中国:南京虐殺で反撃
(以下引用)
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国連総会は1日、1月27日を第2次大戦中に起きたユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の「国際追悼デー」にする決議案を採択した。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所が
解放された日にあたり、米国やイスラエル、ロシアなどが求めていた。
大戦の惨事をめぐり、採択後に中国の国連代表部書記官が「60年前、アジアの人々も筆舌に尽くしがたい苦しみを受けた」と演説。「1937年の南京大虐殺で30万人が死亡した」として「ユダヤ人と同じようにアジアもこの歴史の一章を決して忘れない」と発言した。これに対して、日本の小沢俊朗・国連3席大使は「歴史を議論する際には、特に
数字についての共通の理解を持つことが建設的だ」と発言。「歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻んでいる」とも述べた。
南京大虐殺巡り日中が発言 ホロコースト議題の国連総会
(2005年11月2日 朝日新聞)
中国がついに反撃を開始した。小泉首相の靖国参拝に抗議しても、ほぼ無視された
格好。首脳会談を拒否しても、日本には何の打撃にもならない。経冷になれば、逆に
自らの首を絞めることになる。
残された道は、国際舞台で「南京虐殺」を訴え、日本の過去の非道と靖国参拝の不当性を非難するしかない。それほど中国は、対日外交に行き詰まり感を募らせていると
いうことだ。
中国共産党は、今年5月に「中国人民抗日戦争および世界反ファシスト戦争勝利60周年大会」に関する通知の中で、「中国人民抗日戦争は世界反ファシスト戦争の重要な構成部分であり、中国の人民は世界の反ファシスト戦争の勝利に大きな民族的犠牲と重要な歴史的貢献を果たした」と主張している。
(参照:2005年5月8日 人民網日本語版)
つまり中国は、第二次大戦において、自らが大きな役割を果たしたと自負しているのだ。しかし、欧米諸国はそれをまったく評価していない。
中国及び中共の果たした役割を勘案すれば、そのような評価も当然である。日本を
敗北させたのは米国。これが世界の常識なのだ。
が、「抗日戦争を勝利に導いたのは中国共産党である」という輝かしい歴史を誇る中共には、それが我慢ならない。
欧米諸国は、中国が被った甚大な被害にも同情していない。米国も世界も「ノー・モア・ヒロシマ」と云うのに、「ノー・モア・ナンキン」とは誰も言ってくれない。
原爆ドームは、アウシュビッツのユダヤ人強制収用所とともに世界遺産(「負の遺産」)に指定されているのに、南京虐殺は知られてもいなければ関心も払われていない。
だから日本の首相が、南京虐殺の責任者である「A級戦犯」が祀られている靖国神社に参拝しても、欧米諸国は何の反応も示さない。
中国は、この欧米諸国の冷淡さに、「怒り」というより「恨み」に近い感情を抱いていると言われる。だから「南京大屠殺記念館」の敷地面積を3倍にし、世界文化遺産に登録する運動に力を入れるのである。
「南京大屠殺」を国際舞台で世界に訴えること、それが中国に残された、首相の靖国
参拝に反撃できる数少ない手段なのである。
また、そのことによって、「南京大屠殺記念館」を世界文化遺産に登録する道も開かれる。
今のところ、世界は中国の主張をまともに受け止めていない。NYタイムスは、「第二次大戦で日本は米国ではなく中国共産党軍により敗北させられた、と教えている」として、中国の歴史歪曲を非難しているほどだ。
しかし油断してはならない。米・カリフォルニア州では、中学高校で使用される歴史教科書に「南京大屠殺」を書き込むことを目的とした法案が議会を通過した。
幸いシュワルツェネッガー知事が拒否権を発動して、この法案を葬り去ったが、中国は世界中の華人ネットワークを利用して同じような策動を繰り返すであろう。
(参照:2005年10月8日 ANNニュース)
我が国も「特に数字についての共通の理解を持つことが建設的」などというレベルの
反論ではなく、もっと真実を訴えていくべきである。
最近は、世界各地の領事館が地元のニュースをチェックし、問題があれば逐一反論しているようだが、今後は政府レベルでより強いメッセージを世界に発信しなければならない。
