。
「訪問販売」と言っても東証一部上場企業でしたから悪質ではなかったんだけれども、3ヶ月で靴がダメになる営業はこたえましたよ正直。
でも、ここから訪販のノウハウを学んでまた自立できた。

やっぱり「めげないこと」ですよ。
自分を信じて不退転の決意で人生と格闘する、
ここから未来が拓けてきます。

この数ヶ月、またもや試練に直面しています。
が、やっと展望が見えてきました。
おそらく、年が明ければ心身ともに余裕が出てくる、そう思っています。

来年は、また、皆さんとブログを通じて交流ができると思います。
今後とも、よろしくお願いします。

では、よいお年をお迎えください。

坂 眞

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2007/09/18

人生は音楽とともに

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

私が16歳(高校2年)のころショックを受けた歌は、ローリング・ストーンズのPaint It Black(邦題「黒く塗れ」)だった。
それまで、ビートルズのファンだった私にとって、この歌は衝撃だった。
が、さらに強い衝撃を受けたのは「Let's spend the night together」である。この歌は「夜をぶっ飛ばせ」という邦題だったが、原語の歌詞は、「Let's spend the night together Now I need you more than ever・・・」
つまり「もっともっと欲しいんだ、今お前が!夜を一緒に過ごそうぜ!」というものだった。

まあ、歌詞は私の古い記憶なので間違っているかもしれないが、甘い愛やロマンを語るばかりの当時の日本のグループサウンズ(GS)からすれば、あからさまに“SEX”を歌う英国のロックバンドには、激しいカルチャアショックを感じた。

このあと、私はローリング・ストーンズからエリック・クラプトンを経てブルース、特にB.B.キングに到達するのだが、やはり、人生において音楽の占める比重は高いと思う。
そこには、セックスとかドラッグの問題が絡むのだが、私は音楽(芸術)と日常生活とは別物だと思っている。

もちろん、好きな芸術は、本人の人生観を反映するのは間違いないが。

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では、ここで、ローリングストーンズやエリッククラプトン、あるいはブルース(特にB.B.キング)以外の私のメモリアルミュージックを紹介しておこう。

私が17歳のころ好きだった歌(1969年)

私達の望むものは

岡林信康 作詞/作曲


私達の望むものは生きる苦しみではなく
私達の望むものは生きる喜びなのだ

私達の望むものは社会のための私ではなく
私達の望むものは私達のための社会なのだ

私達の望むものは与えられるではなく
私達の望むものは奪い取ることなのだ

私達の望むものはあなたを殺すことではなく
私達の望むものはあなたと生きることなのだ

今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ

私達の望むものはくりかえすことではなく
私達の望むものはたえず変わってゆくことなのだ

私達の望むものは決して私達ではなく
私達の望むものは私でありつづけることなのだ

今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ

私達の望むものは生きる喜びではなく
私達の望むものは生きる苦しみなのだ

私達の望むものはあなたと生きることではなく
私達の望むものはあなたを殺すことなのだ

今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ

私達の望むものは
私達の望むものは・・・・・・

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私が20歳のころ、心の中で歌っていた歌(1972年)

春だったね

作詞:田口淑子 作曲:吉田拓郎

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく

くもりガラスの窓をたたいて
君の時計を止めてみたい
ああ 僕の時計はあの時のまま
風に吹き上げられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
ああ あれは春だったね

僕が思い出になる頃に
君を思い出にできない
そんな僕の手紙がつく

風に揺れるタンポポそえて
君の涙を拭いてあげたい
ああ 僕の涙はあの時のまま
広い河原の土手の上を
振り返りながら走った
ああ あれは春だったね

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく

くもりガラスの窓をたたいて
君の時計を止めてみたい
ああ 僕の時計はあの時のまま
風に吹き上げられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
ああ あれは春だったんだね

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で、40代以降、歌っている歌。

いとしのエリー(桑田の歌は日本のブルース)

私はピアノ

浪花恋しぐれ(これ、俺の人生そのままやし)

悲しい色やね(キー坊は良く知っているからね)

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やっぱり、俺は左翼なんかなあ???

