個人

2019/06/01

いわゆる「自然体」ですね。ランキングなど意識せず。


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休止前は、1日の獲得アクセス数=10,000以上を目標にエントリをアップしていましたが、
半年が経過して、短文でも自らの思いを自然に吐露する形でも良いのではないか?
と思うようになりました。

いわゆる「自然体」ですね。
ランキングなど意識せず。
やっとそういう心境に近づいてきました。
ブログを始めて14年以上が経過して...

私も歳を取りました、既に67歳です。
今後ともよろしくお願いいたします。

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2019/05/28

ココログがリニューアルされたので試しに書いてみた。


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ココログがリニューアルされたので、試しに書いてみました。
やり方が大きく変わったので、戸惑い、苦労しました。
やはり歳を感じますね、我ながら(笑)

今、自宅には、デスクトップパソコンが自室に、ノートパソコンがリビングに置いてあります。
その結果、苦労しました。
最初にノートで試し、次にデスクトップで試したのですが、ノートで簡単にできた画像のアップロードがデスクトップではできないんですよ。

ココログに問い合わせても、「ノートでできてデスクトップでできないわけがない」と言うばかりで全く要領を得ません。
もしやと思い、ノートがMicrosoft Edgeなので、デスクトップはInternet Explorerに変えたのですが結果は同じ。
そこで、ひょっとしたらGoogle Chromeならいけるかも、と思い、デスクトップをGoogle Chromeに変えたらココログに画像をアップできました、無事に...
いや苦労しましたよ、1時間以上を要したかな(笑)

以上、近況報告でした。

上の画像は天皇皇后両陛下とトランプ米大統領ご夫妻。
下は、自衛隊を観閲する安倍総理大臣。

Tenno_toranp

Abe_sinzo

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2019/01/04

読者の皆様へ Blog更新の一時停止のお知らせ


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2か月前からBlogの更新を再開しましたが、思ったほど読者を獲得できず、当Blogの限界を痛感しました。
当Blogは休止と再開を繰り返してきましたが、2年ほど前までは、再開すると3週間程度で最盛時のほぼ8割方の人気とPV数を回復してきました。
しかし今回は、2か月以上を経過しても当時の2割以下(1日2千数百)がPV数の天井で、けっこう丁寧、且つ詳細に記事を仕上げても伸びる気配がありません。

2005年3月12日に開始して以来、間もなく14年が経過しようとしています。
「賞味期限が切れた」
「私自身が老け込んだ」
と痛感します。
Blogを開始した時は52歳でしたが、既に66歳、もうじき67歳になります。
根気も続かなくなりましたので、ここでいったん休止を告知させていただきます。
これまで、長らくの間、ご愛読ありがとうございました。

坂 眞 拝

【追記】
今現在の累計PV数(≒訪問者数)が3,980万弱で、できれば4,000万までと思っておりましたが、少々荷が重い感じがします。
このペースで行くと、あと100本以上のエントリを書き上げなければなりません。

Ban_makoto
          2017年 鬼怒川温泉に向かう特急「スペーシア」の個室にて

No_muhyon
          2006年12月28日発売 飛鳥新社

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2018/12/27

その昔、山崎行太郎という自称「文芸評論家」がいてね



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その昔、山崎行太郎という自称「文芸評論家」がいてね。
やたらと私に絡んでくる。
批判なら解るが、書いていることがいちゃもんレベル。
とにかく粘着質でコンプレックスまる出し。

私が人気ブログランキング(政治)で30,000ポイント前後を獲得し、ダントツの第1位(当時=10数年前)だったのが癪にさわったらしく、「依存症の独り言は不正工作をしている」と喚いていました。
で、他のブロガーから論破されると、今度は「坂眞は小泉派の工作員(だから獲得ポイントが圧倒的に多い)」と矛先を変える。
人間のクズとはこの男のことでしょう。
ちなみに、当時、このクズのブログは4,000ポイントくらいしかありませんでした。

文芸評論家としての自負心が強いこの男からすると、無名の私が、いきなり(と言ってもデビューから半年後くらい)人気ブログランキングの第1位になったのは許容できなかったのでしょう。
後から知ったことですが、彼は複数のハンドルネームを使って私を攻撃していました。
その典型は「御徒町子」ですかね。
女に成りすまして私を卑下する、侮辱する。