ここで、「南京虐殺」について言及した過去のエントリーを再掲する。アクセス数がベスト5に入るエントリーなので、既にご覧になられた方も多いと思う。
そういう方も、今一度、読み返してほしい。
南京大虐殺 (2005年6月28日)
中国が日本に、「過去に対する謝罪」を求めるときに持ち出すのが「南京大虐殺」である。この「南京大虐殺」は、朝日新聞に代表される「進歩的文化人」たちが、「いわゆる
A級戦犯」や首相の靖国参拝を非難するときの拠り所にもなっている。
果たして「南京大虐殺」は本当にあったのか?今日は、この問題を検証したい。
ところで、この「南京大虐殺」に関する記事は、ネット上だけでも無数にある。これらの
総てを調べる時間も余裕もない。したがって、40ほどのサイトを閲覧し、そのうち内容の
ある16のサイトを「参考資料」として末尾に記した。もちろん、肯定派、否定派、中国人研究者によるものを揃えている。
ただ、幻派の資料は記していない。「南京大虐殺」は幻ではないからである。
私が肯定派というのは、極東国際軍事裁判の「犠牲者20万人以上」あるいは、中国の主張する「30万人以上」を認める人たちであり、否定派とは「犠牲者は数千から数万人で、兵士が多数を占めていた」とする人たちである。
南京大虐殺は、日中戦争(当時は支那事変と呼んだ)初期の1937年(昭和12年)に
日本軍が中華民国の首都 南京市を占領した際、約2ヶ月にわたって多数の中国軍
捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件である。
中国では南京大屠殺と呼び、欧米ではNanking AtrocitiesあるいはRape of Nankingと呼ぶ。日本では単に南京虐殺、南京事件とも呼ばれる。
まず、この事件では、いったい何人が虐殺されたのであろう。なぜ数を最初に問題に
するかというと、この種の事件においては犠牲者の数と、その内容を知ることが重要だからである。
1990年代に起きたボスニア紛争のような「組織的民族浄化」は別として、戦争という
異常な状況の中では、非戦闘員の殺害やレイプの発生は避けられない出来事で
ある。
1950年代に起こったアルジェリア独立戦争では、フランス軍はナパーム弾で村々を焼き尽くし多くの非戦闘員を焼殺した。独立派を捕らえて拷問し、裁判なしでギロチンにかけた。
1960年代のベトナム戦争でも、米軍による「ソンミ村虐殺事件」があったし、このとき
参戦した韓国軍はレイプを繰り返したと云われている。
1980年代のイスラエルのレバノン侵攻においても、キリスト教民兵によるパレスチナ難民の大量虐殺と大規模なレイプが発生した。このことに対して、イスラエルはもちろん、米国も口をつぐんだままである。
もちろん、私は「非戦闘員の殺害やレイプ」を肯定しているわけではない。戦争犯罪を
厳しく問うようになった第二次大戦後に起きた戦争でも、「非戦闘員の殺害やレイプ」は不可避であったということを指摘したいだけである。そして戦争そのものは犯罪ではない。
したがって、「南京大虐殺」における犠牲者が数千から数万人で、なおかつ大多数が
兵士であったとすれば、「南京大虐殺」は、戦争という異常な状況の中では十分に
起こりうる出来事であったと云える。
なお、ソ連軍も満州や樺太、千島列島に侵攻したとき、多数の日本人女性をレイプし
殺害している。
ちなみに、幻派の主張を私が退けるのは、各種の記事に見られる証拠事実からである。例えば、戦犯として起訴され死刑となった第六師団長の谷寿夫陸軍中将は、
申弁書の中で「虐殺は中島部隊(第十六師団)で起きたものであり自分の第六師団は無関係」と申し立てている。
その中島今朝吾師団長は「捕虜の試し斬り 」で有名な人物であり、南京の城内における掃討は、彼が率いる部隊が行った。その部隊が、「非戦闘員の殺害やレイプ」を犯した可能性はある。
なお、谷寿夫中将が死刑になったのに、肝心の中島今朝吾中将は、既に亡くなって
いたため罪に問われることはなかった。
では、犠牲者の数はいったい何人なのであろう。
畝本正巳氏 3千~6千人
板倉由明氏 1万3千~1万9千人
ニューヨークタイムズ 3万3千人
秦 郁彦氏 3万8千~4万2千人
ラーベ日記 5万~6万人(ラーベはドイツ人で、難民区委員会の委員長)
笠原十九司氏 20万人以上
極東国際軍事裁判 20万人以上
呉 天威氏 34万人(中国人の研究家)