【追記】
冒頭と右サイドバーのバナー(画像?)は「国境なき記者団」のものです。
できるだけ多くのブロガーがページに貼り付けることを希望します。

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2007/07/15

「いちご白書をもう一度」と「The Circle Game」

今朝のラジオで、ユ~ミンの「いちご白書をもう一度」が流れていた。
この歌がはやったのは1975年(昭和50年)。
私は大学に復学したばかりだった。

この歌、最初に聴いたときは複雑な気分だった。
なぜ?
「俺たちの闘いはそんな甘いもんじゃなかった」という反発と、なんとなく理解できる当時の一般学生たちの心のありよう。
そんな相反する感情が交錯していた。
そして、なにより、当時の私はどん底まで落ち込んでいた。


「いちご白書」が最初に上映されたのは1970年(昭和45年)。
ベトナム反戦運動に揺れる米国の大学で、ノンポリの男子学生が、活動家の女子学生に惹かれて学生運動に参加し、やがて反体制運動に目覚めるという内容の映画だった。
この運動は、最後は警官隊の暴力によって鎮圧される、そういう点では日本の全共闘運動との共通性もあった。
が、当時、すでに権力、具体的には警察との暴力的対峙が恒常化していた私のような活動家にとっては、なんとも甘ったるい映画だった。
しかし、一方で、この映画が持つ「陽性の世界」に対する憧れも本音の部分ではあった。
私たちの運動は、70年安保のまさにその年、すでに展望を見失い、実態は暗い消耗戦の世界に突入していた。
だから「反体制映画」というより「青春ドラマ」の「いちご白書」の世界に心のどこかが共鳴したのだと思う。

実際、ユ~ミンの歌にあるような、若い男女の出会いと別れもけっこうあったと思う。
「いちご白書」の世界に素直に感動した恋人たちもいたのだろう。
きっと、ユ~ミンの周りにもそんな風景があったのだと思う。


いつか君と行った映画がまた来る       
授業を抜け出して二人で出かけた      
哀しい場面では涙ぐんでた  
素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに
過ぎ去った昔が  鮮やかによみがえる
君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリィー  どこかでもう一度

僕は無精ヒゲと髪をのばして
学生集会へも時々出かけた
就職が決って髪を切ってきた時
もう若くないさと  君に言い訳したね
君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリィー  どこかでもう一度
二人だけのメモリィー  どこかでもう一度


私は「もう若くないさ」なんてキザなセリフは吐かなかったが、肩まであった髪を切った。昔の仲間たちになんとなく後ろめたさを感じながら復学した。
そんなときに聴いたのが、この「いちご白書をもう一度」。


私にも辛い思い出はある。

「私と革命のどっちが大事なの?」
「革命なんて起きると思ってるの?」
訊かれた私は
「恋愛と革命を比較することなんてできない」と・・・

彼女は一晩泣き明かしたそうだ。
で、きっぱりと別れる気になったと・・・
私はというと、心の整理がつかないまま長い時間が経過していく。

この歌を聴くと、最初のときの「複雑な気分」が今でもよみがえる。
にがくて重苦しい日々とともに


「いちご白書をもう一度」より忘れられないのが、「いちご白書」の挿入歌・「サークル・ゲーム(The Circle Game)」だ。
この歌、ほんとうに好きだった。
今でも何かの拍子に口ずさんでいる。

ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)の曲で、バフィ・セントマリー(Buffy Sainte-marie)が歌っている。
バフィは自身が原住民(インディアン)の血を引くカナダ人で、ベトナム反戦運動やアメリカ原住民解放運動に熱心なフォークシンガーだった。
まあ1960年代のアメリカを象徴する若者の一人だろう。


Yesterday a child came out to wonder
Caught a dragonfly inside a jar
Fearful when the sky was full of thunder
And tearful at the falling of a star

つい昨日のこと 子供がひとり現れて 不思議だなぁと思い
手を入れて ビンの中のトンボをつかみ
こわごわ 稲妻でいっぱいの空をのぞき
そして涙を 星が流れるのを見て 流しました


Then the child moved ten times round the seasons
Skated over ten clear frozen streams
Words like "when you're older" must appease him
And promises of someday make his dreams

それからその子供は10回 四季を重ね
スケート遊びを 10(とお)のきれいに凍った川でして
「大きくなったらね」という言葉に なだめすかされ
いつの日かきっと という約束に夢をつなぎます


And the seasons, they go round and round
And the painted ponies go up and down
We're captive on the carousel of time
We can't return, we can only look
Behind from where we came
And go round and round and round
In the circle game

そして季節は 巡り 回り
ペンキで塗られた子馬が 上下します
私たちは 時間の回転木馬から出られません
戻ることはできずに ただ後ろを振り返るだけ
やって来たところから 私たちは見るだけ
そして 巡り 回り 回転します
サークル・ゲームの中で


Sixteen springs and sixteen summers gone now
Cartwheels lost to car wheels through the town
And they tell him, "Take your time, it won't be long now
Till you drag your feet to slow the circles down"

16回の春と16回の夏が去り
町で荷馬車の車輪は クルマの車輪に負けて 
少年に言います「あわてなさんな もうじきお前さんだって
足をひきずるようになるさ 時の流れを緩めるためにな」