「阿修羅♪」という投稿サイトでも、私のブログの記事を逐一取り上げ、複数の複垢を動員して無茶苦茶に貶す。
この事実は、私のブログの読者から通報があって知ったことですが、調べてみると山崎は10個以上のハンドルネームを持っていました。
さらに調べると、「2ちゃんねる」でも「【マジキチ】山崎行太郎【勘違い老人】」というスレが立っており、まとめサイトもありました。

今も、細々と有料ブログを続けているようですが、もう70歳を過ぎているのではないでしょうか?
この人物、とにかく他人にいちゃもんを付けて自らの知名度をアップさせようとする方のようで、被害を受けた方は多数にのぼるようです(あえて具体名は書きません)。

今はどうしているのかな?
行太郎くん!
元気ならコメント欄に返事をくれよ(笑)

自ら批判するのではなく、ハンドルネームで、しかも女に成りすまして批判するなど、サイテーの男だ!

Yamazaki_2

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2018/12/19

日本の礎である偉大な歴史と勤勉な国民性を誇りに思う


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私は学生のころ左翼だった。
しかも、頭に「過激」という文字がついていた。
なぜ過激な左翼になったのか?
その理由は学校教育であり、当時の社会環境だったと思う。
学校では戦争の悲惨さと愚かしさを繰り返し教えられたし、社会の状況は「高学歴の知識人」は左翼で、「田舎のお百姓さん」は保守というのが定番だった。
実際、相対的に高学歴者が多い東京や大阪などの大都市では左翼の社会党が強く、農村の占める割合が高い地方では自民党が圧倒していた。
また、当時は全共闘運動の最盛期で、左翼にあらずんば学生にあらずという雰囲気が満ち満ちていた。
こういう状況下においては、「進歩派(革新)」と呼ばれた左翼になるのが自然の流れであった。

しかし、教師や公務員ならいざ知らず、一般の社会で苦労を重ねて生きていくようになると、「平和」とか「「平等」とか「正義」とかとかの言葉が、どうも胡散臭く思えてくる。
それらは単なるスローガンで、裏には何かが隠されているのではないか?と疑うようになるのだ。
つまり「プロパガンダ」という言葉の真の意味に気付くのである。
言葉をかえれば「ドグマ(dogma)」だ。
そういう心境になると、左翼の言葉が、耳障りは良いが、ある特定の意図を持った宣伝文句ではないか?と思えてくる、不思議なことに...
今は絶対的「平和」や絶対的「平等」、あるいは絶対的「正義」など、この世に存在しないと確信している。
平和も平等も正義も相対的なもので、時代によって、あるいは当人の立ち位置によって景色が変わってくるのだ 。
その典型が歴史認識である。

例えば日清、日露の両戦争についてだが、下の風刺画を読み解くと捉え方は全く変わってくる。

Nichiro_war

この画を書いたのは、フランスのジョルジュ・ビゴーという画家だが、当時の状況を見事に描き切っている。
自力では生きて行けず、誰かに吊り上げてもらうしかない「朝鮮という魚」。
その魚(朝鮮)を、欧米列強による侵略で弱体化した清(中国)が何とか自分の下に止め置こうとしている。
それに対し、ロシアの脅威を食い止め、且つ大陸に進出するための足場を得たい日本も魚(朝鮮)を吊り上げようとする。
そして、その清(中国)と日本の争いを高みから見物し、状況を見計らって朝鮮半島を含む東アジアを一気に勢力下に飲み込もうとするロシア。
日清、日露の両戦争は、こういう見地から考察されなければならない。

それを日本の左翼、私が若いころの言葉で言えば「進歩的文化人」たちは、日清戦争は朝鮮に対する侵略だと言い、日露戦争はロシアとの中国東北部(満州)をめぐる帝国主義国家間の争いと言う。
そこには、当時の朝鮮が国家として自立する力をまったく有さず、ほっとけば朝鮮半島はロシアに支配され、やがては日本も侵略される破目に陥るという視点が完全に欠落している。