中国の検察官 43万人(極東国際軍事裁判当時)
全体を見渡した「統計資料」が存在しない以上、 秦 郁彦氏のように「今となっては
南京アトローシティによる正確な被害統計を得ることは、理論的にも実際上も不可能に近く、あえていえば”神のみが知る”であろう」と云うしかない。
私は、各種参考資料を読んだ結果、1万~3万人あたりではなかろうかと思う。ラーベは第三者であり、難民区委員長という責任ある立場にいた。だから彼の数字が信用できると云う方もいる。
しかし、彼はナチスの党員で、アジアの防共のためには、日本より共産軍(紅軍)と戦う中国と連携した方が良いと考えていた男である。ヒトラーに、日本軍の行為を大げさに報告した可能性が高い。
板倉由明氏の説は、それなりに説得力があるし、当時のニューヨークタイムズに虚偽の報道をする必然性はない。
20万人以上の説は、物理的に無理があるし、実証性に欠ける。
事件(37年)当時、金陵大学の社会学教授だった米国人スマイスは、37年12月12日
から13日当時の南京の人口を「20万人から25万人」と報告している。
翌38年3月にスマイスが行なった調査結果では「22万1,150人」とされている。そして、この「22万1,150人」は、住民の中には調査員の手のとどかぬところに暮らしていた者もあったので、実際の80~90%を表しているとしている。
つまり、陥落前後の人口は20万~25万人で、その四ヶ月後には25万~27万人(推計)に増えている。この事実一つを見ても、中国兵を含めて20万人以上が殺されたと云う説には説得力がない。ましてや中国の「犠牲者は30万人以上」という主張は、完全なる
捏造数字である。
なお、1936年(昭和11年)11月には、既に「日独防共協定」が締結されていた。しかし、ナチス・ドイツは中国とも友好関係にあった。当時の中国軍はドイツ製の武器で武装し、ドイツ国防軍が派遣した軍事顧問の指導を受けていた。
ところで、当時の日本軍の状況は、どうであっただろう。
上海派遣軍は、上海から南京に向けて進軍した。日本軍は、軍司令部や師団単位で法務担当の責任者を配置していた。上海派遣軍の司令部には、法務担当の第3課が置かれ、寺垣中佐が課長だった。
第3課は、戦闘地域における住民への広報、兵站のための徴発、国際法(ハーグ陸戦条約)遵守、捕虜の取り扱いなどをすべて担当した。
上海戦および掃討戦で、上海派遣軍は国際法(ハーグ陸戦条約)を意図して破ったことはない。「徴発」は「略奪」ではない。相手に切符を渡し、後日補償するものである。もちろん例外的な違法行為はあった。
問題なのは、むしろ中国軍の方である。戦闘地域の住民に何の情報も与えず、避難もさせない。敗北すると、逃走するために現地の住民から被服や食糧を強奪する。捕らえていた日本軍の捕虜を惨殺する。なんと手足を切断するなどして殺害するのである。
また、現地の住民に対しては、略奪だけではなくレイプも行った。
つまり、中国の住民は、自らを守ってくれるはずの自国の軍隊から略奪やレイプを受けていたのである。
中国軍は、近代的戦争の常識や国際法(ハーグ陸戦条約)とは無縁の軍隊であった。
「清野戦術」というのがある。これは、退却に際して、敵軍に利用させないために民家
などをすべて焼き払ってしまうものである。
「便衣兵」というのもある。これは、中国兵が一般市民に変装して(便衣服に着替えて)、日本兵を背後から襲うというゲリラ戦法である。国際法(ハーグ陸戦条約)では、正規兵はそれと分かる軍服を着用しなければならない。一般市民を戦闘の巻き添えにさせないためのルールである。「便衣兵」とは、このルールを破り、人民の背後に隠れて攻撃をする、という不法な「禁じ手」である。
さらに日本軍を驚かせたのは、「督戦隊」である。これは戦意のない兵隊に対して、後ろから機関銃掃射を浴びせかけ、前進して戦わなければ、後ろから撃たれるだけ、という状況に兵を追込むものである。これでは、兵は降伏もできず、死に物狂いで戦うしかない。
中国軍の「清野戦術」や現地住民に対する残虐行為の実態が、以下の日本兵の日記から解る。
湖州は浙江省の首都、呉興県政府の所在地。…城壁をはいると家屋は焼けて一面の焼け野原となり、殆ど瓦礫の巷と化していた。とくに商店街は影も形もなく、処々に多数の支那兵の死骸が生々しい姿で倒れ転がっていた。誠に見るも無残な有様であった。