So the boy who dreamed tomorrow now is 20.
Though his dreams have lost some grandeur coming true
There'll be new dreams, maybe better dreams and plenty
Before the last revolving year is through

そして明日を夢見た少年は 今20歳
夢は いくぶん輝きをうしなったけれど
新しい夢が生まれるはず 今よりいい夢がたくさん
最後の 目まぐるしく回る一年が終わる前に


And the seasons, they go round and round
And the painted ponies go up and down
We're captive on the carousel of time
We can't return, we can only look
Behind from where we came
And go round and round and round
In the circle game

そして季節は 巡り 回り
ペンキで塗られた子馬が 上下します
私たちは 時間の回転木馬から出られません
戻ることはできずに ただ後ろを振り返るだけ
やって来たところから 私たちは見るだけ
そして 巡り 回り 回転します
サークル・ゲームの中で


And go round and round and round
In the circle game

そして 巡り 回り 回転します
サークル・ゲームの中で

And go round and round and round
In the circle game

そして 巡り 回り 回転します
サークル・ゲームの中で

And go round and round and round
In the circle game ...

そして 巡り 回り 回転します
サークル・ゲームの中で ...


訳: HideS


当時の若者の、10代が過ぎることへの嘆き、大人になることへの不安を歌ったものだが、メロディ、リズム、歌詞ともに未だにお気に入り。
体制に「No!」と突きつける若者を描いた映画の挿入歌。
でも、この歌が好き、今は「右翼」と呼ばれることもある私だが。

音楽の好みまでは変えられないか?

参照:The Circle Game (Buffy Sainte-marie/Joni Mitchell)

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2007/07/07

拙著:今度は朝鮮日報が写真付きで紹介

今年の1月末に、韓国三大紙の一つ東亜日報に私の著作が紹介されたことは既に書いた。ところが最近、今度は最大の発行部数を誇る朝鮮日報が著作を写真付きで紹介してくれたのだ。

私は、東亜日報で記事になった時、次のようにコメントした。

それにしても、韓国の三大紙の一つが拙著を取り上げたことにまず驚かされる。それから、韓国人から見れば、自国をバカにしているとも受け取れる書籍について、淡々と客観的に紹介していることも意外な感じがした。
が、それだけ盧武鉉くんが韓国人、とりわけ韓国メディアから見ても“どうしようもない大統領”であるとみなされているということだろう。

今回の朝鮮日報の記事を読んでも、この私のコメントはズバリである。
以下の記事を読んでほしい。

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(原文)
[독자 편지] 노 대통령 일본어 발언록

日 저자도 못마땅하지만 놀림당한 대통령에도 화나

김현정·자영업·서울 종로구
입력 : 2007.06.27 21:59 / 수정 : 2007.06.27 22:01

54468_2 사업차 일본에 갔다가 신주쿠에 있는 대형 서점에 들렀다. 수많은 책 중 노무현 대통령의 얼굴 그림이 그려진 책 한 권이 눈에 들어왔다. 몸은 태극기가 그려진 엘비스 프레슬리와 같은 복장을 하고 있고 가슴에는 북한 인공기를 그려놓아, 노 대통령의 모습을 우스꽝스럽게 표현한 책이다. ‘노무현 대통령의 광란 발언록’이라는 제목을 보고 놀란 마음에 읽어보니 한 일본인이 그동안 국·내외에서 했던 노 대통령의 발언들을 모아 “한 나라의 대통령이 이런 말도 한다”라는 식으로 비꼬는 내용이었다.

사실 책 내용이야 지난 4년 동안 매일 신문이나 뉴스에서 들어 더 이상 놀랄 것도 없었지만, 일본에서는 이런 발언들이 낯설고 의외였던 모양이다. 한 나라의 대통령을 이렇게까지 희화화하고 있는 일본인 저자도 너무 한다는 생각이 들면서도 한편으로는 대통령이 평소에 국가원수로서의 품위를 지키지 못해 결국 다른 나라에서까지 놀림을 당하고 있다고 생각하니 더 화가 났다. 창피한 마음에 도망치듯 서점을 나왔다.