太平洋戦争(あえて大東亜戦争とは言わない)も捻じ曲げられてて教育されている。
日米開戦は米国が意図したもので、我が日本国はやむを得ず誘い込まれたのだ。
ABCD(米英中蘭)ラインで包囲されれば、日本は無謀と言われても打って出るしかない。
当時、日本国内でも山本五十六大将などの知米派は日米開戦に反対だった。
しかし、日本資産凍結、通商航海条約破棄、石油禁輸などの理不尽な制裁を受ければ、座して死を待つより戦う道を選ぶしかなかった。
にもかかわらず、左翼や色褪せた「進歩的文化人」たちは日本が侵略したと言い募り、日本国民数百万人を死に追いやったと非難する。

東京大空襲(ナパーム製高性能焼夷弾によるジェノサイド)の死者10万人、広島原爆投下の死者14万人、長崎原爆投下の死者7万4千人、これらはすべて米国による戦争犯罪である。
にもかかわらず、左翼や色褪せた「進歩的文化人」たちは、まるで我が日本国のせいであるように言い募る。
誤解を恐れずに言えば、太平洋戦争は米国の謀略によって引き起こされたものであり、その結果としての東京大空襲、広島と長崎への原爆投下なのである。
にもかかわらず左翼や色褪せた「進歩的文化人」たちは、戦前の日本を非難し、その歴史を「侵略の歴史」として非難する。

アジア、中東、アフリカは、そのほとんどが欧米列強によって植民地として分割され、収奪された。
そんな中、急速な近代化を実現し、欧米列強に伍する地位を獲得したのは我が日本国だけだった。
その先人たちの努力と先見性があって現代日本の繁栄がある。
戦後の高度成長も、戦前の蓄積と国家としての統率力、組織力があって実現したのだ。
今の豊かな日本は戦前からの継続の賜物であって、戦前を否定したからではない。
勘違いしてはならない。

まあ、いくら言っても反日左翼や自称「リベラル」は思考過程が歪んでいるから、文字通り「馬の耳に念仏」である。
彼らに以下の言葉をささげる!

今の日本国の礎である偉大な歴史と勤勉な国民性を忘れてはならない!

【注】
ドグマ(dogma)≒宗教上の教義

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2018/11/21

徒然なるままに左翼時代の自分について語ろう


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私が「元左翼」であったことをご存知の方も多いと思います。
このBlogでも書いたことがあるし、FacebookやTwitterのプロフィール欄にも書いていましたから、多くの方がご承知のはずです。
Twitterでは、元赤軍派議長の塩見孝也さん(故人)と相互フォローの関係にありました。

なぜ左翼になったのか?
そもそもは高校生時代に遡ります。
私は学校の受験体制に大いなる不満を抱いておりました。
だから高三になると、ほとんど授業には顔を出さず、図書館で好みの本を読む毎日でした。
また、当時の米国によるベトナム侵略も許せませんでしたね。
そんな時、椎名麟三を知り、彼に強く惹かれました。
そして、その延長でカール・マルクスの思想と出会ったのです。
私は、マルクスの考え方や歴史観、そして資本主義に対する分析が正しいと確信しました。
目から鱗が落ちるとは、まさにこのことです。

「搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な」社会。
「人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる」社会。
「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。
これってサイコーですよね。

しかし、一方で私は、日本の歴史と日本人であることに強い誇りを抱いていました。
なぜなら有色人種で唯一近代化を成し遂げ、欧米列強と肩を並べるまでになったからです。
だから他の左翼活動家のように戦前の歴史を否定的に捉え、中国や朝鮮に謝罪する気持ちにはなれませんでした、と言うか強い違和感がありました。
それより原爆を投下し、無差別に日本国民を大量殺戮した米国に対する怒りの方が強かったですね。
さらにソ連が大嫌いでした。
これは、父親がシベリアに抑留されたという事実が影響したと思います。