街には人影がみられない。それでもどこからか若い女が三人でてきた。我々の姿を見ると、彼女らは我々をぽつんと残った唯一の焼け残りの
小屋へ招きいれ、いち早くズボンを脱ぐと、進んで下半身を丸出しにした。助けてくれと一心にわれわれを拝んだ。我々は三名で巡察の途中で思いかけぬ
出来事に遭遇してしまった。一人は娘、残る二人は人妻らしい体つきだった。自分達は彼女らをそっとして
置いてやった。それでも恐怖に怯え、彼女ら三人はおののいて、脱いだ紺色のズボンを容易に身につけようとしなかった。体を提供しても生命さえ助けてもらえれば、これに越したことはないと観念していたかに見えた。また、ある民家では中年の女性が寝てうめいており、下半身を露出して指さして示し、何かわからぬ言葉を喋っていた。支那兵は逃亡の際、
この女性に迫り、拒絶されると腹を立て、銃剣を一突きにそこに突き刺したに
違いなかった。夥しい出血で苦しんで訴えている。すぐに治安維持会(既に結成されていた中国人の自治組織)に連絡して看護員を連れてきた。さて助かったかどうか。このようにして略奪と暴行のあとを見せつけられた。
村田和志郎(第18師団歩124歩兵伍長)の日記より。
私の父親は、陸軍中尉として北支を転戦し、戦後はシベリアに抑留された経験を持つ。その父から聞いたことを記す。
父の部隊は、ある日、戦闘に敗れ一時的に退却した。しかし、すぐに援軍が到着し、
今度は中国軍が敗走した。敗走した後の中国軍の陣地を覗くと、戦死した日本兵だけではなく、負傷して動けなくなった兵士まで油をかけられて焼殺されていた。生きたまま焼き殺されたわけである。
一名の兵士が物陰に隠れてその様子を見ていたらしい。その兵士は、狂気の沙汰を
眼前にして、精神がおかしくなったそうだ。
また、八露軍(共産軍の別称)の兵士が中国軍に追い詰められて、あろうことか日本軍に投降してきたこともあったと云う。理由を聞くと、中国軍に捕らえられると、拷問された挙句に殺されてしまう。それなら、日本軍の方がまだましだ、と云うことだった。
それほどまでに中国軍は残虐だったということである。なお、父が召集を受けたのは
南京事件の後である。父は、巷間云われているような虐殺とかレイプはなかったと言っていた。ただ、たくさんの兵隊が大陸に居たわけだから、中にはそういうことがあったかもしれない、とも付け加えた。
「清野戦術」のせいで「徴発」もままならず、日本軍は窮乏していた。また、「便衣兵」による不意打ちに、恐怖を覚えながらの緊張状態にあった。この状況で南京を占領したのである。
一方、攻め落とされた中国軍は、パニック状態に陥り、いっせいに便衣服に着替えて
逃亡を図った。便衣服を持たない者は住民の衣服を奪い、それもできなかった者は、
下着姿でおろおろしていたと云う。
街路には夥しい数の武器が投げ捨てられていた。
揚子江に架かる下関埠頭は、船を求める市民や将兵で、まさに修羅場だった。乗れなかった兵は船に発砲し、乗れたとしても定員オーバーで沈没。群集におされ揚子江に転落する者もあった。
また、南京防衛軍の司令官・唐生智将軍は、部隊を見捨ててさっさと揚子江対岸へ
逃亡したため、撤退命令が十分に周知されなかった。そのため、下関埠頭にたどり着く前に、撤退命令を知らない「督戦隊」に銃殺される者も続出した。
揚子江に逃れられなかった者は、在留外国人や一般市民を保護するために設けられていた難民区(安全地帯)に殺到した。
南京を攻略した日本軍は、便衣服に着替えて難民区(安全地帯)にもぐり込んだ中国兵を徹底して索敵した。そして処刑した。
窮乏と、「便衣兵」の不意打ちによる恐怖に苛まされた日本軍兵士が、便衣服に着替えて逃亡を図った中国軍兵士に対して苛烈な対応をしたのは、やむを得ない。
ここで問題なのは、便衣服に着替えて難民区(安全地帯)にもぐり込んだ中国兵を、
戦闘意欲を喪失した敗残兵とみなすのか、やがてゲリラ戦を挑んでくる潜在勢力とみなすのかである。
国際法(ハーグ陸戦条約)では、戦意を失くした兵や捕虜に対して「武器を棄てまたは防衛手段を喪失し、自らの意思で降伏した敵兵を殺害する、もしくは傷を負わせること」を禁じているからである。
確かに、中国軍兵士は武器を捨てた。南京城内の至るところに武器が散乱していた。
しかし、これまで述べた中国軍の実態を踏まえると、そのような行為だけで中国軍兵士が戦闘意欲を失くしたたとは思えない。特に、日本軍は、直前の上海戦で「便衣兵」に苦しめられた。便衣服に着替えた中国兵を、偽装と判断してもおかしくはない。