[독자 편지] 노 대통령 일본어 발언록 (2007年6月27日 chosun.com)

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(翻訳)
[読者の手紙] 盧大統領日本語発言録

日 著者も不満だが冷やかしされた大統領にも腹立って

金ヒョンジョン・自営業・ソウル鍾路区

ビジネスのため日本へ行ってから新宿にある大型書店に立ち寄った。幾多の本の中で盧武鉉大統領の顔絵が描かれた本一冊が目に入って来た。身は太極旗が描かれた
エルビス・プレスリーのような服を着ている。胸には北朝鮮国旗を描いておいて、盧大統領の姿をこっけいに表現した本だ。
‘ノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録’というタイトルを見て驚いた心で読んで見たら、ある日本人がその間、国内外でした盧大統領の発言を集めて “一国の大統領がこんな言葉もする”というふうに皮肉る内容だった。

本の内容は事実だ。去る 4年の間、毎日、新聞やニュースから入ってきて、これ以上驚くこともなかったが、日本ではこんな発言が不慣れで意外だったみたいだ。一国の大統領をこんなにまで戯画化している日本の著者も酷いという気がしながらも、一方では大統領が普段国家元首としての品位を守ることができなくて結局他の国でまで冷やかしにあっていると思ったらもっと頭に来た。恥ずかしい心に逃げるように書店を出た。

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日本の著者(私)もひどいが、盧武鉉くんには「もっと頭に来た」「恥ずかしい」と、この韓国人は思ったわけだ。
まあ、割と冷静な判断ではないか。

この手紙に対する読者のコメントには、以下のようなものもある。

この本を書いた坂真(ばんまこと)という人は従軍慰安婦も認めないで独島も日本の領土だと力強く言い張る日本の極右報道人です。この人のホームページ http://banmakoto.air-nifty.comに入って行って見れば話にならない文でいっぱいになります。ノ大統領がいくら憎いとしてもこれはないようです。

これもまた、典型的な韓国人の姿。
このギムズンスンという投稿者から見れば、私(坂眞)は「日本の極右報道人」(爆笑)
これで、韓国でも私のブログを読んでいる人たちが存在するということがはっきりした。

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『韓国が世界に誇る ノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録』 は、ほとんどの書店で「売り切れ」か「在庫僅少(1冊)」になっています。amazonは今朝の時点で在庫2冊になっていましたが、今はどうなんでしょう?

発売後、半年以上経っても売れ続けるというのはうれしいですね。
ところで、bk1に最近(6月14日付)、読者の方のレビューが載っていましたのでご紹介します。

ノムヒョン大統領は、極めて特異な韓国大統領である。これは、韓国ウォッチャー・韓国ファンにとって既に常識となっている。

就任以来、反米・反日・親北発言を連発し、米国の怒りは頂点、韓米同盟は風前の灯火であり、日本政府もすでに見限っているのだろう。

本書は、ノムヒョン狂乱発言を一冊に纏めたものである。一部の全国紙などでも報道され、韓国ファン(アンチ韓国ファンも含む)には既知のものだが、記録に残しておくにはいい。

それぞれの狂乱発言には、著者が詳しく解説を加えている。解説文に書かれた著者の世界観や歴史認識は極めて真っ当なものである。皮肉もたっぷり効かせており、楽しく読める。

本書にはないが、就任したばかりのライス国務長官との初会談で、日本の歴史認識問題を本題そっちのけで延々と教授し、米国側を呆れさせたという報道も思い出される。

発言内容の狂乱ぶりもさることながら、この政権は新聞法という、反ノムヒョン派の大手紙を狙い撃ちにする言論機関弾圧法や、戦前・戦中の親日派の子孫から財産を没収する事後法を成立させるなど、狂気の政策を実行中の狂乱政権である!

ところで、アジア太平洋地域において、韓国と日本は似通った立場・地位にある。どちらも米国との同盟に安全保障を依存し、近隣に軍事力で恫喝する国家も存在している。

そのようなシビアな国際環境で、無能な元首を戴くことが、いかに国を危うくするかという視点でも考えてみたい。

笑い飛ばすこともいいが、本書を反面教師にもしておきたいものである。

こんな韓国大統領が実在した!と記録に留めておくのもいい (としりん)

なかなか良いレビューだと思う。
皆さんも「笑い飛ばすこともいいが、本書を反面教師にもしておきたい」と思ってください。
つまり、安倍内閣に不満があるからといって民主党を選んだら、「日本のノ・ムヒョン」が必ず登場する。

要注意!

関連エントリー:東亜日報で紹介された“ノ・ムヒョンくんの狂乱発言録”

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2007/06/23

「右」のブントでありたい

私が、かつて「極左」に属していたことは、既に何度も書いた。ただ、「極左」と言うのは日本共産党(日共)が名づけたもの(極左暴力団)で、われわれは「新左翼」とか「革命的左翼」と称していた。
その「新左翼」の中で、私は「ブント(Bund)」という組織の一員だった。「ブント」というのはドイツ語で「同盟」を意味し、「パルタイ(Partei)」である日共とは明確に違う「共産主義者の組織」であることを示していた。
「パルタイ」はドイツ語で「党」を意味し、英語の「Party」に相当する。
つまり、日共から排除された学生党員たちは、マルクスとエンゲルスが史上最初に作った共産主義者の組織・共産主義者「同盟」を名乗ることによって自らの正当性をアッピールしたのである。