そんなちょっと変わった側面のある左翼活動家でしたから、左翼運動に違和感を覚えることもありましたね。
例えば、当時、「自己否定」という言葉がはやりました。
自国の歴史や国家体制を否定するだけではなく、自身の内面に残る小ブルジョア的考え、甘えや驕りを否定し、真のプロレタリア的精神を獲得する...
だから、みんな大学をやめました。
しかし私は、こういう求道者的思考、あるいは志向にはついていけませんでしたね。
俺たちは自由のために戦っているんじゃないのか?という思いが強かったからです。
しかし、そんな私も、つられて大学を退学しました(爆)

やっぱり当時の左翼って、なんか辛気臭いですよね。
あのころは全共闘ってかっこいいと思っていたし、自分たちは敗北しても闘いは未来に引き継がれる...なんて考えていたけど、「自己否定」なんて言い出したから誰もついてきません。
しかも、世の中は「一億総中流」の時代になっていて、ヘルメットにゲバ棒なんて限られた空間の革命ごっこになり果てました、残念ながら、と言うか当然ながら。
だからみんな足を洗って、洗脳されたカルトだけが内ゲバで殺し合いをするようになった。
その挙句が「連合赤軍事件」です。
でも、大学をやめて引きこもりになった後も、成田空港反対運動(闘争)で元仲間の赤ヘルが機動隊にボコボコにやられる姿を見ると、テレビ画面の向こうに飛び込んでいきたくなりましたから、一度染まった思想から脱却するのはなかなかむつかしいもんです。

Bund4
 

その後、大学に復学した私は、25歳で卒業し、地方公務員の上級職になりました。
しかし、共産党系の労組が跋扈する姿を見て、公務員が嫌になりましてね。
なぜか学生時代を思い出してしまったんです。
それに、公務員の仕事ってルーチンが多くて退屈なんですよね、私の性格からすると。
結局、私は公務員をやめ、独立の道を選びました。
しかし世の中、甘くはありません。
大学卒業に7年かかり、そのあとは公務員を5年、しかも頭の中は、まだ赤味がかかっている...
こんな人間が独立してもウマくいくはずがありません。

私は、公務員をやめた後、機会の平等はあっても結果の平等はあり得ない、と思うようになりました。
マルクスや左翼が言うような「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会なんてありえないし、それは人間の堕落であると思うようになったからです。
能力のある者が恵まれ、そうでない者はそこそこでしかない、この原則を崩したら社会は進歩しないし発展もありません。
もちろん、そうでない者も最低限の保障はされるべきだし、生きる権利は尊重されなければなりません。
実際のところ、20世紀半ばまで猛威を振るった共産主義が資本主義に敗北したのは、資本主義が「弱肉強食」から「富の再分配」や社会福祉重視という考えに舵を切ったからです。
弱者であってもその生存権は保障される、これは資本主義が共産主義から学んだ点であり、だからこそ資本主義が勝利したと言えるでしょう。

ソ連の最高指導者であるヨシフ・スターリンは、約80万人を粛清と称して処刑した。
中国の最高指導者である毛沢東は、少なくとも400万人を文化大革命で死に追いやった。
カンボジアのポルポトは、知識人を中心に120万人を殺害した。
この歴史的事実を日本共産党や社民党はどう総括しているのでしょうか?
資本主義は自らを修正したのに、共産主義はドグマから抜け出せず自滅の道を辿りました。
これは人類にとって幸せなことであったと確信します。

食うに困らず、住むに困らず、着るに困らず、たまに贅沢もできる 、そんな生活を享受しながら、その源にある歴史や日本の心を否定する、こういう連中を私は理解できません。

※「食うに困らず、住むに困らず、着るに困らず、たまに贅沢もできる」というフレーズを、あるジャーナリストがネット上でまるまるコピーしておりました。
これは、私が10年近く前に当ブログで生み出した言葉です。



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2018/11/10

プロフィール画像を変えました。


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久しぶりにプロフィール画像を変えました。
昨年、東武の特急スペーシアに乗って鬼怒川温泉に向かう途中の画像です。
場所は個室。

今月は那須温泉に行く予定です。

年が明けたら、もう67歳だもんね。
疲れるはずだよ。

このブログを始めてもうすぐ14年かあ...

でも、まだまだ、途切れながらも続けますよ!
ピーク時に1日20,000以上あったアクセス数も、今は1,000くらいだけど、チビチビと頑張ります。

総アクセス数が39,688,001だから、せめて40,000,000までは頑張りたい!