実際に、次のような事態も発生している。
下士哨に立ち寄ると3・4名休憩中の日本兵がいる。いずれも銃を抱いた体で
城壁の下の穴倉みたいなところで仮眠している。そこに突然便衣隊が2名忍び寄り、日本兵がまどろんでいる隙をみて銃を奪い取った。
敵という声に目をさまし立ち上がり格闘となった。突然のことであり便衣隊の1名は逃げたが1名は頑強に抵抗してなかなか取り押さえられず、3・4人がかりで
1名の便衣兵の手をとり、足をとり、捕虜にしようとするが、日本兵の方が危な
そうである。発砲すれば友軍への危険もある。・・・自分は下手をすると被害がこっちにもでかねないと思った。咄嗟になかに
入り、便衣隊の顔を軍靴で踏みつけた。すると静かになった。
騎兵隊がちょうど傍らにいた。殺させてくれという。騎兵は長い軍刀を引き抜くと首は飛んでいた。
前出:村田和志郎(第18師団歩124歩兵伍長)の日記より
国際法(ハーグ陸戦条約)では、「民兵及び義勇兵」は以下の条件においてのみ交戦資格、つまり捕虜待遇を受けるものとされている。
・部下を統率する指揮官がいること
・遠方からも判別できる固定された標章を着用していること
・堂々と武器を携行していること
・戦争の規則と慣習に則って作戦を遂行していること
・略
便衣服に着替えた中国兵は、上記のいずれにも該当しない。つまり捕虜待遇を受ける資格がない違法なゲリラなのである。
したがって、一般市民を装って難民区に紛れ込んだ中国兵を摘発し、処刑しても、これは国際法に違反しない。虐殺ではない。
摘発は以下の基準で行われたと云う。
・坊主頭か否か(兵士の多くは坊主頭だった)
・ヘルメット焼けがあるか否か
・銃ダコがあるか否か
・その他の身体的特徴が「兵士」と重なった場合
以上の基準では、「兵士」ではない者も「兵士」とみなされた可能性はある。
犠牲者の95%が成人男性だった云う。であれば、虐殺の可能性があるのは5%プラス「兵士」と誤認された者になる。犠牲者が1万~3万人であるとすれば、真実の犠牲者は、1千~2千人のレベルになる。
もちろん、犠牲者が1千~2千人だからといって、日本軍の行為が許されるわけではない。しかし、中国軍の日本兵捕虜や日本人居留民に対する残虐な行為を踏まえれば、中国に日本を非難する資格はない。
「南京事件」を謝罪しろ、と云うのであれば、「通州事件」を始めとする中国軍の日本人居留民に対する残虐行為も謝罪しろと言いたい。
中国軍(国民党軍)が員数及び装備において圧倒的に優っていたのに、紅軍(共産軍)に敗れた最大の理由は何か?それは、両軍のモラルの差である。
紅軍は、以下の厳しい軍律を徹底していた。
<三大規律>
・命令には服従
・民衆のものは針一本糸一筋もとらぬ
・敵や地主からとったものは公のものにする
<八項注意>
・言葉はていねいに
・買い物は公正に
・借りたら返す
・壊したら弁償する
・人に暴力を行使しない
・農作物を荒らさない
・婦人をからかわず乱暴しない
・捕虜をいじめない
つまり、紅軍は中国軍(国民党軍)を反面教師にして民衆の支持を拡大したのである。それほど中国軍の実態はひどいものであったということだ。民衆からは、人間のクズとみなされていたらしい。
なお、紅軍(共産軍)及び中共を評価するために書いたものではありません。念のため。
関連記事:通州大虐殺:中国の戦争犯罪
参考資料1:『神は沈黙せず』批判
参考資料2:「便衣兵の処刑」という勘違いについて
参考資料3:南京大虐殺事件の再研究
参考資料4:南京事件の真実
参考資料5:事実と論理の力
参考資料6:松井石根大将
参考資料7:あやしい調査団、南京へ
参考資料8:ラーベ日記の歩き方
参考資料9:検証:南京事件
参考資料10:南京城外の死者
参考資料11:南京城内の死者
参考資料12:掃討戦の実情
参考資料13:谷寿夫申弁書
参考資料14:南京事件 小さな資料集
参考資料15:南京大虐殺
参考資料16:ハーグ陸戦規定
参考資料17:人口調査や研究書でも検証 ほぼ完璧に否定されている南京での“三〇万人虐殺”
読者の方から、以下の記事を推薦するコメントがありましたので、参考資料として掲載します。
なお、この記事は、いわゆる「幻派」なので、敢て掲載しなかったものです。
分析自体は面白く、参考になる記事ではあります。
参考資料18:南京大虐殺はウソだ!
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