私は、今でも「ブント」の一員であったことに「秘かなる誇り」を抱いている。当時の日本を席巻した全共闘運動は「ブント」の存在なくしてはありえなかった。

全共闘のモットーは「別個に立って共に闘う」だった。つまり、多少の主義主張や立場の違いはあっても目標が一緒であれば手を携えて闘う―これが全共闘だった。
これは「排除の論理」に支配された日共主導の左翼運動に対する強烈なアンチテーゼ(Antithese)だった。
当時の左翼は、大衆運動とか統一戦線とか言いながら、その実際は他組織を侵食する、あるいは大衆を囲い込む便法にすぎなかった。
全共闘は、そのような既成左翼や日共の欺瞞的手法に「No!」を突きつけたのである。

同じ新左翼であっても、革共同両派(革マル派と中核派)の本質は日共と同じだった。少数の前衛(職業的革命家)が無知蒙昧な一般大衆を指導する―これが彼らの考え方である。そこにあるのは自らの絶対的な無謬性、つまり自分以外はすべてが間違っているという思想―独善である。
これが100人近い死者(廃人は数知れず)を出した革マル派と中核派の内ゲバを生み出した。
この「前衛神話」=「党の無謬性」という点においては、革共同両派と日共はまったく同じである。だから、少しの意見の違いで相手を抹殺しようとする。

その点、「ブント」は違った。「ブント」は「同盟」を名乗りながら、主義主張は十人十色。一人一人言うことが違い、「一人一党」と揶揄されていたが、私はそれが「ブント」の良さだと思っていた。
要は、「ブント」自体が統一戦線、「別個に立って共にに闘う」組織だったのである。だから全共闘運動の中で「ブント」はもっとも大きな存在感を発揮した。
東大闘争、中大闘争、明大闘争、京大闘争などはブント主導だった。もちろん日大闘争など、全共闘(ノンセクト)主導のものも多い。が、革共同両派(革マル派と中核派)に主導された学園闘争なんてない。

今の私は、共産主義そのものが間違っていると思っている。だから、振り返れば、当時の「ブント」の主張そのものが「マンガ」だったと自覚している。
ただ、今の私はどちらかと言えば「右」にいるが、「右」の勢力の中にも左翼の裏返しみたいな連中が多い。自らの無謬性を声高に主張し、異なる意見を暴力的に(言論を装いながら)攻撃する。
私は、こんな連中に同調することもないし、ましてや屈服することもない。

「右」であれ「左」であれ、人間存在は自由でなければならない。それは肉体的にはもちろん精神的にも。
それを束縛する勢力―宗教、あるいは政党にもそういう連中が跋扈している。
私は、そういう勢力と命を賭して闘う。

※「ブント」から日本赤軍や連合赤軍の「一部」が生じたことに深い反省の念を抱いています。

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2007/05/19

つれづれなるままの自分史

若いころの私は、自らを「革命的左翼」と位置付けていた。
もちろん今は違う。
では、今の私の立場はどこにあるのか?

私は自分を「右翼」とは思っていない。
「右翼」という定義はわが国では定かではないが、私は排外的なイメージを持っている。
排外主義とは「外国人」を攻撃し、排斥する主張だ。

私は王貞治監督を心から尊敬しているし、(元)在日韓国人の友人もいる。
中国人であるから、あるいは韓国・朝鮮人であるからというだけで敵視し、差別するのは“悪”だと思っている。
在日韓国・朝鮮人の存在は「おかしい」と思っているが、だからといって「出て行け」とは思わない。
子々孫々にわたって日本に住み続けるのならば、日本国籍を取得するべきであるというのが私の考えだ。

-------------------------------------------------------------------

日本の教育を受け、日本人と同じ暮らしをし、日本人のコミュニティに存在しながら、
いまだに韓国・朝鮮籍であり続けることが私には理解できない。
もちろん、朝鮮総連の同調者で、日本を敵視する在日は別だ。彼らは非難されて当然であり、さっさと祖国に帰るべきなのである。
が、日本が好きだと言い、今の韓国・朝鮮や韓国・朝鮮人に「違和感を感じる」としながら、韓国・朝鮮籍を維持し続けるのは不自然きわまりない。