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2018/08/19

Twitterが言葉狩りを強化しているらしい。


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Twitterが言葉狩りを強化しているらしい。
「死ね」などの言葉、あるいは「ヘイトとみなされる表現」などがあると「即凍結」らしい。
私のTwitterのフォロワーも、最近、突如50人以上が消えた。
Facebookも、韓国・朝鮮(人)を批判すると通報され、即アカウント停止(凍結ではない)になる。
許しがたいことだが、反撃するすべはなく、用心深く対応するしかない、言論弾圧に!

今後は、長いエントリは体力的に無理なので、時事問題等に関わるエントリをアップしていこうと思います。
応援よろしくお願いいたします。

坂 眞


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2018/05/07

北朝鮮を批判するのは、FBにとってNGなのか?


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以下の内容をFBに投稿したら3日間のアカウント停止になってしまいました。

坂 眞
23時間前

日朝対話「1億年後も無理」=北朝鮮紙、圧力姿勢批判

懲りない奴らだ(爆)
1億年経っても顔も見たくねえよ!
独善、無自覚、無恥、冷酷、支離滅裂
この世に存在すること自体が理解不能...

北朝鮮!!!

日朝対話「1億年後も無理」=北朝鮮紙、圧力姿勢批判
(2018/05/06-20:09) 時事通信

かなり前に1回目の警告を受け、その時はノーペナルティだったのですが...
次は3か月の停止になるそうです。
そして4回目でアカウント強制削除。
1回目と今回に共通するwordは「北朝鮮」。
1回目は、沖縄県辺野古の基地建設に反対する在日北朝鮮人(総連)=女性を皮肉っただけ。
「朝鮮人は日本の安全保障に口を出すな!」と...(笑)

北朝鮮を批判するのは、FBにとってNGなのか?

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2018/04/29

再び全共闘運動を語ろう


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1960年代に隆盛を極めた全共闘運動を実体験で知っているのは、私の世代が最後だろう。
当時は「学園紛争のない大学は大学ではない」と言われるほど学生運動が盛んだった。
私は、全共闘運動の端緒は、1967年10月8日の「佐藤首相ベトナム訪問阻止」闘争にあると思う。
この時、羽田空港に通じる弁天橋で、中核派の山崎博昭さん(京大生)が死亡した。
世論は、当時、学生たちに同情的で、特に学生側に死者が出たことでその傾向はさらに強くなった。
そして、ヘルメットにゲバ棒、タオルで覆面というスタイルもこの羽田闘争が初めてだった(と思う)。
なお、わがブントの先輩たちは、ゲバ棒片手に首都高を逆走し、闘争現場に駆け付けた時は闘争は終わっていたらしい(笑)

そして翌年(1968年)の2月に、東大医学部で医学生の誤認処分が明らかになる。
しかし、当時「象牙の塔」と呼ばれ、傲慢で威圧的だった東大医学部当局はこの不祥事に迅速に対応せず、一般学生たちも含めた怒りを買う。
この、きちんとした調査もせずに、日ごろから目をつけていた学生を事実無根で処分した行為は世論の批判を浴びた。
ここから東大闘争が始まり、ブントや中核派、革マル派、解放派、ML派、フロントなどの活動家が、無党派の学生たちと合体して、さらに運動が盛り上がり、最後はあの安田講堂攻防戦になった。
ちなみに、当日、革マル派のみが安田講堂から夜逃げし、これが後の「内ゲバ」の遠因になる。

また、1968年の「フランス5月革命」(パリ カルチェ・ラタン闘争)の影響も大きかった。
当時、神田駿河台に集中していたブント(中大、明大、医科歯科大)を中心に「神田カルチェ・ラタン闘争」が繰り広げられた。