在日3世で、第1回声優アワード主演女優賞を受賞した朴璐美(ぱく ろみ)さんなんかはその典型だと思う。
彼女は讀賣新聞の取材に、「韓国留学を経て『祖国と母国は違う』と痛感した」と答えている。つまり「母国は日本」という思いが強烈に湧いてきたわけだ。
彼女は表彰式に着物姿で登場した。讀賣新聞は「若手女優がアイドルを思わせる衣装で並ぶ中、フジ色の振り袖姿は目を引く」と書いていた。
それでも「朴璐美」を名乗り、韓国籍に固執する。
このあたりは、われわれ日本人には理解できないところかもしれないが、普通に考えれば日本に帰化するのが当然だと思う。
ちなみに、私の友人は日本女性と結婚したのを機に帰化した。

-------------------------------------------------------------------

話を元に戻そう。

私は日本の歴史に誇りを持っており、日本人であることに感謝している。
この国を愛しているし、この国の人たちが好きだ。
だから私は民族主義者に分類されるのかもしれない。
まあ、特に自分の立場を分類する必要はないのかもしれないが、もともとが「左翼」を自認していただけに、今の自分はどこに位置しているのだろう?と思うわけだ。

私は、いわゆる「伝統的保守」ではない。ご存知の方も多いと思うが、私は構造改革の支持者であり、「新自由主義」に共鳴する部分が多い。
要は、「国家による過剰な福祉や公共サービスの縮小、大幅な規制緩和と市場原理の重視」という立場である。この考えが、日本人や日本社会の特質、あるいは伝統的な文化・価値観とうまく融合されればよいと思っている。
つまり「日本的な市場主義」「人間の顔をした市場主義」とでも呼べばよいのだろうか。
とにかく「結果の平等」だけは“悪”だと思っている。能力のある者が正当に評価される―これがなければ社会は衰退し、結果的に「貧者の平等」に堕してしまう。
もちろん、真の社会的弱者に暖かい手を差し伸べるのは当然だと思う。また、最近の非正規雇用者に対する差別的待遇には怒りを感じている。これは、競争の前提である「機会の平等」に反しているからだ。

-------------------------------------------------------------------

私が「左翼」になった原点は「朝鮮人差別」にあったと思っている。
生まれ育った地域には在日が多く住み、被差別部落がたくさんあった。が、部落差別は子供の間ではなかったし、親たちも差別を公然化することはなかった。だから、「橋のない川」を映画で観たときもピンとこなかった。
が、朝鮮人差別は大人たちの間でも、子供たちの間でも露骨だった。教師の中にも差別意識を隠さない者がいたほどだ。
私は、在日の子供と仲がよかったせいもあって、この差別には激しい怒りを覚えた。理由は「理不尽」の一言である。
もちろん当時は子供だから、在日の存在の背後にある歴史的・社会的問題などに思いが及ぶことはなかった。とにかく「差別は許せない」―これだけだった。

中学生になると、年長の従兄弟から『女工哀史』(細井和喜蔵)を読むように薦められた。この本を読んだ時はショックだった。「資本家は悪だ」「労働者は悲惨だ」、単純にそう思った。
もちろん当時の時代背景などわかるはずもない。ただただ女工たちが憐れだった。
このころ、もう一つ大きな疑問が私の中で育ちつつあった。
それは文部省を批判してストライキを繰り返す教師たちが、子供たちに対しては「受験勉強」を強要することだった。口では「平等」を唱えながら、実際には「受験勉強」という競争を煽る。この教師たちの偽善的な行動は、私に大人社会への不信感を強烈に植え付けた。
高校が、いわゆる「進学校」だっただけになおさらだった。

高校に入った私は、「生きる意味」を考えるようになった。「何のために生きているのだろう?」と思い悩んだ。椎名麟三の本や華厳滝で自殺した藤村操に関する本をむさぼり読んだ。
もう受験勉強がバカバカしくなった。教師たちがアホらしく見えてきた。
そんなとき起こったのが1967年の『10・8羽田闘争』だった。このとき、京大生の山崎博昭さんが死亡した。
当時、高校1年生だった私は「どうして学生たちはゲバ棒を振るうんだろう?」「なぜ命を落とすような激しい闘いをするんだろう?」と猛烈に好奇心をかき立てられた。
受験勉強の勝者―京大生―ゲバルト―死、これらが脈絡的につながらず、「なぜ」を
どうしても解明したくなった。
そして、めぐり合ったのがレーニンの『国家と革命』である。

第一章 階級社会と国家
  一 階級対立の非和解性の産物としての国家
  二 武装した人間の特殊な部隊、監獄その他
  三 被抑圧階級を搾取する道具としての国家
  四 国家の「死滅」と暴力革命

以上が『国家と革命』の冒頭の項目だが、これを読んだだけで私は「目から鱗が落ちた」。
これまで悩んできたことがいっぺんにクリアーになった。
「これだ、これ」
もう左翼にならなければ生きている価値がない。

ここから「革命的左翼」としての私の軌跡が始まる。

-------------------------------------------------------------------

私が共産主義に見切りをつけたのは、1972年に発覚した「連合赤軍による大量リンチ殺人」がキッカケだったことは過去のエントリーで書いた。
が、それ以前から疑問が芽生えつつあった。
それは、私の友人がリンチで瀕死の重傷を負ったからである。そのリンチを実行した側にも、かつての友人がいた。
ほんのわずかの相違だけで、めざすところは同じなのに相手を肉体的に抹殺しようとする。しかも、かつては仲間だったのに。
「何かが間違っているんじゃないか?」と思い始めていたところに「連合赤軍による大量リンチ殺人」が起きた。
もう私は「この思想は完全に間違っている」と思うようになった。

それでも簡単に変われないのが人間。
学生運動に見切りをつけた私は部落解放運動に関わるようになる。
偏狭なイデオロギーに囚われることなく、真に抑圧されている人たち、真に差別されている人たちのために活動したい―そう思ったのだ。
私は2年間、被差別部落の中学生に高校進学のための勉強を教えた。部落に通いながら。
が、ここでもウンザリするような出来事に遭遇する。
それは、解放同盟幹部による公私混同と物理的恩恵にこだわる多くの部落大衆の姿だった。
要は、運動の理念なんて関係ない。より多くのモノとカネが手に入ればよい。すべてとは言わないが、それが部落解放運動の一面だったことは間違いない。

それでも私は左翼を卒業できなかった。
いったん大学を退学していた私は、もう運動に絶望して復学を願い出た。で、結果的に大学卒業まで7年間を要した。もちろん就職なんてない。
仕方なく公務員試験を受けて、ある政令指定都市の職員になった。
が、ここでも労組の活動に励むことになる。

-------------------------------------------------------------------

結局、私が左翼から解放されたのは事業を起こして倒産したことによる。その後の数々の修羅場。これが私の人間を見る目を変えた。社会の捉え方を変えた。
人間は理論では説明できない。人間社会は理論では解明できない。
人間の原点は欲望ではないか。その欲望と理性との葛藤が「生きる」ということではないか。
欲望に囚われた人間は人間であることを忘れる。理性に縛られた人間は人間存在を理解できない。
人間というのは複雑で、奥深くて、きれいなところとドロドロとしたところが併存している。理屈では割り切れない。
そんな人間が寄り集まって作る社会はもっと複雑だ。
そんな当たり前のことに気付いた時は、すでに30代も半ばを過ぎていた。

その後、めぐり合った人たちの好意もあって私は人生を立て直すことができた。
人間、どん底に落ちても一生懸命に頑張るという気持をなくさなければ何とかなるものだ。誠実に生きていれば、よき先輩、よき仲間にめぐり合える。
義務を果たさず、権利のみを主張する人は救われない。自らを自覚できず、妬(ねた)みと嫉(そね)みで我が身を焦がす愚かな人は成長しない。
努力するという意思。感謝するという気持。これがなければ人間は進歩しない。
これがあれば、能力のある人が努力して成果を手に入れても妬んだりしない。たとえ敗者になっても弱者に落ちることはない。必ず復活できる。
私はそのことを、どん底の生活の中から学んだ。

-------------------------------------------------------------------

実は、私は左翼だったころと本質は変わっていないと思う。今でも、強者に弱く弱者に強い人間が大嫌いだ。権力を持った者の理不尽は許せない。
予期せぬ出来事の結果、弱者に甘んじざるをえない状況に陥った人には救いの手を差し伸べるべきだと思う。予断と偏見による差別は受け入れられない。

が、被害者を気取って筋の通らない要求をする者、妬みと嫉みから努力し成功した人を攻撃する者を許さない
―こういう気持が強くなったのは、明らかに過去の私とは違う。

私が中共を許せないのは、弱者を食い物にして反省するところがなく、傲慢で強権的で冷血だからだ。韓国を批判するのは、被害者を気取って筋の通らない要求をし、妬みと嫉みによって相手を攻撃するからだ。
「9条擁護」などという「幸せな人間」を批判するのは、理念だけでは人も国家も生きていけないと痛感したからだ。「自分の身は自分で守る」という気概があってこそ、よき仲間が現れ、ともに戦ってくれる。
中国人であるから、あるいは韓国・朝鮮人であるからというだけで敵視し、差別するのは“悪”だと思うのは、予断と偏見に縛られてはならないと痛感するからだ。