ただ、この全共闘運動は、1969年の11月でほぼ終結した。
10月の国際反戦デー闘争、11月の佐藤訪米阻止闘争、この二つの闘争で学生のみならず反戦労働者も大量に逮捕され、反体制運動は大きな打撃を被る。
しかも、ほぼ同じ時期に山梨県の大菩薩峠で軍事訓練を行っていた、我がブントから分派した「赤軍派」の主力が検挙される。
このころ私は高3で、隊列の最後尾にいる存在だったが、運動が「潮が引くように」衰退していくのが分かった。
ただ、直後に大学生になった私は1972年までブントの活動家を続けた。
しかし、1972年2月に発覚した「連合赤軍事件」で私は極左に絶望し、きっぱりと過激派をやめた。
ただ、その後も部落解放運動や労働運動にかかわり、左翼と縁を切った時は既に29歳になっていた。

こういう経歴を持つ私が2011年12月23日に書いたのが、以下のエントリ「再び全共闘運動を語ろう」である。
以下のエントリをお読みいただき、当時をご理解いただければ幸いである。

Yasudatoride_3

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再び全共闘運動を語ろう

2012年まであとわずか。
早いもので、私が左翼運動に身を投じてから43年が経過しようとしている。
そのころ生まれた人がもう43歳。
時の流れはほんとうに早い。
左翼運動と完全に縁を切ったのは29歳の時だから、それから数えても30年以上が過ぎている。

心情的に左翼と絶縁したのは、もう少し後になる。
35歳の時、成田から米国に向けて初めて旅立った時だ。
まだ三里塚の新空港反対運動は続いていた。
その昔、反対運動の隊列にいた私を何とも説明しがたい感情が襲った。
単なる後ろめたさではない。
もういいだろう、という自分もそこにはいた。
そして、ジョン・F・ケネディ空港に降り立った時、そういう気持は完全にふっ切れた。

革命闘争、部落解放運動、労組活動、その時々で私の立ち位置と思想はかなり異なったが、左翼であり続けたことだけは変わりがない。
極左の学生、被差別部落の講師、公務員労組の末端活動家、ここまではまったくの左翼だったし、革命を完全にあきらめていたわけではない。
が、海と言えば関門海峡しか渡ったことのなかった私が、いきなりたった一人で太平洋を越えることになったころには、もう革命の「か」の字も心の中には存在しなかった。
もっと言えば、革命なんてぜったいに、ぜった~いに起こりえない、と思っていた。
が、やはり左翼の、特に過激派の動向は常に気になっていた。
三里塚の新空港反対運動もその一つだった。

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私が自らを「元極左だった」と語るのは、もちろん自慢するためではない。
そんなこと知られずに済むなら、それに越したことはない。
今ではもう時効だが、犯罪行為(当時は革命的行為)を犯したことは間違いない。
それでも「元極左」を名乗り、過去を語るのは当時を知ってほしいからである。
学生の集団的政治活動としては近代史において最大で、且つもっとも過激だった全共闘運動。
1960年代半ばから70年代初頭にかけて隆盛を極めた極左の運動が、再びこの国で起きることはないだろう。
そういう意味では空前絶後の出来事だった。

当時、全国的課題では東京の中央集会に2万人以上が結集した。
地方での動員数を合算すれば、その数は4~5万人に達していたと思う。
集会やデモには参加しないが、心情的に全共闘支持だった学生も数多く、間違いなく学生においては多数派だった。
1969年には、全国の大学で紛争校165校、うち封鎖・占拠されたものが140校を占めた。
今で言う「偏差値の比較的高い大学」のほとんどが封鎖・占拠された、と言っても過言ではないだろう。
当時のメディアでも「紛争のない大学は大学ではない」などという差別用語?が紹介されたりしたものだ。

では、なぜ、そんなに全共闘運動は盛り上がったのか?
学生の支持を集めたのか?
私は全共闘世代の最末尾である。
全共闘運動には助手や大学院生も参加していたから最年長は1944年生まれあたりだと思う。
つまり来年68歳になる人たちから60歳になる人たち(1952年早生まれ=私)が全共闘世代である。
私の学年は高校時代に全共闘運動の洗礼を受けた。

この1944年~1952年早生まれには共通するものがある。
一つは戦後の貧しさを知っているということだ。
今日のメシにも困る人がいる、それを体験的に知っている。
次に戦争への恐怖が現実にあった。
大人になる過程が東西冷戦の真っ只中と重なる。
また、戦後の民主主義教育を受けた世代であり、テレビドラマや音楽、ファッションで米国的豊かさや自由に憧れた世代でもある。
そんな世代にとって、教師を含めた大人たちは権威主義的で古い道徳観の塊に見えた。

貧困、戦争、権威主義、古い道徳観、これらが若者たちを反体制に走らせた大きな原因であることは間違いない。
反貧困、反戦、反権威、反道徳、これらが全共闘世代の共通項である。
ただ、これだけが全共闘運動の隆盛をもたらした原因ではない。
それまでは、学生運動の中心は学生自治会の連合体である全学連だった。
が、全共闘は学生自治会とは違う。
学生自治会は、ほぼ党派(セクト)とイコールだった。
日本共産党系か反日本共産党系か、そのいずれかであり、全学連の運動は党派の運動だった。

が、全共闘は全学連と違い、その圧倒的多数は無党派だった。
つまり組織に規則らしい規則はなく参加するのも離脱するのも自由。
党派的縛りがないから気楽と言えば気楽、だから麻雀の代わりにデモに参加する者もいれば、党派より過激な行動を取る者たちもいた。
「別個に立って共に撃つ」という言葉がそれを象徴している。
そして、これが空前絶後の反体制運動を生み出したとも言える。

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思い返せば私たちの学生生活は貧乏と言うか質素と言うか。
冷蔵庫や洗濯機はもちろんテレビもない。
4畳半に共同トイレ、風呂なし、これが当たり前、まさに「神田川」の世界だった。
大学の授業以外はサークル活動に精を出すか、麻雀をするか、喫茶店で議論の花を咲かせるか、アルバイトをやるか、それくらいしかない。
外で飲むだけのカネもないから、誰かの部屋に集まって生ぬるいサントリー・ホワイトをチビチビ呑む。
そこは、まさに「口角泡を飛ばす」空間。
こういう環境だと、本をよく読むようになる。
そして読む本と言えば、吉本隆明、高橋和巳、大江健三郎、柴田翔、羽仁五郎、井上光晴、倉橋由美子などなど。
左翼運動をやる条件がそろいすぎている。

それと比べれば、今の若者は恵まれている。
私に言わせれば恵まれすぎ。
世の中にも、食うに困る人間っていないだろう?周りに。
住む家がない者もほとんどいない。
ホームレスなんてわがまま、と言うしかない、私から見れば。
それだけ日本は豊かで格差の少ない国、社会になったのだ。

1970年代後半になって明らかに社会も学生も変わった。
それは1980年代後半のバブルで決定的になった。
当時の日本は世界一豊かな国だったのだから。
失われた20年と一口に言うが、当時の豊かさの名残は今も随所にある。
徐々に崩れかけてはいるけれど。

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全米規模で「ウォール街を占拠せよ(OWS)」運動が続いている。
運動は欧州にも波及している。
が、わが国では呼応する動きがあったもののさっぱり盛り上がらない。
1968年に全共闘運動が、フランス五月革命に触発される形で全国の大学に燎原の火のごとく広がったのと好対照である。
それだけ日本は平和で安全で、格差の少ない豊かな国と言うことだ。

この国の左翼は、おそらく先が長くない。
復活するとしたら、借金まみれの財政をこの先も一向に改善できず、むしろ悪化させて経済危機に陥った時だろう。
が、私は、日本も日本人もそれほどバカではない、と信じている。

Senkiha  これは明大和泉キャンパスだったと記憶している。ブント戦旗派の戦闘部隊。

【追記】
私が共産主義に疑問を抱くようになったのは上の記事に書いてある「左翼と縁を切った時」よりずっと前です。
1972年の連合赤軍事件はショックでした。
彼らの一部に私と同じブント(共産同)出身の活動家がいたからなおさらです。
もう絶望的な気分になりましたね。
72年5月の「御茶の水解放区闘争」の後、私はブントを離脱しました。
多くの仲間が検挙されたあとで辛い決断でしたが、もう限界でした。

私より後の学年から急激に学生運動の熱気が失せたのも、やはり連赤事件が大いに影響していると思います。
なぜ彼らが、ああいう風になってしまったのか?
ismの持つ必然とはいえ、いまだに総括できません、完全には。


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