北朝鮮と朝鮮総連、それに同調する在日朝鮮人は“犯罪者”だと思っているので、批判とか許せないとかいうレベルの問題ではない、念のため。

-------------------------------------------------------------------

呪縛から解き放たれたことによって事実を認識できたことも、私の立脚点を大きく変えた。
「勝手に日本にやってきて、悪いことばかりをする」と言う叔母の言葉に、「彼らは強制連行されてきたんだ!悪いのは日本人だ!」と食ってかかった私は、もう「遠い過去の私」だ。
“従軍”慰安婦も南京“虐殺”も、昔の私なら簡単に信じたことだろう。それからすれば、ここ10年間に学んだことは多い。もともと「歴史」が大好きだったから、より熱心に学ぶことができたんだと思う。

そう言えば、私が左翼の現役だったころ、“従軍”慰安婦も南京“虐殺”も何の問題にもならなかった。当時の左翼が知らなかったのか???
でも、強制連行や三光作戦(殺し尽す、焼き尽す、奪い尽す)はすでに批判の対象になっていたから、「慰安婦」や「南京」はプロパガンダになるほどの価値がなかったということだろう。

-------------------------------------------------------------------

歴史を学び直したことで、私は日本と日本人に誇りを持つようになった。明治維新とその後、短期間で欧米列強に伍するまでになったのは、まさに“奇跡”だろう。ヘタをすれば列強の植民地になってもおかしくなかった。
それだけ先人たちは賢明で偉大だったということだ。
戦後の高度成長も、よく“奇跡”と欧米から言われるが、明治の“奇跡”がなければ戦後もなかった。
そして明治維新が可能になったのは「天皇の存在」である。

今の私は結局、「より日本人らしい日本人」になれたということだ。
「日の丸」が掲揚されれば心が高揚するし、「君が代」が流れれば厳かな気持になる。
日本人であることに誇りを感じているし、こんなに安全で平和で豊かな国の礎を築いてくれた先人たちに感謝している。
価値観は時間とともに変わっていくものだが、象徴天皇制だけは未来永劫にわたって変わることはないと確信している。日本人は永遠に天皇のもとにある。それが歴史であり、文化なのだ。

わが国は、これからも「自由と民主主義」という価値観に立脚し続けるだろう。が、それは日本の歴史を継続した「自由と民主主義」だ。
けっして欧米のような「ミーイズム」「自己中心」の国家になってはならないし、なることはないと思う。

いつまでも謙虚な日本人でありたい。
そして、権利と義務は表裏であることを、いま一度確認したい。

参照:第1回「声優アワード」の主演女優賞を受けた 朴ロ美さん (讀賣新聞)

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2007/05/09

人気ブログランキングから脱退します

今日で「人気ブログランキング」を削除しようと思います。
まあ、このランキングには大変お世話になりました。
深く感謝しております。

最初は1日300くらいのアクセスしかなかった当ブログが、2,000になり5,000になり、
最高では20,000を超えたのも、このランキングに登録したおかげだと思います。
今でも1日あたりランキングから2,000以上のアクセスがありますし、トータルではアクセス数は13,000~16,000になります。
が、もう囚われたくない、そう思います。

ブログを開設して半年後に「政治ランキング」で1位になったときは正直うれしかったですね。
なんか、自分の主張が世の中に認められたような感覚になったことは確かです。
さらに、その数ヵ月後に、総合ランキングの20位以内の常連になった。
で、執筆意欲がますます湧いてきました。
単行本を出版できたのもそのおかげでしょう。

が、やはり無理がありますね。
このランキングを維持するのは。
常にセンセーショナルなエントリーが要求される。
でないと90,000とか100,000のポイントを獲得できないわけです。

まあ、私は、それでも事実を検証して、それを批判に転じるというスタイルを貫いてきましたが、もう疲れました。
ランキングを維持するために記事を書くというのは本末転倒です。

私のブログが認められるようになったキッカケが、「娘通信♪」という、2年前の超人気
ブログが取り上げてくれたことです。
彼女が「中国はいつ崩壊するのか?」という私のエントリーを激賞(???)してくれた。
このブログは、あっさり閉鎖しましたが、人気ブログランキングに登録していなかった。
ブログというのはそういうものなのかもしれません。
人気を競うものじゃない。

私が、昨年末から更新頻度が落ちたのも、このあたりの悩みがあったからです。
読者に迎合するのも限度がある・・・

そういう意味では、「娘通信♪」のmisakiさんはあっぱれでした。

今日は美しい日本、美しい日本人について書くつもりでしたが、依存症は酒が回って
書けそうもありません。
まあ、今日はよしとしましょう。

これからは、徒然に書きたいことを書く。

依存症の本音を書いていきたいと思います。

それにしてもわが愛するトラ、藤川で逆転負け、9連敗???10連敗???
もういいです、悪酔いしそう(笑)

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